三十七話 つながる世界2


「ヒウチ、そちらの鏡張みばりのみずうみがひっ迫しておる」

「わかってる!」


 思わず声を荒げてから、ヒウチはつばを飲み込んだ。事実の確認と対応を目的に開かれた緊急の守護者しゅごしゃつどいで、喧嘩腰けんかごしになるメリットはない。

「ミネ、悪いがそれはわかってるんだ。賢者けんじゃ候補生こうほせい、中央府でヤタカガミを使える盾者たてしゃは全員鏡張りの湖にいる。今できる最大の体制は組んでるんだ。それでも間に合いそうにない」

「北府はソウヤの助力で持ち直したようだがの。ソウヤを、中央府に送ってもらうことはできないかの」

「それはできない」

 即座に否定したのはシウラだ。


「いくらソウヤ殿といえど、半日ヤタカガミを張った後に神術で中央府に移動し、同じだけヤタカガミを張るのは負担が大きすぎる。北府は結局、候補生が全員は集まらなかった。ソウヤ殿に入ってもらって、ようやく回せている状況だ。人を回す余裕はない」

「だろうな。俺のところは既存の賢者だけで何とかなってるが、そっちに人を送るのはリスクが高い。他もそうだろう?」

「そうだね。そもそも僕のところから賢者を送って、中央府につくまでには時間がかかります。その間に東府の湖がひっ迫する可能性もある」

「そうだの。賢者を送ることは、どの守府も無理だろうて。だがソウヤも無理かの」

「ああ」

 はっきりと頷くシウラを目の端におさめ、ヒウチは文字通り頭を押さえた。

「せめて、私にヤタカガミが使えれば……」


「しっかりしろ、ヒウチ!」

 思わず口に出た弱音に、カササの叱咤しったが飛ぶ。


「ヒウチに限らず、俺たちは全員ヤタカガミを使えない。俺たちができるのは、ヤタカガミを使える奴らがなるべく負担にならないように、援護えんごすることだ。それくらいわかってるだろう」

「だが、このままでは中央府の賢者がもたない。ヤタカガミの力だけじゃない。命が、絶えてしまう。未来ある候補生も、このままでは……」

 三度みたびつばを飲み込んだヒウチは、また後ろ向きなことを言っていることを自覚して黙る。しかし、前向きな提案が思いつかない。


 短くない沈黙を破ったのは、シウラだった。

「シーナを呼び戻し、ヤタカガミを張ってもらうことはできないのか?」

 その言葉に、ヒウチはばっと顔を上げた。

「そうだ! 確かにシーナは、ヤタカガミを使える。王さまにも認められた、強力なものを」

「ヒウチ、落ち着け」

「これだけ湖が近づいていれば、湖から幻界げんかいに言葉で呼びかけることができるかもしれない。試してくる」

「おい!」

「ヒウチ!」

 守護者たちの制止の声を聞かず、ヒウチは執務室を飛び出した。


 中央府の表示が無人となったのを見やり、四人の守護者は顔を見合わせる。

「ヒウチのやつ、明らかに正気じゃねえが、どうするんだ? そもそも、シーナがこっちにくることが、世界が近づく原因なんだろう?」

「シーナさんが鏡界きょうかいに来たら、より一層世界が近づいてしまう可能性がありますね」

「もし、シーナがもつヤタカガミが、世渡りの神術と関係するのであれば」

 シウラの言葉に、全員が顔を上げる。

「シーナが行き来して世界を縮めた分だけ、ヤタカガミを使えるのだとしたら。今回こちらに来る分は、シーナが扱うヤタカガミで相殺そうさいできる。これまで縮めた分も、ある程度押し戻せるはずだ」

「根拠はあるのか?」

「明確にはない。が、俺と王で導いた仮説だ」

「王さまと?」

 ソウヤは首をかしげるトカワに頷き、ミネ、カササの順に視線を合わせる。


「詳しい話は今は省くが、ヤタカガミと世渡りの術……ソウヤ殿が使う、幻界と鏡界を行き来する王朝の術は関連性があるらしい。どちらも時間と空間を捻じ曲げる力がはたらく、という点が共通している」

「時間と空間を捻じ曲げるって、それ通信盾つうしんたてもそうじゃないか?」

「そうだの」

 口を挟んだカササに、ミネが頷いた。

「皆知っていると思うが、わしは昔ヤタカガミを研究していた時期があっての。ヤタカガミの“離れた空間に干渉する力”に着目して開発したのが通信盾だの」

「ああ。それで、世渡りの術を使うと二つの世界に与える影響は軽微けいびで済むが、身体に大きな負荷がかかる術らしい。二つの世界を移動する時間と空間の矛盾むじゅんを、術者のうちに抱え込んでしまう、ということだ。

 しかし、ヤタカガミはその逆だ。術者自ら、時間と空間の矛盾を自身の目の前につくりだす。それは、自身の身体に矛盾を抱えているからこそできる」

「……つまり、どういうことだ?」

「ソウヤとシーナは、世渡りの術を用いて世界を行き来していたから、ヤタカガミを扱える、ということかの」

 ミネの整理に、シウラは深く頷く。

「おそらく、そういうことだ。具体例が少な過ぎるので断定には至らないが、俺はこの仮説が正しいと思っている」

「……で、シーナがこっちに戻ってきてヤタカガミを使うのと、何の関係があるんだ?」

「時間と空間の矛盾をため込むのが世渡りの術で、放出するのがヤタカガミ。その関係性を正とするならば、二つの力には相関関係があるはずだ。単純に考えれば世界を渡る時に縮めた距離と同じだけ、ヤタカガミで離すことができるだろう」

「感覚的にはわかるが、リスクが高すぎないかの? もし、ヤタカガミの力に変換する過程で力の放出があれば、世界を押し戻す力は縮める力よりも小さくなる」

「それでも、今回は問題ないはずだ」

「なぜかの?」

「シーナが、ソウヤ殿の“世渡りの術”を用いて世界を往復した回数は十回以上。それに対して、彼女がヤタカガミを使用したのは二回だけだ。少なくとも八回分、ヤタカガミの力のストックが残っている。いくら力の消失があったとしても、一回分の世渡りを補って余りあるヤタカガミを出す余地はあるはずだ」

「ふむ」

 ミネは顎に手を当てて考え込む。


「一理あるの。ソウヤの力を見る限り、50%以上のエネルギー消失があるとは考えにくい。むろん、世渡りとヤタカガミに相関関係がある前提の話だがの。確かに、今回に限って言えば有効かもしれぬ」

「ストックを使い切れば、また世界が縮まるだけって可能性もあるがな」

「保存したエネルギーは自然に放出されるのが節理だからの」

 カササが指摘した懸念に、ミネが同意を示す。


「今回限りでシーナを鏡界に連れ戻し、ヤタカガミを使わせて、用が済んだら幻界に戻す、か」

 カササの声には、苦いものが含まれていた。

「シーナを、こっちの身勝手に振り回しちまってるな」

「珍しいね。カササがそんなことを言うなんて」

「一番気にしそうな奴が真っ先に出て行ったからな」

 トカワはふふっ、と微笑んでから自分の手元を見た。


「力がある盾者であればあるほど、様々な苦難に巻き込まれる。その困難に負けないように、力の使い方を工夫し続ける」

「……力の工夫には、困難を伴う。力に溺れず、ただ自らを磨き、苦難に向き合う」

「苦難に向き合い続けることで、いつしか盾者に信頼され、かの地を制する守護者となる」

 顔を上げたトカワは、言葉を繋げたシウラを見た。

「よく、ご存知でしたね。シウラが就任される前に唱えられたものですが」

「先代の中央府の守護者の言葉を、知らない者はこの場にいないだろう」

「それもそうですね」

 すぐに頷き、カササの方を見やる。

「確かに、シーナさんは守護者ではありません。しかし、強い力をもつ盾者であることに違いは無いでしょう。それ故に苦難に見舞われる。それを解決して、前に進めるかどうかはシーナさんの工夫次第だと、僕は思います。

 僕たちは、鏡界のため、自分たちの守護府のためにできることをしましょう。ヒウチが、中央府のためにシーナを再び呼び戻すことを決意したように」

「トカワにしてはまともなことを言ってるな。……いや、俺がらしくないことを言ったせいか」

 少しばつの悪そうな顔をしたカササが、トカワと目を合わせる。

「お前の言う通りだな。シーナの対応はヒウチと、シーナ自身に任せるか。俺たちは自分の守護府の護りを固めるべきだ」

「そうだの」

 今までの会話を見守っていたミネも首肯する。

「中央府のその後は気になるが……一旦、それぞれの持ち場に戻るかの」

「ああ」

「そうだな」

「わかりました」

 画面の向こうで四人が頷き合い、その場を離れようとした瞬間、


 無人の部屋を映していた画面が強い光を放った。


「うぉっ? ……ミネ、故障か?」

 まともに光を見て目がくらんだカササが、反射的に問いかける。

「違う。今中央府で起こった光景を、そのまま映し出しただけだの」

「……ということは」

「シーナが、ヤタカガミを発動させた」

「そうだの。本当に、八咫烏やたがらすと見まがうほどの力だの」

 カササは、ごくりとつばを飲み込んだ。

「本当に、とんでもねぇな」


 四人はそれぞれの持ち場に戻るのも忘れ、通信盾から放たれる光をしばし眺めていた。

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