二十六話 北府への旅4

 日が暮れる前ににたどり着いた駐在所は、椎名が思ったよりも広かった。丸太を組んで作られた二階建ての小屋で、一階部分は裏手にせり出している。せり出した部分は壁面が竹垣になっており、中が温泉になっているのだろうと思われた。

 着いて早々、久しぶりの湯浴みを済ませたヒウチとシウラは、打合せをするために執務室に向かった。二人が出たあと、貸切状態にしてもらった椎名はひとりでゆっくり温泉を堪能たんのうした。赤みがかったお湯はわずかに鉄のにおいがして、くせはあったが身体の芯まで温まった。


 着替えた椎名が執務室の横の休憩所に向かうと、シウラが一人で窓のそばに立っていた。

「シーナ、こちらへ」

 足音で気付いたのか、すぐに椎名の方を向いて手招きをする。横に立つと、シウラは窓の外を向いたまま話を始める。

「ヒウチ殿から話を聞いた。『スナの手記』と、ヤタノカミの襲撃の件だ。……ヒウチ殿はオウウが関わっていると推定されていたが、恐らく間違いないだろう。申し訳ない」

「い、いえ!シウラさんが悪いわけじゃないですし」

 こちらに向き直り謝罪を口にするシウラに、椎名は慌てて手を振った。そしてシウラが謝罪したことから、オウウは北府の出身で、能力を買われて中央府に来た人だったということを思い出した。


「いや、オウウを中央府に行くように推薦すいせんしたのは俺だ。それに、オウウがヤタノカミの思想に共感しているのも何となくだが察していた。中央府はヤタノカミの人員が少ないから支障は無いだろうと思ったのだが……俺の判断が甘かった」

「本当にいいんです。それよりヤタノカミって、北方王朝の人たちを信仰しているんですよね?具体的には、どういう思想なんですか?」

 ひとしきり反省しているシウラの弁に気になる言葉があり、椎名は聞き返した。

「基本的には、北方王朝、つまり八咫烏やたがらすの一族を鏡界きょうかいの祖としてあがめている。八咫烏の一族が作り出したものに対しても神聖視しているから、人を攻撃、制圧するときにはたてを使わないという思想をもつ者もいる」

「盾は、八咫烏が盾者に教えたものだから、ですか」

 それは、幾度いくどか攻撃してきたヤタノカミの影のほとんどが、盾ではなく吹き矢で攻撃してきたことと一致する。

「そうだ。一方で盾のことは気にせず、八咫烏の血筋のみを崇める者もいる。そのことから、王朝の中で直接、王族の手伝いをする者もいる。ヤタノカミは、一枚岩の組織ではない」


 そこで一旦言葉を区切ったシウラは、再び椎名を見据える。

「ヤタノカミの思想の根拠は、ほぼすべてが『スナの手記』だ。俺が知っている限り彼らの信仰と、シーナが読んでみせた『スナの手記』の内容に大きな矛盾は無い。

 そうなると、現時点で彼らがシーナを狙う理由は二つ考えられる。

 一つは、『スナの手記』の解読ができるシーナが、守府しゅふの側につくことを良しとせずに離そうとしている。もう一つは、ヤタノカミが知っている、北方王朝が所有する『スナの手記』の原本に、シーナが読んだ版とは別の内容が記載されている。そこの内容を根拠に攻撃している。

 いずれにせよ、今は確証を得られる要素は何もない。ヤタカガミの発動が絡んでいる可能性もある。それを明らかにするためにも、今回こそは、『スナの手記』の原本を北方王朝に開示してもらう必要がある」

「わたしを守府から離すか、わたしたちが知らない、何か北方王朝に不都合な状況があってわたしを攻撃してきている」

 言葉に出すと、自分が非常に厄介な邪魔者のように思えてくる。


 ——でも、ソウヤはわたしを守ってくれた。本当に北方王朝に不都合があるなら、ソウヤは助けてくれないはず——


 暗い表情になっていたのを見て取り、シウラは淡々としていた口調を穏やかなものに変える。

「他者にどう思われようとも、自分がどう生きるかの意思を固め、自分の足で道を切り開く者もいる。シーナはヤタノカミの思想に押されぬ意思があるからこそ、ここまで対抗してこられたのだろう。シーナは、この世界で何を望む」

 そう問われて、椎名は改めて考える。


「たしかに、この世界、鏡界に来たのは偶然でした。でも、私はソウヤ、シウラさん、ヒウチさん、たくさんの方々に助けてもらって、ここで楽しく生活できています。特に、最初何もわからない私に鏡界の仕組みと、生活場所と、盾の使い方を教えてくれたヒウチさんには、何か恩返しがしたいと思っています。『スナの手記』を読むことで手助けになっていると、ヒウチさんは言ってくれますが……」

 話しながら自分の考えをまとめていく。そして今回の旅が、椎名のヤタカガミ発動理由の解明に留まらず、『スナの手記』の解読も目的にしていることを今更ながらに思い出す。

「この旅で『スナの手記』が全て解読されたら、わたしは別のことで、ヒウチさんのお手伝いがしたいと思っています。どうすればいいのかは、まだわかっていませんが。中央府ちゅうおうふの仕事もわかっていませんし、ヒウチさんは、ひとりでなんでもできますし」

 小さく頷きながら聞いていたシウラは、窓の外に広がるうす暗い森林に目をやる。

「中央府と北府は根本的に仕事が違う。俺たちは各地方を平定していれば良いが、中央はこの世界全体のバランスを取らなければならない。だから、守護者に求められる役割も違う。俺のように一つの盾に特化しているのではなく、ヒウチ殿のように状況に応じてバランス良く様々な盾を繰り出せる方が中央には向いている。そういうことだ」

 シウラは、そういうと剣盾つるぎたてつばを取り出した。

「だから、俺は俺の仕事をこなす。俺のこの力を使って。こちらに関わる仕事は絶対に成し遂げる。お前も、中央でヒウチのことを助けたいと考えているならば、その責任を果たせ」

「責任」

「そうだ。意思さえあれば自分の力で立ち上がることができるが、意思はそれを貫き通す責任が伴う。ヤタノカミに……ほかの誰にどう思われていようと、自分の意思をもち、責任を果たせば守府の者は受け入れる」

 再び淡々とした口調に戻っていたシウラは、ふっと表情を和らげた。


「シーナの考えは理解した。ヤタカガミにあらがい、『スナの手記』を解読したその意思があれば、責任を果たすことも容易いだろう。時間を取ったな」

 シウラはそういうと、二階へと上がっていく。椎名は慌てて頭を下げてから、彼の姿を見送った。

 ふんわりと考えていた鏡界への愛着が、責任という言葉で急に重みをもったような気がした。


 ――鏡界にいるのが楽しくて、それで居たいっていうだけじゃダメ、なんだよね――


 自分が鏡界にきたことで、いろいろな人が動いている。その中で何もしないでいるというのは、椎名にはできない。少なくとも、ヒウチとシウラを裏切るような真似は、したくない。ここまで手助けしてくれている二人にとって、プラスになるようなものをもたらしたい。そして、もう一人。


 ――ソウヤは、どうなんだろう。私が鏡界に来た直接の原因だけど――


 鏡界よりも現界げんかいに行くのが好きで、自由に、思うままに生きているように見えるソウヤ。自分の住む世界に居心地の悪さを感じているのは、椎名と同じだ。ヒウチともソウヤ本人とも話をしたが、椎名は、ソウヤが自分を連れてきた理由を何となく予想していた。

 おそらくソウヤは、居心地の悪さを共有できる存在として、椎名に目を付けたのではないか。彼は、自分の考えに共感できる人の存在を求めていたのではないか、と。


 椎名自身は、ヒウチのように他の人のことを思いやったり、シウラのようにしっかりとした考えをもって日々を生きているわけではない。しかし、似たような立場の人に共感することはできる。

 きっかけはソウヤの「共感」だったのかもしれないが、椎名は鏡界とソウヤ自身ににそれ以上の愛着を覚えていた。現界で居心地が悪いことがあっても、ヤタカガミを張るように距離を置いてやり過ごせばいいということを、ソウヤは教えてくれた。


 ――わたしは、鏡界で居心地よく生きるための方法を、ソウヤに伝えられているだろうか――


 そもそも、ソウヤが椎名のことを知っているのに比べ、椎名がソウヤについて知っていることは少ない。彼が鏡界の何に居心地の悪さを感じていて、あれだけ現界に行きたがるのかが未だ見えてこない。


 ――北方王朝に行けば、わかるのかな――


 椎名はそう信じることにして、数日ぶりのふかふかした布団にもぐりこんだ。


    ○ ● ○


 シウラは、椎名と別れたあとも休憩所で聞いた話を反芻はんすうしていた。


 ――もし、シーナを攻撃しているヤタノカミが、王の意向を汲んで動いているのだとしたら。シーナは王朝で囚われる可能性がある――


 シウラは首を横に振り、その考えを追い出した。


 ――今考えても仕方のないことだ。事実の究明。今回の目的は、それを為すことだ。万が一であったとしても、事の発端はソウヤ殿であるし、即座に捕まることは無いだろう――


 彼はもう一度首を横に振って、床に就いた。

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