二十話  発露する力1

 学校を囲む低い生垣に沿って、ゆっくり歩く。


 カワジが言っていた通り、校舎の前の通りはだだっ広い道と点々と建つ民家があるだけで、特に寄り道できる場所はなさそうだ。どの民家も瓦屋根かわらやねで、縁側えんがわがあり、横に広い。中央府ちゅうおうふの塔は山がちで見通しがきかない場所に建っているからここからは見えないが、もしほかに高い建物があれば目立ちそうだ。少なくとも三階建て以上の高い建物は、この街にはなさそうだった。


 ――それにしても、低い生垣だけで縁側があるって。人の目が気にならないのかな――

 そう自問してから、気にならないのだろうな、と椎名は思い直した。


 今、学校前の大通りを歩いているのは椎名じぶんだけだ。学生は授業中の時間帯とはいえ、椎名が通う学校の周りならば買い物のために出かける主婦や、仕事を引退した壮年の男性、女性を見かけることがあるだろう。しかし、今のところすれ違う人はおろか、道の先を歩く人すらも見かけていない。これだけ人が少なければ、むしろ見通しをよくした方が近所の人の生活感が感じられて住みやすいのかもしれない。


 そんな静かな道で、人が動く気配を感じて目を凝らす。

 気のせいかもしれないが、大通りから一本外れた裏道で、何やらがさごそという袋をこするような音が聞こえる。


 ――何してるんだろう――


 椎名は、鏡界に来てから一回も「一般人」いや「一般盾者」に出会っていない。中央府で働く人たちは広い意味では「一般盾者」なのだろうが、大半が中央府で寝泊まりし、仕事一辺倒な彼らがこの世界の一般人だとは到底思えなかった。

 だから、「ふつうの人」が何をしているのかが、気になった。


 ――道はそれるけど、学校の近くだしすぐ戻れるだろう――


 自分の頭を整理して、椎名は音のするほうへと向かい歩きはじめた。


    ○ ● ○


「何をしているんですか」


 思わず声をかけてから、椎名は音の主である彼らの服装をまじまじと見て、固まった。


 ――やらかした、かもしれない――


 広い家の前のスペースで袋を広げる人々。彼らは皆、全身を黒い衣装に身を包んでいた。その中のひとり、椎名の声掛けに顔を上げた手前の影と、目が合った。

「おや、異界の客人ではないですか。まさかそちらから来ていただけるとは」

「異界の、客人?」

 椎名の問いに影は答えず、右手を前に突き出した。

「せっかく来てくださったのですから、しばらくこちらにいらっしゃいな」

 女性と思しき影の言葉に合わせて、椎名の背後の空気が揺らぐ。椎名と黒い影の人々を囲むように薄い水色の膜、いや盾が形成されていくのが横から見えた。

「歓迎しますよ。お邪魔な方が来ないように、あなたと私たちをお守りします」

「どこが……」

 走って逃げだしたい気持ちはやまやまだが、元来た道を進むことはできなさそうだ。


 ――戻るのがダメなら……進むしか、ない――


 椎名は意を決して、術者と思しき正面の影に突進した。

「なっ」

 影がたじろぐ隙を逃さず、ためらわず、叫ぶ。

「オーバル!」

 椎名の前に現れた盾は、走るのと合わせて前進し、術者に思いっきりぶつかる。

「うっ」

 術者がうめくと同時に、周囲の盾が揺らいだ。椎名は気にせず、じぶんがつくった盾を踏み台にして近くの壁を背にできるところ……彼らがたむろしていた家のもとまで走る。


「待て、そこまでだ」


 ようやく板張りの外壁まで到達し、手をついた瞬間背後から声がした。振り返ると、残りの二つの黒い影がこちらにじりじりと近づいてきていた。一瞬よろめいたもう一人も、少し後ろで立ち上がる。椎名は壁に背をつけ、彼らを睨み返す。

「あなたたち、ヤタノカミっていう人たちなんでしょう。なんで、わたしを狙うの」

 椎名の言葉に、ヤタノカミは足を止めた。しかし皆すきが無く、逃げ出せる気配はない。


「異界の客人は、この世界を壊す。だから、元の世界に返さなければならない」


 一人の影がそういった。

「この世界を、壊す?何で?わたしは、そんなつもりはない!」

「君の意思は関係ない。異界の客人はいやおうなしに、世界を壊す。北の王たちが築き、守ってきたこの世界を壊すわけにはいかない。それは、王たちの意思ではない」

 椎名は唇をかんだ。この人たち……ヤタノカミには言葉が通じない。同じ言葉をしゃべっていても、意味のある会話ができない。中学校の同級生たちとおなじだ。


「自分の血がかよわない、他人の意思だけで語られる言葉を、わたしは信じない!」


 言葉が先か、盾の展開が先か。いずれにせよ、それらはほぼ同時だった。三方向……背にした壁以外をふさぐ形で放たれた橙色のスクエアが、ヤタノカミたちの拳を受け止める。


 ――盾は、弾くだけじゃない――


 橙色の盾は、彼らの拳を捉えて離さない。何度か押したり引いたりを繰り返した影のうち一人が、懐から光る何かを取り出した。至近距離から投げられたそれは柔軟性のある盾を突き破り、通過しかける。椎名が慌てて強度を高めると、針のようなそれの進行は止まったが、ヤタノカミたちの拳は外れてしまった。

「いくら盾のセンスがあっても、留める盾と弾く盾を同時には扱えまい」

「そうだ。一度に三枚も扱えるとは驚いたがな」

 じりじりと、彼らが距離をつめてくる。右手に光る針のようなものをもち、左手も油断なく構えた状態で。


 ――留める盾と、弾く盾を同時には扱えない。でも!――


 椎名の脳裏に、ついさっきまで見ていた候補生たちの盾がよぎる。そして、それらをすべて洗練させたような彼の……ソウヤの盾も。


「ここから、離れなさい!」


 瞬間、椎名の身体から強い光が生じた。光は波となり、近寄っていたヤタノカミたちの視界を覆う。その中心にいる椎名は光の奔流に流されることなく、頭が冴えていくような、すっきりした感覚を味わっていた。光が強すぎてヤタノカミたちの姿は見えない。彼らも何が起きたのかわからないのか、声すら発しない。しかし、目前の危機は去ったのだということを、椎名は本能的に感じ取っていた。

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