三十六話 つながる世界1

「ソウヤ様!」

「任せて」


 白布の青年の悲痛に満ちた声に短く答え、ソウヤは三度みたびヤタカガミを張る。湖全体をすっぽりおおい尽くした金色の光は、幻界げんかいの人影をひとつたりとも通すことなくそこに在る。


「す、すばらしいお力です」

「先祖返りとの評判、まさしくその通りですね」

 立っていられずに湖のふちに座りこんでいた北府の賢者けんじゃたちが、次々に賞賛を口にする。

「ここはいいから。みんなはちょっと休んできたら?」

「ソウヤ様一人にお任せするのは……」

「ほら、全部ひとりでカバーできてるし。そもそも、みんなに休んでもらうためにやってるんだし。みんなが休んでくれないと意味が無いんだけど」

 ぶっきらぼうにそういうソウヤに、賢者たちが頭を下げる。

「おそれいります。では、お言葉に甘えて、少し休ませていただきます」

「回復次第、すぐに戻ります」

「うん」

 振り返らずに頷くソウヤに謝辞を告げて、彼らはその場を辞去した。


「ふぅ」

 ソウヤは小さく息を吐いた。

 鏡張みばりのみずうみを見下ろす見張り台に、ひとりで立っていた。見張り台といってもきちんとした建物ではなく、湖のすぐ脇に生える太い木に、板を渡して手すりをつけただけの簡素なものだ。子どもが集まる場所にあれば「ツリーハウス」と呼ばれて遊び場になりそうなそれは、北府の賢者が湖から客人がやってくるのをくまなく見渡すためのものだ。

 木々に囲まれた北府の湖は、水辺から眺めると死角が多くある。それを原因とした客人の見落としを防ぐため、賢者は必ずこの監視台から湖を見渡す。ソウヤの力を以てすれば、湖の真上に立ち、中心から全体を俯瞰ふかんすることも簡単にできる。しかし、今の彼の役割はなるべく力を温存し、長い時間ヤタカガミを張ることで北府の賢者たちの負担を減らすことだ。

 お世辞にもきれいとは言えない見張り台にソウヤ王子を立たせることを、賢者たちはためらった。しかし彼らが何か言う前に、ソウヤはさっさと見張り台にのぼりヤタカガミを張った。有無を言わさず動いたことで、直ぐに賢者を休ませることに成功した。


 ——なんで、僕がこんなに気を使わなくちゃいけないんだろう——


 思わず愚痴が頭をよぎるが、すぐに頭を振る。

 全ては、世界を元に戻して彼女と再び会うために。



    ○ ● ○



「アヅミさんっ!」

「大丈夫……っ」

「俺が張ります」


 バランスを崩した白布の影を視界の端におさめ、ウエツはヤタカガミを放った。アヅミの盾がゆらいだ穴を埋め、水面のすぐそばまで近づいていた人影が離れていく。

「ありがとう」

 ふらふらになりながらも立ち上がったアヅミが、ウエツの脇に立つ。

「アヅミさん、無理しないでください。俺が持ちこたえてる間、少し休んでてください」

 湖から目線を離さずそういうウエツに、アヅミは小さくため息をついた。

「ううん。そういうわけにはいかない。ウエツの盾は持続力が無い。……ウエツが悪いんじゃなくて、まだ練習したての候補生だから、しょうがないことだけど。今まで通り、わたしたちがカバーしきれなかったところにヤタカガミを張るだけでいいから。それだけで、わたしたちはずいぶん助かる」

「でも、それだと、みなさん休めないじゃないですか!」

「ウエツ!」

 思わず声を荒げたウエツを制止する声が飛ぶ。ウエツとアヅミから数メートル離れた岸に立つアイナが、よく通る声でウエツを諭す。

「私たちは、あくまで賢者さまをお支えする役割でしょう。賢者さまと同じことができるなんて考えたら、私たちのほうがすぐにつぶれてしまう。そうなったら、かえって賢者さまと守護者さまにご迷惑をかけてしまうわ」

「っ、わかってるよ!」

「ほんとうに、君たちが来てくれて助かってるんだよ」

 唇をかんだウエツをなだめるように、アヅミが声をかける。

「はい。でも……アイナ、そっちに出た!」

「ええ」

 アヅミに話しかけた瞬間、アイナのすぐそばで水泡が浮かんだ。ウエツが警告する前から発動準備をしていたアイナは即座に反応し、瞬く間に影は消えていく。


「さすが、だね。アイナちゃん、筋がいいよ」

「ありがとうございます」

 アヅミの声に謝意を示しつつも、視線は湖から離さない。ウエツは一瞬アイナの様子を確認してから、自分の監視範囲内に視線を戻した。


 ヤタカガミを使えば、向けられた先にいる人の時間は巻き戻る。だから常時発動していれば、近づく人影は無くなるはずだった。しかし、数刻前に候補生たちが中央府の鏡張りの湖についた後も、湖に映る人影は減るどころか、ますます増えていた。

「来たっ」

「はい」

 間髪を入れずに再度ヤタカガミを出してから、ウエツは呼吸を整えるために深く息を吐き出す。

「このままじゃ、ジリ貧だ」


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