二十九話 北の王2
椎名が北府の離れにある部屋の前まで戻ると、入口でヒウチが待っていた。
「ずいぶん長いこと、話し込んでいたんだな」
暗に帰りが遅いと指摘されて、首をすくめる。
「ごめんなさい。ソウヤと、少しだけ現界に行っていました」
「このタイミングで?」
「はい……ソウヤが、息抜きがしたいと言って」
「そうか」
さすがに怒られると思い、身を固くした椎名だったが、ヒウチは軽く首を振り穏やかな表情で椎名を見た。
「王さまは、俺たちとは違う力を使うと聞く。直接会ったのなら疲れただろう」
「はい、少し……強い向かい風の中に立っているような、圧力を感じました。立っているのが難しい時もありました」
「ああ、圧の話はシウラから少し聞いたことがあるな。王さまは自分の力を示し、自らの主張を聞かせるための圧を放つのだと。俺たち
「たぶん、わたしもそうだと思います」
「そうか」
ヒウチはそういって、一歩後ろに下がった。
「王さまに会って、ソウヤに連れまわされて疲れただろう。少し休んだほうがいい。ソウヤの動きは王さまもご存じだろうし、その程度のことで、遅いと文句は言われないだろう。さあ」
部屋の中に入るように促され、言われるがままにドアを引く。
「ゆっくりお休み」
「はい。ありがとうございます」
ヒウチに教わった方法で盾を出し、扉を施錠する。今度こそ、安眠につくべく椎名は布団にもぐりこんだ。
○ ● ○
「来たか」
天幕の横にある、広大な広場。木々に囲まれて見晴らしこそ悪いが、学校の体育館がすっぽり入りそうな空間に、椎名・ヒウチ・シウラは立っていた。
「ソウヤもどこかで見ているだろう。手出しは無用だ」
一瞬、強い圧が身体を押し、木々がざわめいた。それを確認するように左右に眼をやってから、王は椎名たちに向き直った。
「これから、椎名にはヤタカガミと呼ぶ力を出してもらう。相手はこのアツマだ。私は上から、それを確認させてもらう」
「アツマ王子相手というのは、リスクではありませんか」
ヒウチの問いかけに、王は首を横に振る。
「アツマは確かに力が劣るが、自衛くらいはできる。シーナが出す盾がヤタカガミではないモノ、危険なモノであると判断した場合は私が止める。
「問題ありません。父上を実験台にするわけにはいきませんから。シーナさんも、遠慮なく技を使ってください」
「わ、わかりました」
アツマに穏やかな表情を向けられ、椎名は頷いた。王子であり、ソウヤの兄でもある彼に盾を向けるのは気が進まないが、ここで決めるしかない。
「では、さっそく見せてもらおう」
王はそういうなり、アツマのそばを離れる。
王の周りに金色の光の粒が集まり、輝く。粒の中にいる王の影がゆらぐ。突然始まった現象に、椎名はあっけにとられながらも目が離せなかった。
光の粒はどんどん膨張し、人の二倍ほどの背丈にまで伸びる。ほぼ球体になったそれが、いきなり弾けた。光の中には王ではなく、巨大な黒鳥が鎮座していた。
「これが……八咫烏」
『そうだ』
シウラの呟きに、声が応える。深い藍色の羽に、三本の足。見た目は明らかに鳥……八咫烏だが、頭に響く声は紛れもなく、王のものだった。
『この姿でも言葉は通じる。カガミの力を見極めるにはこの状態が一番よい』
そういうなり、
王はアツマの近くにある樹上に移動して、動きをとめた。
「あれだけの巨体で、木の上にいて危なくないのか」
「ビエイ殿は優れた盾を使われる。彼自身の防御は、先ず大丈夫だろう」
ヒウチとシウラの会話を背後に聞き、椎名は一歩前に踏み出した。
「いきます」
二~三メートルほど先に立つアツマを見据え、彼がヤタノカミであることを想像する。穏やかな表情の彼が、小さな針を持ち黒い姿でそこにいるのだと必死に思い込む。しかし、
――で、出てこない――
手を前に構えているが、そこには何も出てこない。
『危機感、が足りないようだな』
と、上空から声が響き、黒い
「させない!」
その瞬間、黒い礫の目の前に金色の壁が生じた。レース織のように繊細な金の細工が輝き、うねり、円を形作る。壁に触れた礫は霧散し、到達する前の礫は上空へと戻っていく。
木々の上からはバサッ、バサッ、と大きく翼を叩く音がする。
「シーナ!これ以上は、王が」
『問題ない。これはどうだ』
間髪を入れずに、黒い矢尻が飛んでくる。しかしそれらも黄金の盾の前に到達した瞬間、すごい速さで戻っていった。
『ふむ。もういいだろう』
椎名はちらりと、横に立つソウヤを見た。ソウヤが頷いたのを確かめてから、前に向けていた手を下ろす。たちまちのうちに盾は崩れ、金色の粒が舞い、消えた。
「確かに見させてもらった」
いつの間にか人間の姿に戻っていた北の王が、アツマの横に立った。
「椎名。そなたが使うのは、未熟ではあるが確かに“ヤタカガミ”だ」
「父上、それは」
「アツマ、そなたも見ただろう。あれは盾ではない。カガミに違いない」
「盾、ではない?」
思わず問い返した椎名に、王が再び向き直る。
「カガミは、自らの心象を写し他者に反映させるもの。一方、人間が用いる盾は他者を拒むものだ。賢者とやらが銅鏡を使って発動させているモノは、性質が違う」
「賢者たちが使うヤタカガミは、王が定義されるヤタカガミではない、とおっしゃるのですか」
「ああ。そなたらも今見ただろう。本物のヤタカガミとは見た目も違う。或いは、力も違う。賢者のモノは、先ほどの私のカガミを防ぐことはできても、私の手元まで戻すことはできなかっただろう」
王は椎名の背後に立っていたヒウチとシウラを見やり、小さくかぶりを振る。
「これだけの力をもっているならば、王朝に迎え入れたいところだが……歴史は繰り返す、か」
「父上?」
「椎名、中央の守護者。もうしばらく
突然『スナの手記』の話を持ち出され、椎名は思わずヒウチの方を振り返った。ヒウチは硬い表情で王を見上げる。
「王。それは、『スナの手記』に書かれている描写が、シーナがヤタカガミを使えることと関係がある、ということですか」
「そうだな」
「では、今教ええていただくことは」
「それはできない」
「理由を伺っても、宜しいですか」
「影響が読めないからだ」
短く答えた王は、周囲にいる五人の顔を見回した。
「伝えるべき者は誰か、
目を動かしていた王の視線が、ソウヤのところで止まる。
「私が然るべき者に声をかけるまで、ソウヤ、異界渡りを禁じる」
「何でだよ?」
「危険だからだ」
「今まで、危なかったことなんてない」
「そういうことではない。今まで、見えていなかっただけだ」
「は?」
「私が言っている理由がわかるまで、
突っかかるソウヤの言葉をいなし、王は椎名たちに背を向ける。
「今日はここまでだ。また日を改めよう」
「王、」
「かしこまりました」
何か言いかけたヒウチの
「今日は、ありがとうございました」
「礼を言われることではない。そなたの力を見極めただけだ。すべては、鏡界のために」
王はそれだけ言うと、アツマを従えて森の奥へと去って行った。
「あーむかつく」
王の姿が見えなくなるや否や、ソウヤが彼らの消えた先を見据えて言い捨てる。
「いっつも、理由を言わずにああしろ、こうしろってさ。王なんてちょっと人より知識があるってだけで、もったいぶってさ。ごめんねサラ」
「ううん。わたしの盾がヤタカガミだって言ってもらえて、ちょっとすっきりした。何で、わたしが使えるのかは、わからないけど」
「『スナの手記』に関係あるんでしょ?すぐ教えてくれればいいのに」
「いや、王さまのおっしゃるとおりだ」
なおもふくれているソウヤを、ヒウチがなだめにかかる。
「私は『スナの手記』の内容を確認しに来たんだ。王さまが機を見て、必要な情報を教えてくださるのであればそれに越したことは無い。幸い、まだ時間はある。指示があるまで、こちらでゆっくりさせてもらうよ」
「ああ。それに、ソウヤ殿に対して異界渡りを禁じていたことも気になる」
ヒウチに対して頷いたシウラは、何か言いかけたソウヤを目線で黙らせる。
「シーナのヤタカガミと、ソウヤ殿の世界を渡る力。ソウヤ殿と同じ力を持つ八咫烏が登場する『スナの手記』。恐らくすべて、関係している。それに、俺も嫌な予感がする」
「さっきいってた「空の向こうの影」か?」
「ああ」
「空の向こうの影、ですか?」
口を挟んだ椎名を見て、シウラは軽く頷く。
「個人的な勘だ。今ここで共有できるほどの内容ではない。詳しいことは王の話を聞いてからにしよう。こちらが持っている情報は少なすぎる」
「そうだな」
「わかりました。お願いします」
「サラも納得してるなら……僕もとりあえずおとなしくしてるよ」
シウラが出した結論に、それぞれが同意を示す。ソウヤも不承不承ながら頷いた。
「謎は深まるばかり、だな」
歩きながらぽつんと呟いたヒウチに、椎名は深く頷いた。
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