三十三話 ふたつの世界2

「本当に、神術を使うと、ソウヤ王子は命を落とすのでしょうか」


 北府から戻る途中、ヒウチが東府の通信盾から北方王朝の盾枠につないできた。つなぐや否や発せられた言葉に、王……ビエイはわずかに逡巡しゅんじゅんしてから頷いた。

「そうだ。と思われる。そもそも世界を切り離す神術は、『スナの手記』の時代に一回しか使われていない。その唯一の使用で、術者は命を落としている。助かる可能性がゼロではないが、楽観視はできないだろう」

「ゼロではないということは、使用状況によって術者への負担が変わる、ということですか」

「そうだな。これもくだんの術に適用される保証はないが、本来の神術は使用者の力量と条件によって、成功率も自身への負荷も大きく異なる」

「で、あるならば。王に一つお願いがあります」

 意志を持った強い目線がビエイに注がれる。

「何だ」

「『スナの手記』以外で、その術が発動される情景を描写した書物を調べていただけませんか」

「『スナの手記』、以外だと」

「はい。王朝にはあるんですよね。『スナの手記』以外にも、神術を使った八咫烏の記述が。使われた時代は一度だけかもしれません。しかし先ほど王は、『スナの手記記述が無い』とはおっしゃいませんでしたから」


 ヒウチの指摘に、ビエイは思わずうなった。

「……確かに、『スナの手記』の補遺ほいとも呼ぶべき、我々の一族側の記述は残っている。それを詳しく調べよと申すのか」

「おっしゃる通りです」

「目的は」

「もちろん、ソウヤ王子を死なせずに神術を発動させ、二つの世界を護ることです」

 ヒウチはきっぱりと答え、臆することなくビエイを見据える。

「もし失敗すれば、私の息子は命を落とす」

「そうならないように、調べるのです」


 盾枠越しにを放つも、ヒウチは全くひるむ様子を見せない。

「王に伺った神術の発動場面で、気になる描写がありました。

 一度伺っただけなので、うろ覚えですが。アバという八咫烏がスナの手を取り、術を発動させた。スナが気づいたとき、彼女は湖のほとりに立っていて、アバの姿は無かった。大まかにそういった流れだったと記憶しています」

「そうだ」

「この描写の中には、これまでの王のお話と矛盾する点があります」

「……申してみよ」

「術が行使された後も、スナが鏡界に留まっていることです」

 それが何だ、と言いかけてビエイは黙った。世界の接近はスナが鏡界に渡り、幻界との往復を繰り返しているから起きたはずだ。もともと幻界の住人であるスナが鏡界に残るのは、世界の接近を防ぐという神術の目的と確かに矛盾する。ビエイの短くない沈黙を納得と捉えたのか、ヒウチは小さく頷いた。


「王は幻界の住人が鏡界にいることで二つの世界が近づくと考え、椎名を幻界に帰しました。実際に、伺った『スナの手記』の描写に従えば、世渡りが世界を近づけたことは事実でしょう。

 しかし、同じような状況が生じた古代に、スナは鏡界にとどまっています。そして、世界の衝突が防がれた後も、引き続き鏡界で生活をしています。

 私はここに、術者の負担を左右する神術の条件が隠されているように思います」

 ビエイは目線で続きを促した。

「例えば、世界を近づける存在のスナを、鏡界……彼女にとっての異世界にとどまらせるという行為は強大な負担になると仮定できます。世のことわりに反するはずですから。その負担を負うために、アバは命を犠牲にせざるを得なかった。そういった、「本来の神術の効果を外れるリスクを採った」描写が王朝の書物に残っていれば、希望はあります」

「現象を大幅にねじ曲げる術を使わなければ、命は助かるということか」

「その可能性はあると思います」


 ビエイは目を閉じ、アバが使ったという神術を思い浮かべた。シーナというかの少女を幻界に返す目的で術を用いれば、鏡界に留まらせるより術者の負担が減る。ヒウチの言っていることは一理あるように思われた。

「わかった。神術の件はこちらで調べよう。だが」

 念を押すことも忘れない。

「守護者たちが鏡張りの湖監視の任を全うすれば、二つの世界は離れるはずだ。ずは己の仕事の最善を尽くせ」

「もちろんです。王に連絡を取る前に、中央府へ指示を出しています。賢者の監視体制は通常時の二倍です。私が戻り次第、最善の対策を組みます」

「頼むぞ」

「はい」

 薄らいでいく黄緑色の影を見送るや否や、ビエイは書物の読解に取りかかった。


    ○ ● ○


 移動中のヒウチと交わした会話は、ビエイを古文書の読解に駆り立てるのに十分な重みを持っていた。

 ソウヤを失いたくないという気持ちは嘘ではない。血を分けた我が子であり、王である自らをもしのぐ力の持ち主である。決して失うわけにはいかない。

 しかし、一方で現状を冷静に判断していた。守護者たちの努力はあれど、このままでは二つの世界の衝突は避けられないということを。


 人間が使う盾は、「他者を拒絶する力」。つまり、人が人を拒む力だ。賢者が扱うヤタカガミも同様。人だけを拒絶する盾では、近づく二つの世界それ自体を遠ざけることはかなわないだろう。

 一方で、ビエイたちが用いるカガミは「己を他者から護る力」。つまり、対象は人に限らない。神術も同様だ。今回の事態を打開するためには、いずれにせよ王朝ビエイたちが動く必要があった。


 八咫烏やたらがらすのみが扱うことができる神術の存在は、全てビエイの頭の中にある。しかし術の効能や反動は、使ってみなければわからぬものも多い。ソウヤが使いこなす「世渡りの神術」なども、失敗すればこちらの世界に戻って来れなくなることすらあり得る。自分の身体へのリスクが小さいに比べ、使用には慎重を期したいものだ。


 —―なおのこと、ヒウチの進言は確かめる必要がある―—


 ビエイが次の書物へと手を伸ばしたとき、地面が小刻みに揺れた。脳裏に強い金色の矢が駆けるビジョンが浮かび、消える。幻像であると判っていても不快感がぬぐえず、思わずこめかみを押さえる。

 コンコン、窓をたたく音がして顔を上げた。窓ガラス越しにこちらを見つめるからすを視界に収めて、ビエイは今起きたことを悟った。

『ソウヤが脱走したか』

『はい』

『ソウヤにしては時間がかかったな』

『……』

 口元にわずかな笑みを浮かべて、八咫烏の王は指示を出した。

『ソウヤの行先を漏れなく把握してくれ。同時に、アツマに情報を伝えることを忘れるな』

『承知いたしました』


 窓際の烏が飛び去るのを確認したあとも、ビエイはしばらく窓の外を眺めていた。


 ——歴史は繰り返させないのが、子孫である我々の使命だ。そうだろう、アバ——


 ソウヤにアバと同じ宿命は背負わせない。そのために、ビエイは再び書籍の山に向き直った。

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