二十七話 烏の一族

 ソウヤが北府の敷地をのぞくと、あわただしい気配が伝わってきた。


「シウラ様の笛が聞こえました。間もなく、こちらにに戻られると思います」

 近くにいた執務官を呼び止めると、そんな答えが返ってくる。

「そっか。シウラが帰ってくるってことは、シーナとヒウチがようやく着くんだね」

 その場で真上に飛びあがりつつ――会話をしていた執務官は驚いてしりもちをついた――そう独自して、ソウヤは身体の向きを変える。

「いちおう、父さまに伝えてこようかな」


 いつものように空を飛び、深い森の間にわずかに見える広場に着地すると、そのまま建物の裏口から中に入る。

「父さま。中央府のヒウチとシーナが、もうすぐこっちに着くみたいです」

 王の間がざわつく気配がしたが、一瞬で静まる。

「ソウヤ。その話は北府の者から聞いている。それよりも、此方こちらに来て姿を見せるように。お前が侵入者ではないか、此方側にいる者たちが気にしている」

 裏口の近くから声をかけているソウヤの姿は、正面口側にいる護衛たちからも父からも見ることができない。これはわざとだ。ソウヤは誰にも見えない苦笑いを浮かべて、“圧”を発する。

「父さまがわかっておられるならば、それでいいじゃないですか。それとも、僕の“圧”を視ることが目的ですか」


 部屋の空気が変わる。目に見えない、強い力の奔流ほんりゅうが満ちて一般人であれば息もできないくらい、濃密な圧がかかる。護衛たちと思しき者たちの苦悶くもんする声が聞こえた。


「父上、ソウヤ!」


 重苦しい空気を破ったのは、別の場所から聞こえた声だった。正面から走ってくる気配と、扉が開く音。その瞬間、父が放っていた“圧”は消え去り、それを確認してからソウヤも“圧”を解除した。

「ここ数日で、北府の盾者たてしゃもこちらの護りも疲弊ひへいしています。こんな時に身内を痛めつけるのはやめてください」

「痛めつける、という言い方は適切でないぞ。これは、我々の……盾者たてしゃとは違う、支配の形だ」

「人の姿で在るならば、その倫理観を守るべきです!」

「そうしてきた結果どうなったか、そなたは身をもって知っているだろう」

 その場に重い沈黙がおりる。


 ——また始まった——


 ソウヤは小さく首を振ると、裏口から音もなく滑り出た。閉ざされた裏口は、まるでそこには何もなかったかのように継ぎ目が消え去っていく。


    ○ ● ○


 ソウヤが北府と王朝を行き来してから約二時間後。椎名たちは北府に到着した。


 シウラに言われた通り、駐在所を過ぎた先の旅はスムーズに進んだ。海が見えたあとはほぼ全区画、浮動車で渡ることができたので椎名が自分の足を動かすことはほとんどなかった。しかし。

「それでも、疲れるものは疲れるよね」

「長旅でしたから。ゆっくりお休みください。王様への面会まではまだ時間がありますから」

「ありがとうございます」


 北府の離れにある部屋に通され、椎名は案内してくれた女官に急いで頭を下げた。独り言を拾われてしまったのが少々恥ずかしかったが、女官は気にする様子を見せずににこやかに去って行った。

 一人暮らしするには十分な広さがある部屋に、広いベッドが鎮座ちんざしている。椎名は周囲を見渡してから、思いっきり飛び込んだ。思ったより柔らかい布に身体が沈み込む。


 ――うわー、極楽ごくらく――


 北府にくる間にもあったが、北府そのものにも湯治施設温泉があった。温泉に入ってこんなベッドで寝たら、いくらでも眠ることができそうだ。そもそも、ここにくるまでの道のりで、ここまで心地の良い寝具を使えた日は無かった。

 まだ日は高い時間だったが、椎名は布団をかぶるのも忘れ、あっという間に意識を手放した。


    ○ ● ○


「シーナ、シーナ、……サラ!」

 最近全く耳にしていなかった自分の名前を呼ばれ、椎名は飛び起きた。現界げんかいに戻ったのではなく、現界での椎名を唯一知る存在、ソウヤがすぐそばに立っていた。

「な、なんで、名前を……」

「だって、北府だとシウラがいるじゃん。シウラとシーナって響きが紛らわしいから。サラの方が呼びやすい」

 ソウヤはそういうと、椎名のほうを見ずに扉のほうへと向かう。


「ちょっと寝て元気になったら、行こう。父さまに会いにきたんでしょ?」

「ちょっ、と待って」

 さっさと扉を開けようとするソウヤの腕を慌ててつかみ、寝起きの頭を働かせる。

「ここで少し休ませてもらって、王さまに合わせてもらう予定になってる。まだ許可が下りるのに時間がかかるって聞いてるから、もう少し待とうと」

「うん。でも北府経由の許可を待ってたら、いつまでかかるかわからないよ?僕が会いにいけばすぐだけど」

 手をつかまれたまま引っ張ろうとするソウヤを押しとどめながら、椎名はわずかに生まれた違和感に気づいた。


「えっ、王さまって、ソウヤのお父さん?」

「うん。あれ、サラは知らないんだっけ」

 あっさりと答えるソウヤに、椎名は一瞬言葉に詰まった。ソウヤが北方王朝の一族だということはあちこちで聞いていたが、そこまで地位が高いとは思っていなかった。自由に動き回る彼に、シウラたちが手を焼いているようだった理由も頷ける。

「じゃあ、ソウヤって、王子さま?」

「まあ、そうなるかな。次の王は兄さまがなるはずだから、僕はそんなに王族のしきたりとか、勉強してないけど」

「お兄さんもいるんだ」

「うん」

 前を向いたままのソウヤの足元が光に包まれた。まずい、と思った瞬間、椎名の身体はものすごい速さで前進していた。現界に行くときほどの早さではないが、逆に周りの景色がゆれて見えるので目が回る。かといってソウヤをつかんだ手を離すと、見知らぬ土地に置いてけぼりになりそうでままならない。


「ソウヤ!これ辛い!気持ち悪くなる」


 北府の区画らしき部分を抜け、森が見えたあたりで椎名は叫んだ。とたんに見る見る減速し、動きが止まる。ふらついた椎名の背に硬いものがあたり、そのまま崩れ落ちそうになるのをソウヤが支えた。

「サラ、大丈夫?」

 心配そうに下から覗き込むソウヤと目が合う。椎名が北府に来てから、目が合うのは初めてだった。落ち着かないように何度も瞬きをする青色の瞳を、じっと見つめた。

「サラ……?」

 ソウヤはふっと顔をそらし、椎名を立ち上がらせる。高い高いをするように勢いよく身体が持ち上がり、またふらつきそうになったがなんとかこらえた。自分の背中を支えている硬いものがソウヤが作る盾だということに、そのときようやく気づく。

「あ、うん。落ち着いてきた。でもあの速さで走るのはもうしんどい。景色で酔う」

「ごめん……」

 盾に思い切りもたれかかりながら——ソウヤにとって、その程度の抵抗が負担になることはないだろうが——抗議の目を向けると、ソウヤは珍しくうなだれた。


「誰かと一緒にいるときにこの術を使うことはないから、感覚がわかんなかった。いつも、サラは大丈夫そうだったし。……それに、早く北府から離れたかった」

「北府から?」

「見つかるとめんどくさいから」

 そういったソウヤは、いつもどおりの飄々ひょうひょうとした雰囲気を取り戻していた。

「サラ、歩けそう?」

「うん。普通に歩くのは大丈夫そう」

「じゃあ、歩いていこうか。見つからない道を通って」

「それ、わたしも歩ける道?」

 ソウヤなら自身の力を使って、ソウヤしか通れないようなルートを使っていそうだ。それを懸念けねんして聞いたのだが、ソウヤはわずかに身を硬くした。

「歩ける道。広い道だけど……」

 顔を上げたソウヤは、再び表情が硬くなっていた。


「サラは、僕のこと、どれくらい知ってる?」

「ひとつの場所にいるのが嫌い、とか?」

「う、ううん。そうじゃなくて。僕の家のこと」

 なぜ今その質問を、と思いながらも椎名は考えた。

「ついさっきソウヤから聞いた話と、北方王朝の人は八咫烏やたがらすの子孫、っていうことくらいかな」

 そういうと、ソウヤの表情はわずかに和らいだ。

「そっか。知ってるんだね」

「本当なんだ。ソウヤが、八咫烏の」

「うん」

 椎名が最後まで言い切る前に、ソウヤは頷いた。


「それなら、見せても大丈夫かな。こっちから行こう」

 そのまま手を引かれ、歩き始める。あまりにも自然に手をつながれたので、椎名は導かれるままについていくことになった。


    ○ ● ○


 人気ひとけの無い、その割には舗装された道が先の方に見える。そこまできて、椎名は思い切って聞いてみることにした。

「見せても大丈夫って、ソウヤが、八咫烏になるの?」

「ううん。そこまではしない」

「そこまではって」

「ただ、力を使うだけ」

「それは、今までも、」

 言いかけて、口を閉ざす。明らかに、ソウヤが示しているであろう場所にたどり着いたからだ。


 密林ともいえる濃い森の中に、一本の広い道が通っている。森に作るのは不自然なくらい、広い道が。それだけのことで、ここが普通の場所でないことが感じられた。


 王の住む城への、入口。


 ソウヤに手を引かれて足を踏み入れると、四方八方から視線を感じて首を竦ませる。

 木々の間をよく見ると、そこにはおびただしい数のからすたちが、わたしを見定めるかのようにじっと見つめていた。実際、「見定めている」のは本当だろう。本来ここは、人が立ち入って良い場所ではないのだから。それにしても異常な数だ。これだけの数の烏に観察されると……緊張する。

「サラ、怖い?」

 半歩前を歩いていたソウヤがこちらを振り向き、訊ねてくる。その顔には表情が浮かんでいなかった。だが、それだけで椎名にはソウヤの考えが何となくわかった。


 ——彼は、わたしが烏たち自体を怖がっているのではないか、ということを恐れている——


 烏を怖がることは、本来の彼の姿を怖がることと同義だ。だから、彼も緊張しているのだろう。椎名はそこまで考えて首を横に振る。

「怖いよ。……でも、彼らが怖いんじゃない。私が彼らにどう見られているのかが怖いんだ。彼らが私を不快に感じているのなら、無事に帰れない気がして」

 そう答えると、ソウヤは表情を和らげた。

「そっか。それなら大丈夫。サラがそう思っている限り、あいつらは攻撃してきたり不快に思ったりなんてしない。彼らは不必要に恐れられることと、尊厳を認められないことを何よりも嫌うんだ。だから、対等に自分の見え方を心配しているサラは大丈夫。それに、」

 今度ははっきりと笑顔を見せ、彼は続けた。

「それに、僕と一緒にいる限り、あいつらにサラを攻撃させることはないよ。僕にも、彼らを押さえ込めるくらいの力はあるから」

 そういうと同時に、ソウヤを中心として強い圧迫感が周囲に拡散した。一瞬で引いた自体は目には見えなかったが、直後に身を乗り出していた烏たちが明らかに大人しくなった。


 彼がいかに強い力を持っているのか、身を以て感じてしまった。これだけの数の烏を全て統率することができるのか。おそらくこれが、ソウヤの言っていた「見せても大丈夫な力」なのだろう。


「行こう」


 だから、だろうか。先ほどよりも強く、椎名はソウヤの手を握った。

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