第15話・ハランザの成仏。


 タケイルが意識を取り戻したときは、水平線が紅く染まっている夕方だった。


「気が付かれましたか」

 側にはキクラがいた。


「ああ、私はどのくらい寝ていたか」

「ここへ来たのは、昨日の深夜です。まだまるまる一日は経っておりません」

「そうか」


 半身を起こしてみた。腹痛は納まっていたがまだ腹に力が入らない。

「宿には済まない事をしたな・・」

 タケイル目当ての毒に他の宿泊者も当たった。さらに深夜の襲撃によって障子などが壊されて、座敷が血で汚れた。その上に刺客の死体を残して逃げたのだ。宿にはまだ宿泊代も払ってないのだ。


「宿には宿泊代に修繕費用を充分に添えて支払っています。それで却って旅籠の主は喜んでいました」

「そうか、それは良かった。費用は立て替えてくれたのか。済まぬ」

 タケイルは、横にあった荷物から銭を出そうとした。


「いいえ、銭は不要です。実はムラン様からタケイル様の分まで、礼金を過分に預かっております。おそらくタケイル様は受け取らないだろうと言われて、私の独断で預かってきました」

「・・そうか。それなら、この交易船を足止めした弁済費用も支払ってくれぬか」


「それは、いりませんぜ」

 入り口から声が掛かって船長が入ってきた。


「なあに明日までは商談と荷の積み卸しに掛かります。それに交易船は風待ちで何日も停泊するのは当たり前でさあ。この船が我が国屈指の英雄から銭をせびったなんて噂が立ったら肩身が狭くなります。どうぞそんな事を考えずに、気兼ねなく休んでくだせえ」

 タケイルは黙って頭を下げた。


「ところで船長。火の国の事を教えてくれぬか」

「火の国ですか。火の国はミキタイカル島より南に二千海里ほど離れた大きな島にある国だと聞いています。その島は五・六ケ国に別れていますが、その真ん中を制している最大の国が火の国と言うのだと。この国に交易船が来始めたのは、二年くらい前です」


「そうですか。どんな国なのだろう・・」

「へえ、名前の通り火山が多いらしいです。それで、硫黄や金・銀が豊富で国力が強い。男も女も豪快な気質で、悪く言えば粗雑。ここに来る交易商人は強引で評判はあまり良くねえです」

 交易では金銀は高く取引されるので、その産出国は有利なのである。


「なにか胡乱な噂を聞かぬか?」

「胡乱と言えば、交易船では商人以外の者を見かけたことがありますな。密偵みたいな気に入らねえ目つきをしておりました」


「密偵か・・・」

「儂らは直接の付き合いがないもので、そんなところです。明日、湊の知り合いに聞いてみます」

「頼む」


 タケイルはその夜、水を飲んだだけで何も食べずに一夜を過ごした。

翌朝になって船員が作ってくれた薄いお粥を飲んだ。毒は身体から抜けた様だが、腹の納まりが悪く気持ちの悪い状態が続いていた。


「タケイル様。火の国の交易船で来た男達が胡乱な事をしていたのを、荷運びの人夫が目撃していました」

 横になって休んでいたタケイルに船長が声を掛けてきた。


「下に待たせてありますがお聞きになりますか・・」

「行こう」

 タケイルはキクラと伴に船長のあとについて波止場に降りた。


「へえ、一年ほど前の事で、船員には見えねえ奴らが小屋がけして数日なにかしてやした」

 上半身裸で黒く日焼けした、たくましい体つきの荷運び人夫が言う。


「そこへ案内してくれ」

「へえ、こっちで」

 荷運び人夫は、湊の東の方へ行った少し上がった小高い草地に案内した。


「ここでさあ。奴らは不気味なので傍には近づかなかったのですが、犬の鳴き声が盛んにしていましただ」

 タケイルの脳裏にその場面が巡っていた。それは、人食いコヨーテ・ハランザの記憶だった。


「ここだ。ハランザはここにいた・・・」

その場で立ち尽くしているタケイルの脳裏には、ハランザの悲しい記憶が渦巻いていた。


「ご苦労だった」

 立ち尽くすタケイルに替わりキクラが荷運び人夫に礼銭を与えた。

「へえ、こりゃあどうも・・」

 思わぬ銭を貰った日雇い人夫は、ぺこぺこと頭を下げて戻っていった。


「あそこに農民がおります」

 キクラが横の畑を見て言った。

「聞いてみてくれ・・」

と、タケイルはやっと小さな声を出した。


タケイルはハランザの悲しみに、心を押しつぶされそうになっていたのだ。それでも、農民に聞きに行くキクラの後をフラフラと付いていった。


「ああ、そげな事があっただ。おら気持ち悪くて近づけなかっただよ」

 農民はその時の事を知っていた。

「そういう者が数日ここにいて、ある日煙のように消えていただ。あとにコヨーテの親子の死骸が残っていた。それまで散々鳴き声がしていただで、きっとここでいじめ殺されたのだな。酷いことをする奴らもいたものだ・・」


「その・・死骸はどうなった?」

 タケイルはやっと聞いた。


「そのままにもして置けなんだので、あの木の根元に埋めただ。ほら、少し土が盛り上がっている所だよ」

 草地の端には、一列に木が生えている。その一番端に、少しだけ土が盛り上がっている。


 タケイルは、フラフラとそこへ歩み寄る。

脳裏では、泣き叫んで許しを請うコヨーテ親子の姿がぐるぐる回っている。


ふと足を止めた。

横に黄色い太陽のような明るい野草が咲き誇っていた。タケイルは、その花を幾つか摘んだ。


膝を落として、盛り上がった土の上に摘んだ野草の花を乗せると手を合わした。すると哀しい忌まわしい記憶が駆け巡ったあと、妻と子供との楽しい記憶が蘇った。タケイルは、その記憶にしばらく浸っていた。


幸せな気持ちが胸を満たした。


やがて記憶はすうっと筋を引いて青い空に立ち昇っていった。タケイルの腹のしこりもそれと一緒に消えて無くなった。


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