三十五話 ふたりの世界2
「兄さん!」
「アツマ!」
声の主を認め、二人で叫ぶ。ソウヤが一歩、アツマに詰め寄った。
「なんで? 兄さんには、世渡りの神術は使えないはずじゃ」
「ああ。北府にある
「湖だって、使える人は限られてるでしょ?」
二人の強い視線を受けたアツマは、焦げ茶色の瞳をわずかに伏せた。
「力の弱い私でも渡れてしまうくらい、二つの世界の境目は薄くなってしまった」
アツマの視線の先には、先ほど黄色い長靴の子どもが踏み込んだ水たまりがあった。
「ソウヤ。脱出したことも、再び
「そっか」
椎名は思わず声を上げた。神術を使うだとか、そうするとソウヤの命が危ういだとかいわれていたが、そもそもソウヤはヤタカガミの使い手だ。神術を使うまでもなく、ソウヤのヤタカガミがあれば世界を離すことができるのではないか。
「世界が離れたら、また僕を閉じ込めるんでしょ?」
ソウヤは、鋭い目つきを緩めずにアツマを
「僕は、僕が思うように生きたい。縛られて、父さんとか兄さんの指示だけで動くのは嫌だ」
「思うように生きるためには、そのための世界が必要だ」
アツマの表情は穏やかだが、ソウヤから一歩も引く様子がない。
「世界が無くなってしまったら、自分がどう生きるか考えることすらできない。これからのことだけでなく、これまでの生きた証もすべて失われる。
ソウヤと、私の望む生き方は違う。でも、世界が残っていて、私たちが生きてさえいれば話し合うことができる。ソウヤは、父上に言っていただろう。私が一方的にシーナさんを幻界に戻したとき。「何で僕たちは人間の姿になっているのか」と」
一瞬椎名に目を向けたアツマは、再び目線を戻す。
「確かに、ソウヤと私、私と父上、私とシーナさん。言葉足らずなところがたくさんあった。私がソウヤと距離を置いている部分もあった。
だからこれからは、私は人間らしく言葉を尽くしたい。世界を戻して、その話し合いをする
アツマは深く、頭を下げた。
「ソウヤ。戻ってきてほしい。世界が戻った後も、ソウヤを閉じ込めるようなことはしない。人の姿で語り合い、お互いに生きやすい在り方を見つけよう」
一度顔を上げたアツマは、椎名に向き直り再び頭を下げる。
「シーナさん。勝手に連れ出して、一方的に湖から送還するような真似をして、申し訳ありませんでした。一刻も早く距離を取ってほしい焦りがありましたが、人間らしくない行為でした」
「……」
椎名は、迷っていた。
アツマのいうことは全て的を得ていて、頭では理解できる。しかし、ヒウチたちに別れの挨拶ができなかったことは心の中でわだかまっている。
「もしかして、ヤタノカミもあなたの差し金、だったんですか」
今を逃したら、いつ聞けるかわからない。その思いから、現界に戻ってくる前にあやふやになっていた疑問を口にする。
「差し金、というほど直接指示をしたわけではありませんが……中央府のヤタノカミがシーナさんを攻撃するように仕向けたのは、私です」
「兄さん!」
「危険な目に遭わせてしまい、申し訳ありませんでした」
「わかりました」
アツマがあっさり非を認めたことで、椎名は少し落ち着いた。
「そもそも、ヤタノカミの件はあまり気にしていません。あの攻撃があったから、わたしはヤタカガミを発動させることができました。
でも、もっと言葉で話し合うべきだとはおもいます。一方的に力で押さえつけなくても、わたしは話を聞くことができます」
そういいながら、椎名は中学校のクラスメイト達を思いだした。
「……たしかに、話をしても聞いてくれない人、意図した通りに言葉を受け止めてくれない人もいます。でも、そのときはただ距離を置けばいい。カガミを使わなくても、距離を取って、ほんとうに話し合うべき人なのかをもういちど見極める。たぶん、人はそうやって、話ができる人を見つけて、自分が生きやすい環境を作っていくんだと思います」
話しながら自分の考えがまとまってきた。結局、自分が生きるべき世界で、自分が生きやすい環境をつくるしかないのだ。椎名にとっては
今後、もしかしたら、世界の衝突がおさまったら、お互いの世界にもう一度行けるかもしれない。でも、それはあくまで旅行のようなものだ。ずっとそこにいるわけにはいかない。
「ソウヤ。鏡界に行って、ヤタカガミを使って。それで鏡界と、現界を護って」
「サラまでそういうの?」
椎名はふてくされた顔のソウヤの手を取った。決してアツマに流されたわけではない、椎名自身の意思であるとわかるように、そっと。
「二つの世界が離れたら、一回くらいは鏡界に行けるかもしれない。でも、今のままならその可能性はゼロ。だったら、一回でも行ける希望をわたしは持ちたい。鏡界のみんなに、お別れを言えてないから。せめてもう一度、みんなに会いたい」
ソウヤの目がゆらいだ。
「ソウヤ。鏡界で、絶対に命を落とさないで。ソウヤの技がうまくいったかは、こちらの世界にいてもわかる。そうすれば、生きてるってわかる。ソウヤが生きていれば、また会える」
「……わかったよ」
少しふてくされたままのソウヤは、椎名の目をまっすぐ見つめた。
「約束して。絶対、また会おう。世界を直して、アツマと父さんを説得したら、すぐに戻ってくるから」
ぎゅっと、手を強く握り返される。ソウヤは確かにここにいる。そして、この感触を忘れない限り、ソウヤが椎名の記憶から消えることはない。
「うん。また会おう。待ってる」
椎名も強く握り返してから、手を放す。ソウヤはアツマを振り返った。何かアイコンタクトをとった二人は、横に並ぶ。
「湖を通ったら賢者の負担になるから、術を使うよ」
「わかった。……ごめん、ソウヤ。負担をかける」
「いいよ。一人くらいどうってことない」
アツマと小声で言葉を交わしたあと、ソウヤは少し笑みを浮かべた。
「またね、サラ」
「お元気で、シーナさん」
二人がまばゆい光に包まれる。目も眩むほどの虹色の光。椎名は目をつぶりたいのを必死で我慢して、光が消えるまで見守っていた。
「行っちゃった、な」
突然現れた強烈な光は、収束するのもあっという間だった。人影のない道に、椎名はしばらく立ち尽くしていた。
「ううん。約束したから。ちゃんと生きなくちゃ」
首を横に振り、元来た道を歩きはじめた。ソウヤの無事を祈りながら。
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