十二話 『スナの手記』1

 はるか昔、このクニにカミがいなかった頃。ある集落に十二歳の少女がいた。名をスナという。

 〜〜〜


『スナの手記しゅき』という書物は、そんな書き出しから始まっていた。


 ヒウチに頼まれた書物の解読。それをすために、椎名は「守護者しゅごしゃつどい」と呼ばれる集まりに顔を出した。TV会議システム……いや通信盾つうしんたて越しに会った守護者たちは、はじめは皆するどい目つきで椎名のことを見つめていた。しかし、椎名が自分とソウヤの出会いを話し、自分の盾を見せると彼らの表情は興味深いものに変わる。最後にヒウチが『スナの手記』を取り出し、椎名がその冒頭部分を読んでみせると皆の目が輝いた。


「ついに、わかるんだな。スナが何を書いたのか」

 四人の中で最も目つきが鋭く、椎名を怯えさせていたカササがそうつぶやくと、ミネが大きく頷いた。

「ヒウチも多忙たぼうの身だからの。少しずつになるとは思うが。次のつどいのときに、内容をとくと聞かせてほしい」

「もちろん、ぼくにもね。今度は絶対に遅刻しないから」

「遅刻しないのは当たり前のことだの」

 はしゃいだ雰囲気のトカワをミネが一瞬にらむ。

「シーナ。働きを、期待している」

 口数の少ないシウラの言葉に、全員が頷いた。


 こうして、椎名は無事、『スナの手記』を読む役目をおおせつかったのだった。


    ○ ● ○


「わたしと皆さんが話している言葉と、『スナの手記』の書き言葉は同じに見えるのですが。なぜ皆さんは読めないのですか?」

 中央府ちゅうおうふの執務室で向かい合って座るヒウチにそう問いかけると、彼は難しい顔をした。

「確かに、シーナの言葉は問題なく聞き取れる。しかし、手記に書いてある言語は私たちには解読できないのだ。鏡界の書き言葉に、こうした文字はない」


 そういってヒウチは、胸元から小さな手帳を取り出した。

「汚い字で恐縮だが。私たちはふだん、こうした文字を書いている」

 椎名が覗き込むと、そこには象形文字しょうけいもじのような見たことのない記号が羅列られつされていた。

「え、これ暗号では、ないんですか」

「まあプライベートな手帳だから、多少崩して書いてはいるが。字形自体はこちらの普通の書き言葉だな。街中の看板もこうした文字で書かれているのだが、気付かなかったか?」

「文字ではなく、建物の装飾だと思っていました」

「そうか……」

 ヒウチは少しうなだれると、気を取り直したように椅子に座りなおした。

「そういうわけで、私たちはこの文字を読めない。シーナ。頼む」

「わかりました」


 椎名はページをめくると、先ほどの続きから読み始めた。


    ○ ● ○


 〜〜〜

 陽が眩しく照りつける日、スナは翼の折れた片足のからすを見つけた。身動きが取れずうづくまる動物を見捨てることは罪になると思い、沙は烏を家に連れ帰った。

 しかし、両親は烏を「けがれ」と呼び忌んだ。弟も、黒い烏を不吉なものと思い怖がった。

 それでも沙は、烏をかくまった。狩りの日には傷に効く薬草を見つけてせんじ、烏に飲ませる。ちょうど良い枝とつるを見つけた際は羽にあてがい、折れた翼を固定した。手負いの烏はそれらの治療を大人しく受け、少しずつ怪我は癒えていった。沙は傷が癒えるまでと思い、烏をこっそりと育て続けた。

 〜〜〜


「このあと、烏の育て方が詳しく書いてありますが。話が動くところまで飛ばしてもいいですか」

「ああ。頼む」

 椎名は頷き、パラパラとめくる。沙と烏以外の登場人物が出てきたところで指を止めた。


 〜〜〜

 しばらくすると、沙の家には誰も近づかなくなった。両親と弟だけではない。今まで沙の友人だった人、一緒に狩りをしていた人、衣服を分け与えてくれた人。誰も彼もが烏を嫌っていた。

 塩辛い風がゆるく吹く夜、沙が横になると両親の声が聞こえてきた。眠ろうと努めたが、急に自分の声が聞こえてきたのではっとして耳をすませる。

「ところで、沙はあの烏をまだ育てているのかい?」

「そうみたい。でも、そのせいで、わたしたちの家には人が寄り付かなくなってしまったわ」

「沙も家の事情を理解してくれればいいのだが。やはりあれは、沙が外に出ているときに供養するしかない、か」

 それを聞いた沙は身体を固くこわばらせた。


 ―わたしがあの烏から目を離したら、すぐに殺されちゃう!―


 その日を境に、沙はどこへ行く時も烏を連れて歩くようになった。未だ飛ぶことのできない烏を背負いかごに入れ、あまり揺れないようにゆっくりと歩く。しかし、烏が呼吸できるように顔を出させると目立つ。

「汚いモノを背中にくっつけてるぞ」

「ムラが汚れる。ここから出ていけ!」

 ムラの子どもたちは、沙と出くわすたびにそう叫び、石を投げつけてきた。沙は外に出るときは周りの様子を慎重に伺い、人の気配がするたびに逃げ回らなければならなくなった。


 陽が身体を焼く日。あちこち走り回った沙は逃げくたびれ、背負いかごを地面に下ろすと自分も木陰にしゃがみ込んだ。巨大な木の根元は二股に割れ、小柄な沙の身体がすっぽりと収まる。いつもならここにいれば、ほかの子どもらに見つからないはず、だった。

 木の幹に体を預けてうとうとしてた沙は、人の足音で目を覚ました。聞こえる、大きな足音が。いくつも、いくつも。いつもの子どもたちではない。もっと多く、もっと大きい。沙は息を殺し、木の幹にしっかりと背中を付けた。

「もう、ここしかないぞ」

「ここにいる。間違いない」

 大人の男たちの声がする。


 ―これは、カクさんの声だ。わたしを探しているんだ―


 沙が身体を縮こませたその時、髭を生やした男が木の根元を覗き込んだ。沙は、彼とまともに目を合わせてしまった。

「いたぞー!沙だ。烏もいる!」

 郭の大声に合わせて、ばらばらと人が集まってきた。烏を不気味がって距離を取り囲む輪の中には、沙の両親もいた。

「沙、どうして」

「やめなさい」

 一歩前に出た母親を制し、父親は人だかりの中を見た。

「長老に諭していただこう」

 暫くガヤガヤとしていた人の輪が静まると、沙の耳に温かみのある声が響いた。

「沙、心配したよ」

「・・・」

 沙がうつむいて黙っていると、長老はゆっくりと言葉を紡いだ。

「ムラの大人たち全員で、お前のところに来た意味。賢い沙なら分かるだろう。手負いの生き物を慈しむお前は、美しい心をもっている。しかし、野に生きる獣に、情けをかけてはいけない。わたしたちは、獣の命を奪い生きているのだから」

「そうだ」

 と、沙の父親も前に出た。

「食べられない生き物を生きたまま捕まえたなら、すぐに逃がしなさいと教えなかったか?ましてや、烏を…」

「そうだな。なぜ不吉な害鳥を家に招く?呪われたいのか」

 黙っていた群衆の一人が放った言葉に、今まで下を向いていた沙はきっと顔を上げた。

「この子は、害鳥じゃない!ひとつの命だ!」

「沙、生意気なことをいうんじゃない」

「何言ってんだ?お前もう呪われてんじゃないのか。確かめてやろうか」

 制止する父親にかまわず男を睨みつける沙に男は駆けより、手を伸ばした。


 その時だった。沙と男の間に、銅の色をした丸い光の盾が現れたのは。


 光の盾は少しずつ広がり、沙と大人たちの間を隔てた。沙に殴りかかろうしていた男はそのまま後ろに吹っ飛んだ。集まっていた人々も一歩、また一歩と後退されられていく。前に進もうとはしているのだが、それができない。そんな中、沙は背負いかごの中に烏がいないことに気付いた。


 ―ここにいます―


 身体の中に響くような、不思議な声がして見上げると、沙の目の前には盾に勝るとも劣らない、巨大な烏が立っていた。

「あなたは、誰?」

 そう聞こうとして烏の顔を覗き込み、沙は息をのんだ。

「もしかして、かごの中にいたあの烏?」

 ―はい―

 と、烏は答えた。

 ―私の種族は、八咫烏やたがらすといいます。助けていただき感謝します―

「やたがらす?」

 ―はい、私はもともと三本の足を持っています。他の烏が持ちえない、特殊なじゅつも。このような烏を八咫烏というのです―

 その時、八咫烏の足が確かに三本あることに沙は気づいた。それに、折れていたはずの翼も治っている。


 ―気がつきましたか―


 表情は変わらないのに、八咫烏が苦笑しているように沙には感じられた。

 ―私はとある事情で、ある者に翼を折られ、力を奪われてしまったのです。弱り切った私が力を取り戻す方法はただひとつ。第三者からの無償の愛。それを貴方は与えてくれた。そのためこうして、再び元の姿に戻ることができたのです―

「じゃあ、この丸い盾もあなたの力?」

 ―人間が使う盾とは用途が異なりますが。よく、これが盾だとわかりましたね。これは八咫鏡ヤタカガミというもので、神術の次に強い術です―

 八咫烏はそれだけ伝えて、前方を見据みすえた。沙を取り囲んでいた人影は、すっかり消え去っていた。


 何かを考えていたらしい八咫烏は、しばらくしてから顔を沙の方に向けた。

 ―沙さん、この術を覚えませんか?正しく使えば、これらの術はとても強力な味方となってくれます。私がもつ力を、のちの世界にも伝えていってほしいのです―

「人間にも使えるの?」

 ―はい。八咫ノ銅鏡やたのどうきょうを使えば―

 沙は少し考えた。

「どこか、ここじゃないどこかに行くの?」

 八咫烏は無言で頷いた。


 沙はしばらくの間、両親と弟のことを考えた。かつては仲良く遊んでいた村の子どもたちのこと、厳しくもやさしかった村の大人たちのことを考えた。そしてきっぱりとした表情で顔を上げた。

「わかった。あなたについていく。必ず、その技を覚える」


 ―ありがとうございます―


 八咫烏は翼をさっと広げてかがんだ。沙はためらわずその背中によじ登る。首元にしっかりつかまったところで、八咫烏が振り返る。

 ―いいですか―

「大丈夫」

 ―では、行きます―

 八咫烏は飛翔すると、ものすごい速さで空を翔けた。何度も旋回と上昇を繰り返し、沙は自分がどちらの方向から飛んできたのかわからなくなった。


 急に、八咫烏は急降下を始めた。沙は顔を上げるのも恐ろしく、八咫烏の首筋にぴったりとしがみつく。

 ―大きく、息を吸ってください―

 沙が息を吸った瞬間、八咫烏は水の中に飛び込んだ。思わず目をつぶり、しがみつく手に力を込める。強い水の圧力に耐えると、激しい水音と共に水面に飛び出した。まっすぐ進んでいたはずなのに、地上に出たのだ。更には水中にどっぷりつかっていたはずなのに、濡れていた身体はあっという間に乾いていた。


 ―ようこそ、私が住む世界へ―


「っここが、あなたが住む世界?」

 風圧に負けじと大声を張り上げる沙に、八咫烏が小さく笑った気配がした。

 ―ええ。ここには貴方を傷つける人のしがらみはありません。貴方が体を張って私を守ってくださったように、この世界では私が貴方をお守りします―


 八咫烏はゆっくりと速度を落とし、地表に降り立つ。そこは沙が住んでいた世界とよく似た、しかし人間の気配が全くしない風景が広がっていた。

 〜〜〜

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