三章 北方王朝

十七話  特殊盾

 ギィ、ガタガタ、騒々しい重低音が部屋の中に響き渡る。

 喧噪けんそうの合間に、甲高い声が椎名の耳に飛び込んでくる。


「そっちが邪魔なの。どいてくれませんか」

「邪魔なら自分が動けばいいじゃん。私はあんたのために生きてるわけじゃないし」

「うっざ。あんたこそ、クラスにいらないんだけど。うちのクラスからどいてくれない?」

 わざとらしく作った声に、男子たちの笑い声が重なる。椎名は小さくため息をついて、教室から抜け出した。


 ――また、始まった――


 いまに始まったことではない。言い争いをする二人は、椎名ののはずだった。しかし、今は、言葉を交わしこそすれ友人だとは、思えない。


「よく、△△と普通にしゃべれるよな。フツー××みてーにうざがるのに。椎名えらいわ」

 部屋を出た先にいたクラスメイトをちらりと見やる。名前を言っているはずだが、妙にそこだけぼやけて聞き取ることができない。


 椎名の目には××こそ異常に見える。△△は、ケンカを買いやすい面はあるものの、酷いことを言わない限り他人を攻撃することはない。

「嫌いなら、突っかからなければいいのに」

「視界に入るだけでうっとうしいだろ。それで不快にさせるからこっちもどけって言ってんの。こっちは正当防衛」


 はあ、と大きなため息をつく。言葉が通じない。会話するだけ無駄に疲れる。椎名はただ、見ているだけで消耗する△△と××の不毛な言い争いを消したいだけなのに。

 口を出すだけで疲れるし、クラスには誰も共感してくれる人はいない。諦めの境地でもう一度教室に入ろうとしたとき、椎名は目を見張った。


「うわっ、まぶし」

 椎名の横にいたクラスメイトが、思いっきり顔を背ける。椎名は信じられない気持ちで、光の源を見つめた。


 ――どうして、ソウヤがこんなところに――


 ソウヤは△△の側に立ち、××に向かって光り輝く盾を出す。××は何か言おうと口を開いているが言葉にならず、口をぱくぱくさせながら後退していく。駆け寄ろうとする椎名を目で制し、ソウヤはにっと笑った。


『こうすれば、うるさい音から逃れられるでしょ?』


 ソウヤの言葉が頭の中に響き、椎名は頷いた。と、自分の身体に違和感を覚える。


   ○ ● ○


 ガタン、という音で目を開くと、そこはお馴染みとなった中央府にある椎名の自室だった。

「夢、か」

 そうひとりごちて、身体を起こす。しかしベッドから降りるのは惜しくて、体育座りのまま先ほどの夢の余韻よいんに浸る。


 ――盾……ソウヤが出すあの輝く盾なら、物理的に二人の距離を離すことができる。ただの盾じゃ駄目だ。受け止めるのでも、弾くのでも、跳ね返すのでもない。距離を置く盾。向けられた相手が離される盾――


 そこまで考えて、椎名の脳裏に光り輝く盾の姿がフラッシュバックした。


 ――あの盾、ソウヤだけのものじゃない。鏡張みばりのみずうみで白布の人が使っていたのと、同じ。あれも、向けられた相手……現界げんかいから鏡界きょうかいに来た人を追い返すための盾だった。白布の人はソウヤと違ってすごく消耗していたけど、使えはするんだ――

 そこまで思考が及ぶと、椎名はいてもたってもいられなくなった。バタバタと支度をして、部屋の隅にある盾枠たてわくに手をかざす。


『シーナ、どうした?こんな朝早くに』


 輪の中に張られた橙色の盾に黄緑色が混ざり、やや黄味がかった膜からヒウチの声が響く。

「あ、ごめんなさい。執務時間外ですよね。あの、ひとつ聞きたいことがあって」

『なにかな』

「鏡張りの湖で、白い布をつけていた人が使っていた盾を、使えるようになりたいんです。あれは、盾者なら使えるんですよね」

 そういうと、しばし沈黙がおりた。


『結論からいうと、あれは盾者でも、限られた人にしか扱えない。今のシーナが扱うことはできない。しかし、可能性はゼロじゃない。……少し込み入った話になるから、あとで執務室で話そう。『スナの手記しゅき』の解読の前に、少し時間をもらえるか』

「はい、もちろんです。こちらが聞きたいことなので」

『では、またあとでな』

「はい。よろしくお願いします」

 ヒウチの声が途切れるのと同時に、膜から黄緑色が消える。椎名が盾枠の上に手を置くと、残された橙色の盾も消え去った。


 ――不思議な装置だよね、これ――


 ヒウチ曰く、少し離れるだけで音声の質が悪くなるらしいが。電話もメールもないこの世界で、盾枠はなくてはならない道具だった。

 椎名は盾枠を少し見つめてから、移動の準備に取り掛かった。


    ○ ● ○


「来たか」

 ヒウチに促され、執務室の椅子に腰かける。ちょうど正面に、足を組んだヒウチと向かい合う形となった。すっかりおなじみになった、レモンの香りがするハーブティーを飲みながら、椎名はさっそく問いかけた。

「あの、ソウヤとか鏡張りの湖にいた盾者が使っていた盾がわたしに使えるかもしれない、というのはどういうことなんですか」

「私はソウヤが使っているのを見たわけじゃないが、シーナが言っているのはおそらく『ヤタカガミ』のことだろう。盾を向けた相手の時間を巻き戻す力がある」

「は、はい!たぶんそれのことです!あの盾、相手を押し戻しているわけじゃないんですか」

 身を乗り出す椎名を見て、ヒウチはやや目元をやわらげた。


「いい質問だ。確かにヤタカガミは見かけ上、相手を押し返しているように見える。だが、単純に真後ろに押し返しているわけじゃない。数秒前、数時間前……盾を出している間だけ、相手はその時いた場所まで戻される。二分出したら二分前、五分出したら五分前、といった具合にね。ただし、これはあくまで“基本的な能力”だ」

 そこで言葉を切ったヒウチは、ちらりと目線を右に向けた。たちまちのうちに、黄緑色の正円の盾サークルがその場に現れる。


「シーナにはじめて盾を教えたとき、盾には「基本盾きほんたて」と「特殊盾とくしゅたて」の2種類があると教えただろう。今私が出しているサークルは基本盾、今話しているヤタカガミは特殊盾だ。ただし、基本盾、特殊盾にはそれぞれ応用編がある。このサークルが、木の実を跳ね返すこともくっつけることもできるようにね。

 それで、ヤタカガミの応用編だが……ヤタカガミは鍛えると、短い間で多くの時間を巻き戻すことができるようになる。例えば三十秒出したら五分ぶんといった具合にな。達人の域になると、一瞬盾を出すだけで数刻もの時を戻すことができるらしい」

「ソウヤも、盾を出していた時間よりももっと前に戻していたと思います。少しの間出していただけで、ヤタノカミが視界からいなくなりましたから」

 先日の襲撃のことを思い出しながらそういうと、ヒウチは頷いた。


「そうだろうな。ヤタカガミは元々王家が象徴的に持っていた力だ。ソウヤが高いレベルで扱えるのは当然だろう」

「象徴、ですか」

「ああ。鏡界で生きる盾者は、子どもの頃から盾の分類や扱い方を学ぶ。その際に、ヤタカガミは王家を象徴する、神聖な盾だと教わるんだ。物そのものではなく、時間という目に見えない概念に干渉する盾だからだと思ってたんだが、それだけじゃないみたいだな。シーナも読んだだろう、『スナの手記』で」

八咫烏ヤタガラスがスナを助けた盾が、ヤタカガミ?」

「そういうことだ。もっと先まで読めば、より核心的なエピソードが出てくるのかもしれないが。

 鏡界の学校では優秀な学生だけが選ばれて、特殊な道具を使ってヤタカガミの発動方法を学ぶ。“途絶えさせてはいけないが、使い手も限る”方針でな。特殊盾は数多くあるが、道具を使って限られた盾者だけに伝授される盾は、これしかない」

「では、学校に行かない人や、その道具を持たない人は、ヤタカガミを使えないのですか」

「そういうことだ。私は凡庸ぼんような学生だったから、ヤタカガミの発動訓練資格を得られなかった。だから、私はヤタカガミを扱えない。中央府で扱えるのは、「鏡張りの湖」の守護を担う五人の賢者けんじゃと、守学校しゅがっこうで今まさにヤタカガミの発動方法を学んでいる現役の学生五人だけだ」

「十人、だけ」

「ああ。ほかの守府しゅふにもいるはずだが。中央府にいるのは十人だけだな」


 椎名はうなった。道具を使わないと発動できない、それも数がかぎられているならば、椎名が扱えるようになるのは不可能に近い。

「そういうわけで、シーナも私もヤタカガミを自在に扱うことはできないが。……一度だけなら、可能性がある」

「一度だけ、ですか」

 そんなに厳重な盾を、扱える可能性などあるのだろうか。問い返すと、ヒウチは頷く。


「守学校……盾者が学ぶ学校に行き、ヤタカガミの発動訓練を見に行くんだ。私は中央府の守護者として、未来の鏡界を支える優秀な盾者を視察し激励する大義名分がある。そのときに、道具を借りて発動を試みることはできるかもしれない。デモンストレーション的に、な」

「それでも、やってみたいです」

 椎名の脳裏には、目の前で展開された光り輝く盾の記憶がこびりついている。あれを自分の手で為せるのなら、限られた空間であったとしてもぜひやってみたい。

「ならば、早速守学校に行く手配をするか。私もちょうど、守学校に行く用ができたところだ」

「はい!」

 そういってから、椎名はもうひとつ聞きたいことを思い出した。


「あの、ヒウチさん。ヤタノカミの問題は、何かわかりましたか」

 穏やかな雰囲気を保っていたヒウチの眼元が、一瞬鋭くなった。

「いや。仮説どまりだ。おそらくシーナがソウヤと親しいからか、『スナの手記』を読めることか、どちらかだろうがな。どちらにせよ、止められることじゃない。今回の外出については、私と一緒だからいきなり拉致らちされることは無いだろうが。警戒するに越したことはない」

 椎名は無言で頷いた。

「早く、解決してほしいです」

「そうだな」

 ヒウチはそういって、椎名の肩をぽんと叩いた。


「引き続き、調査を進める。進捗しんちょくがあったらシーナにも知らせる。中央府の中では、いままでどおり過ごしてもらって構わない。

 守学校は、こことはだいぶ雰囲気が違うから、息抜きにもなるだろう」

「はい、楽しみにしています」

 椎名は頷き、守学校に思いをめぐらせた。


 ――学校、か。わたしが通うみたいなところじゃないといいけど――

 人間関係よりも、ヤタカガミを間近で見たい欲求の方が強い。わくわくして、その日を待つのだった。

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