二十八話 北の王1

 烏の森を抜けた先に、巨大な天幕が見える。


 自分の庭のように(実際、彼にとっては庭に違いなかった)気軽に歩いてきたソウヤは、にしきの布の前で立ち止まった。

「父さま。僕のお客様をお連れしました。人払いをお願いします」

 布の奥でざわめく気配がする。

「ソウヤ。私にしか会わせられない客人か?」

 奥から深い、腹の奥に響く声が聞こえてきた。椎名はそれだけで身体が震える。

「その通りです」

 しかしソウヤは全く動じる様子が無い。その表情は冷たいとさえ思われるものであった。

「いいだろう。人は皆下がった。入るがよい」

「はい」

 すぐにそう答えてから、ソウヤは椎名の方を見る。

「行こう。大丈夫」


 椎名が頷くと同時に、目の前の天幕が左右に開いた。外からの見た目通りに広々とした屋内に、大柄な人が立っている。彫りの深い顔立ちと、鋭い瞳。目が合うと同時に、身体全体が罠にかかったかのように身がすくんだ。

「ソウヤの客人といったな。話に聞く世渡りの子か」

「はい。名前を、椎名 沙良といいます」

 固まって何も言えない椎名の横で、ソウヤが滑らかに椎名の名前を発音する。と同時に、手をぎゅっと強く握り返されて、身体の硬直がとけた。


「突然、申し訳ありません」


 身体が動くことを確認するなり、椎名は頭を下げる。ソウヤが勝手につれてきたとはいえ、明らかに一般人がおいそれと会いに来られる場所でも相手でもない。

「いいや。問題ない。ソウヤが客人を招くことは珍しい。その上、そなたには一刻も早く会うべきだと考えていた」

「早く、ですか?」

 ソウヤの話では、北府を経由しているから面会まで時間がかかるのではなかったのか。そう思い思わず聞き返すと、王は頷いた。

「そなたを直接視れば、正体がわかるからな」

「えっと」

 それは、どういう意味なのか。聞き返す前に、王は先ほどのソウヤと同じようなを放った。烏の群れの前でものに比べてごく軽いものだったが、言葉を続けることは阻まれた。

「自己紹介が遅れたな。私は現北方王朝の当主である、ビエイだ」

 堂々と立ったまま名乗る王に、椎名はもう一度頭を下げる。

「椎名 沙良といいます。よろしくお願いします」

「椎名 沙良か」

「はい」

 初対面であるにもかかわらず、自分の名前を滑らかに発音されて椎名は改めて姿勢を正す。

「まずは、其方そちらの要件を聞こう。私に何を聞きに来たのだ」


 問われて、椎名は考える。ヒウチが挙げていた、ここまで来た理由はふたつ。どちらも重い内容だが、自分に直接の関係が薄そうな方から尋ねることにした。

「一つ目は、『スナの手記』の原本をお借りしたい、と思って来ました」

 王の目が、わずかに細められた。

「原本、ということは、中央府の複写版を読んだのだな」

「はい。それを読んで、内容が抜けているのではないかと思いました。なので、完全版の『手記』を見て、何が抜けていたのか確かめたいのです」

「『スナの手記』は現地語、かつ古語で書かれている。そなたは、こちらの言葉が読めないのではないか?」

「これを求めてるのはサラだけじゃない。ヒウチや、シウラや、他の守護者たちも知りたがってる。きっと守護府で解読するんだよ」

 一瞬言葉に詰まった椎名の間を、ソウヤが埋める。

「であるならば、そなたと一緒に来た中央府の守護者と話をするべきだろうな。あれは盾者に易々やすやすと見せてよいものではない。現役の守護者に見せるつもりはないが、其方の言い分を聞くべきではあろう。我らは盾者と反目しあうつもりはない」

「その、『スナの手記』を読みたい理由が、あなたにお会いしようと思った二つ目のわけです」

「ほう?」

 自分の力を思い返して、足がすくみながらも椎名は思い切って口を開いた。

「わたしは、銅鏡なしで“ヤタカガミ”を使えます」

 そういった瞬間、天幕の中に強烈なが走った。悪いことをして胸の奥が締め付けられるような、強烈な罪悪感が生まれる。その場に立っていることもままならず、椎名は胸を押さえてその場にへたり込んだ。

「サラ!」

 ソウヤの声と、彼が椎名と王の間に立つのがおぼろげながらに感じられる。

「ソウヤ、そこの者にヤタカガミの術を教えたのか」

「違う!サラは、自分でこれを身に着けたんだ!そもそも、術は人間に教えて身につくものじゃないんでしょ?」

 ソウヤが叫んでいる間は、彼自身も圧を発しているらしい。王の圧を彼の圧が跳ね返す。ほんの少しだけ身体が楽になって、椎名はどうにか立ち上がった。

「どうなんだ?椎名」

 なおも圧を振りかざす王の目をまっすぐ見て、椎名は頷く。

「ソウヤの言うとおりです。五賢者や、守学校にいる候補生のみんながヤタカガミを使うところは見ました。ソウヤのも見ています。でも、どうやって使うかは知りませんでした。たまたま、黒い人たち……ヤタノカミに囲まれたときに切り抜けようとしたら、ヤタカガミが出たんです」

 椎名がそこまで言い切ると、王は椎名の目をじっとのぞき込み、圧を弱めた。

「どうやら、嘘は言っていないらしいな。少なくとも、そなた自身は自分が言ったままの形で現象を起こしたようだ」


 真っ直ぐ立っていた王が、檀の中央から縁に向かって歩いてくる。

「一度、私の前でヤタカガミを見せてもらう」

「シウラも見たがってたから、シウラとヒウチがいるときの方がいいんじゃない?」

 この場で出させるのかと一瞬身構えた椎名だが、すぐにソウヤが割って入る。

「そうだな。本当にこの「圧」の持ち主で、かつヤタカガミを出すのであれば、守護者にも働いてもらう必要がある。すぐに手配させよう、アツマ」

「はい、父上」

 間髪を入れずに背後から声がして、椎名はびくっとした。長身で、暗い栗色の髪と目を持つ青年が天幕から足を踏み入れるのが見えた。

「北府と中央府の守護者に伝達を。其方の調子が整い次第直ぐに我が許へ訪れること。それぞれの守護府の任務よりも優先させよ」

「承知いたしました」

 青年は真っ直ぐ王を見つめると、そのまま踵を返して天幕の外へと出ていく。


「今の、ソウヤのお兄さん?」

「うん」

 思わずつぶやいた声に、ソウヤが頷く。名前と、王を父と呼んだことから明白なのだが、あまりにも容姿と雰囲気が違うので、気づけば口からついて出ていた。

「あんまり、似てないんだね」

「アツマは、八咫烏やたがらすとしての力が弱い」

 ソウヤとの会話に気が緩んでいた椎名は、その一言で王の方を振り返る。

「あれはからすになることもなければ、カガミを使いこなすことさえ満足にできない。我々の力の衰えは深刻だ」

「でも、兄さまは人をまとめる力がある!」

「個人の資質ではない。われらが人に「北方王朝」と呼ばれるゆえん、その特質を失いつつあるということだ。ゆえに、北方王朝に近しい力を使う人間は、看過しておけぬ」

 鋭い瞳に見据えられ、椎名は身がすくんだ。

「まあ直ぐにわかることだ。そなたが持つという、ヤタカガミ力を見ればな」

 圧を緩めた王は、口調も若干和らげたように感じられた。

「そなたも長旅の後すぐにこちらに来たのだろう。一度北府に戻り、守護者たちと合流してからこちらに来るのだ。私はいつでも待っている」

「はい」

「では行け。ソウヤ、任せるぞ」

「当たり前です。サラ、行こう」

 王を睨みつけてから、ソウヤは椎名の手を取る。


「久しぶりに父さまと正面から話したけど、やっぱりムカつく。サラ、ちょっと現界に寄ってもいい?疲れてる?」

 天幕を出てすぐにそういうソウヤは、わざとらしく顔をしかめた。ちょっとコンビニ行くようなテンションで世界を渡るのはどうかと思うが、それがソウヤにとっての「普通」であり、息抜きの方法なのだろう。

「いいよ。鏡界きょうかいを走るよりは疲れなさそうだし」

「じゃあ、森がきれいなところにいこう」

 ソウヤが駆け出し、虹のトンネルが生じる。

 王の話で気になることは色々あったが、一旦気分転換をしたいのは椎名も同じだった。王の見えない圧から逃れるように、椎名も力いっぱい駆け出した。


    ○ ● ○


 わずかな異変に気付いたのは、シウラだった。

 アツマが王の指示を伝えに来た際、シウラとヒウチは同室で打合せをしていた。アツマを見送るついでに、二人は北府の庭におりてきた。かぐわしい香草が咲き誇るさまを楽しんでいたヒウチは、険しい顔で空を見上げるシウラに声をかけた。

「シウラ、どうした?さっきの話が気になるのか?」

「アツマ殿の言伝ことづてだけでは、王が俺たちを呼ぶ正確な理由はわからない。行くしかない、ということだろう。それよりも、見えないか」

「うん?」

「空の向こうに、人影が透けて見える。姿はわからないが、あれは明らかに人だ」

「雲の影じゃなくてか」

「ああ。ヒウチ殿は」

「私は、シウラほど目が良くないからな。言われてみれば少し空が暗い気はするが、人影まではわからないな」

「そうか」

 小さく頷いたシウラは、厳しい表情を崩さずに空を仰ぐ。


「だが、どういうことだ? 空の向こうに人影が見えるっていうのは」

「少なくとも、北府の今の姿を映しているわけではない。蜃気楼しんきろうなどとは別物だ。しかし、実際なんであるかはわからない……何となくだが、嫌な予感がする」

「そうか。私にはわからないが、シウラの嫌な予感は、そこらの山勘よりも信憑性があるからな……あとで北府の通信盾から、ミネたちに連絡をとってみないか?」

 ヒウチの提案に、シウラは頷く。

「そうだな。もしかしたら他の場所でも、同じような現象が起きているかもしれない。確認は必要だと思う」

「じゃあ一旦部屋に戻って、王さまに会った後は守護者の会議だな。慌ただしいが早い方がいいだろう」

「すまない。せっかく来てもらったのに、ゆっくりできず」

「構わないさ。元々仕事をしに来てるんだからな。シーナが戻ってきたら、話を聞いて、少し休んで行こう」

「わかった」

 椎名がソウヤと共に王に会っていることは、アツマから聞いていた。まずは彼女の帰りを待つことにして、二人は解散した。

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