六話  盾者

「よし、このあたりでいいだろう」

「周りに、何もないですね」

「ああ。だから、練習に最適なんだ。わたしたちが練習場としてよく使う場所でね」

 ヒウチはそういうと、肩にかけた荷物を降ろした。荷解にほどきをする彼の横で、椎名は周りの景色を見渡し、空気を大きく吸い込んだ。少しひんやりして甘い、草木の香りがした。



 椎名がこちらの世界に来てから数日が経った。今はヒウチの職場である「中央府ちゅうおうふ」の一室に住まわせてもらっている。この世界について知りたいこと・見てみたいことは山ほどあったが、

「まずはこの世界の空気に慣れることと、身体を休めることが先決だ」

というヒウチの言葉に従い、基本的には部屋で一日を過ごしていた。


 ヒウチの言う通り、自分で思っているよりも疲れが溜まっていたらしい。毎日大したことをしていないにもかかわらず外が暗くなるとすぐ眠くなり、気付いたら朝だった……ということがたびたびあった。ヒウチにそれを言うと、

「私たちがこの世界の中でちょっと移動しただけで疲れるんだ。別の世界を渡ってきた疲れはその比ではないだろう」

と言って笑っていた。


 そうしてじっくり身体を休め、だんだん退屈たいくつしてきた時にヒウチから告げられた。

 明日、たての練習場が開いている。実際に盾を出せるか試してみよう、と。


 練習場と聞いていたので武道の道場のようなものを想像していたが、実際に連れてこられたのは屋外の開けた芝生広場だった。広場と言っても地面は平らではなく、ゆるやかな丘が連なっている。丘の上に立つと、遥か先に木々が連なっているのが見えた。


 おそらく中央府はかなりの高地にあるのだろう。鏡張みばりのみずうみは大きな岩の間に広がっていたし、中央府の部屋の窓からは地面がむき出しになった山々の連なりが見えた。何より、空気が澄んでいておいしい。こうして人気ひとけがない場所に出ると、毎回毎回大きく伸びをして、深呼吸がしたくなる。

 何度も息を吸う椎名の様子を見て、ヒウチは小さく笑った。


「気持ちいいだろう。……ずっと部屋から出せなくて、申し訳なかった。私の身体が思ったより空かなくてね。近いうちに会議があるから、それが終われば少し時間に余裕ができると思うんだが。それまでは……中央府の部屋の配置やルールを教えるまでは、待ってもらいたい」

「はい。わたしも下手へたに出歩いて、嫌な思いはしたくないので。待ちます。でも、こうして外に出られるのは嬉しいです。ここは、空気がきれいですね」

 話を戻すと、ヒウチはすぐに頷く。

「ああ。住宅地から離れているせいか、この辺りは一段と気持ちがいいな。鍛錬たんれんをする盾者にとっては、ここの景色と澄んだ空気がなぐさめになる。……さっそく、はじめるか」


「お願いします」


 大きな声を出すと、ヒウチは微笑を浮かべて歩き始めた。椎名から10歩ほど離れたところでこちらを向いて立ち止まる。

「今日は鍛錬といっても、私の盾を見てもらって、盾の種類や使い方を知ってもらうのが主な目的だ。そもそも、シーナが盾を扱えるかはわからないからな。一通り見てから、盾を出せるか試してみよう」

「はい」

「では基礎……イロハのイからだ。盾には、大きく分けて二種類存在する。ひとつは、私たちが日常生活で使う、こちらの世界の人々は大抵の人が会得している「基本盾」。もうひとつは基本盾をきわめて、特別な効果を持たせた「特殊盾」だ。「特殊盾」を使うのは守護者しゅごしゃや、特異な仕事をする人に限られるからここでは一旦置いておく」


「あの、鏡張りの湖で、白布の人が使っていた盾は、「特殊盾」なんですか」

 椎名が口を挟むと、ヒウチは少し間を置いてから頷いた。

「ああ。……あれはまた、特殊盾の中でも特別なものだ。選ばれた盾者にしか扱えない。その辺りの説明をするためにも、まずは基本盾からだ。進めて構わないか」

「お願いします」

 椎名は話の腰を折ってしまったことを申し訳なく思い、ここからしばらくは黙って聞いていようと思った。


「「基本盾」のつくりと名称は単純だ。図形の形と名前をしていて、用途に合わせて使い分ける。例えば、正円せいえんの盾……これはサークル」

 ヒウチが胸に手を当てると、正面に黄緑色の薄い円盤が現れた。数秒ちゅうに浮いたあと、砕け散る。

「そして楕円だえんの盾……がオーバル、四角形の盾……がスクエア、五角形の盾……がペンタゴン、六角形の盾……がヘキサゴン、といった具合だ」

 ヒウチが名称を告げるたびに、彼の目の前に様々な形の盾が生まれ、砕ける。いずれも歪みが無い、教科書で見るような図形の形をしていた。


「むろん、これ以外にも何種類かある。ただ今見せた盾を組み合わせるだけでも色々と応用はきく。使い方は……シーナ、かばんの中にある巾着きんちゃくを持って、中を開けてもらえるか」

 椎名はいわれた通りに、ヒウチが持ってきたかばんから赤色の巾着を取り出し、ひもを引っ張った。中には、大小さまざまなクルミらしき実が入っている。


「今から私が盾を出したら、盾に向かってその実を投げてくれるか」

「え、わたし的当て苦手ですよ。当たるかな」

「大丈夫だ。盾を大きく作るから」

「大きさも変えられるんですね」

「ああ。それも「基本盾の応用」のひとつだ。行くぞ」

 ヒウチの目の前には、再び楕円形……オーバルの盾が現れた。先ほどは胸を護るくらいのサイズだったが、今回はヒウチの全身をすっぽり覆うくらいの大きさがある。


「では、投げます」


 大きめのクルミを選び、おおざっぱに盾をめがけて投げる。クルミは盾にぶつかり、地面に落ちる。

「これが一番普通の盾の用途だ。でも……シーナ、もう一回投げてくれるか」

「はい」

 もう一度クルミを投げると、今度は勢いよく実が跳ね返り手元まで戻ってきた。椎名は慌てて実をつかみ取る。

「いい反応だ。このように、ぶつかったものを跳ね返すこともできる。さらに、……小さめの実を思いっきり投げてもらえるか」


「はい。行きます」


 椎名が投げた瞬間、ヒウチはオーバルの盾を消した。そして木の実が身体にぶつかる寸前に、胸元から光が発せられた。直後、彼の手元にはクルミの欠片が握られていた。

「今の、見えたか」

 椎名は唖然あぜんとして、首を横に振った。

「今のは、基本盾のひとつ「クロス」だ。十字形の盾を出して、対象物を切ることができる。基本盾の中でもタイミングや力のかけ具合が難しく、もっとも修得に苦労する。だが、一度覚えると最も応用が利く、便利な盾だ。こうして固い木の実を割ることもできる」

 ヒウチはそういって椎名の元に歩み寄った。手を開くと、その中にはきれいに四等分されたクルミの実があった。


「ひとかけら、食べるか」

 椎名は割れた実の中のひとかけらを口に運んだ。一瞬、クルミに似た何か違う実でないかと警戒けいかいしたが、まごうことなきクルミの味がした。ヒウチもクルミを食べ、からを別の袋にしまった。


「今ので、大体の基本盾とその性能を紹介したつもりだ。ここまでで何か質問はあるか」

「いえ、大丈夫です」

 椎名が答えると、ヒウチはよし、と小さく呟いた。


「であれば、シーナが盾を使えるか試していくか。私の横に立ってもらえるか」


 椎名はヒウチの真横に並んで立った。

「大切なのは、自分が『何に対して盾を出すのか』、また『そのモノに対して、盾でどうしたいのか』というイメージを明確に持つことだ。

 先ほど出したクロスの盾の例で考えるか。あの場合、盾を出す対象は『木の実』、盾でやりたいのは『木の実に対して、クロスで殻を割る』ことだ。その二つを明確にイメージすることができれば、盾は作れる。あとは形だな。慣れるまでは、実際にある物の形を連想すると作りやすい。サークルは牛車の車輪とか、オーバルは卵とか言われる。それらのイメージを組み合わせて、自分の目の前に展開させる意識をもつ、と」


 ヒウチの前に、ふたたび正円の盾……サークルが生まれた。


「今は対象を数メートル前の視界、視界をさえぎりたいという用途で盾を生み出した。形は見ての通り、サークルだな。ようはいかにイメージが正確にできるか、だ。シーナ、やれそうか」


 椎名は一歩、前に踏み出した。自分の頭で考えたものが形になる。そんなことができるとは思えなかったが、ヒウチは実際にやってみせた。それに、何度思ったことだろう。


 —あのクラスメイトたちと、自分の距離を置くための「盾」があったらどんなに楽だろうか—


 椎名は小さく首を振り、手を前に突き出す。数メートル先にもうしばらく会うことは無いであろう、クラスメイトたちの顔をイメージした。


 —わたしは、あの人たちの視界を遮りたい。形は…卵のような丸い、上が少しふくらんでいる形で。こちらを、見ないで!—


 瞬間、強い光が辺りを包んだ。眩しさに一瞬目がくらみ、つむった。次に目を開けた時、椎名の目の前には濃いだいだい色の円盤が浮かんでいた。


「でき、た」


 呆然と呟くと、次の瞬間に円盤は砕け散った。砕けた欠片が小さな光の粒になる様子を、椎名はぼんやりと見つめていた。


「できた、な」


 声とともに、椎名の肩に手が置かれる。見上げた先にあったヒウチの表情は、複雑そうだった。

「今のは、恐らくシーナの強い拒絶の感情でつくられたのだろう。否定的な思いが強いほど、盾は厚みを増す。が、感情を軸に作る盾はもろい。少し集中力が落ちるだけで簡単に砕け散る。今のように、な。これから感情をコントロールした盾の扱いを覚えれば、もっと持続性のある盾を作れるようになるだろう。

 とはいえ、初めてでこれなら、シーナは盾を作れるのだろう。これから、少しずつ練習していこう」

 そういいながらも、ヒウチの表情は晴れない。


「あの、わたしの盾を見るだけで、わたしが考えてることがわかるんでしょうか。それから、わたしが今作った盾は、まずいものなのでしょうか」

「いや、ああそうだな」

 ヒウチはふと我に帰ったかのように、椎名を見た。


「盾の色は盾者たてしゃ個々人によって異なる。人それぞれの性格が違うようなものだから、そこに大きな意味は無い。しかし、盾の色の濃淡のうたんや厚みで、生み出した時の盾者の思いはある程度み取れるんだ。……くもった盾の色。あの厚さ。あれだけ強い拒絶心を持っているとは。シーナ、君はあちらの世界でどんな思いをしてきたんだ」

 椎名は、顔が熱くなるのを感じた。

「そんなに心配されるほど、大したことじゃないです。ただ、学校でわたしが一方的に腹を立てていることがあっただけで」

「そうか……」


 口では納得しながらも、ヒウチの表情はまだ気遣きづわしげだった。

「もし盾の練習の度に嫌なことを思い出して苦痛に思うならば、無理はしないほうがいい。盾は平常心で扱うべきもので、感情が表に出ると苦しいだけだ」


「いえ、大丈夫です!」


 椎名は強い口調でヒウチの言葉を遮った。

「本当に、大したことじゃないんです。それに、こちらの世界にいる以上、と会うことはありませんから。むしろを思い出せば盾が作れるのなら、わたしはそれを利用していきたいです。嫌なことをいいことに変えられるのは、苦しいことではありません」

「そう、か」


 シーナは強いな。ヒウチは小さく呟いた。


「強くはない、と思います。ただ、わたしにも盾が出せるのならば、使えるようになりたい。そう思う気持ちが今は一番強いだけです」

「……わかった。シーナがそういうのならば、コントロール方法を教えていこう。まだ、体力は大丈夫か」

「はい」

「では、出力の調整からはじめようか」

 ヒウチの表情がようやく元に戻った。椎名はそれに安心しながら、新しいことを覚えられることに胸をおどらせた。


 ——マイナスを、プラスに変える。盾がそれを実現させる——


 自分の中にある怒りが力に昇華しょうかされることに、喜びを感じながら。

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