第16話・王都サラ。
天の国の中心地・サラタ山の麓のこの町は、かつては全島を支配した王都として栄華を誇っていた。
その頃の街道は人と荷物で満ち溢れ、王宮には煌びやかな服を着た人々や貢ぎ物を運ぶ馬車がひっきりなく出入りをして、目まぐるしいほど賑やかだった。
だが、今のサラの町は人通りも少なくどこか侘しい投げやりな雰囲気が漂っている。かつて白亜に輝いていた王宮も、大理石の表面は汚れて燻って光を反射することも無く。人があまり訪れることの無い王宮には掃除夫さえ満足にいなかった。
ミキタイカル島の王都だったサラは、辛うじて天の国の国府の体勢を持っているものの天の国の他の三つの町さえ支配しておらず、栄華に輝いていた王宮は今・寂れた田舎町の役所の雰囲気のようだった。
山の民との交流は絶えたために、山を越えて豊富に入っていた山の幸や鉱物・木材は入らない。さらに立地上海の幸や交易品は他の町を経由した品しか入らない。
そのせいもあって大きな商いをしている商人は、大挙して地の国の湊町に拠点を移した。
王宮は辛うじて残った農民や小商人らの税で食いつないでいる有様だ。しかしそういう四面楚歌の中、他所からの侵略を恐れた王は軍備を拡大して、贅沢を好む王妃と王子は多額の税を浪費して民は喘ぎに喘いでいた。
しかしその王宮はいつもに無い厳重な警備がなされていた。
外廻りを衛兵が頻繁に往復して、内部には百人規模の近衛兵が詰めて、王の居室の外には二十四時間体勢で複数の警備兵が哨戒していた。
シャランガ王は、玄武の倅が地の国に入った事を知った日からこの部屋に閉じ籠もっていた。
「ザボン湊に放った刺客が連絡を絶ちました。恐らくは返り討ちにあったかと」
王の腹心で今のサラを牛耳るカベンダ宰相が報告する。
「玄武の倅が、地の国・ザボンに入ったのは間違いないのか?」
シャランガ王が無精髭に覆われ疲れた顔で問う。
「湊の多くの者が海の国の交易船から、体格の良い若い男が降りた事を見ています。それに、海の国に放った密偵からその船に乗ったとの報告が届いていますので、海の国でタケイルと名乗った、玄武の倅に間違いなかろうと思います」
「かの国の武術大会で優勝したのだったな・・」
「はい。二〇才の若さで優勝して海の国では英雄扱いされていたと聞いています。だが所詮は若造一人です。王は何故そんなに恐れておられる。山の一族とてミキタ山脈の後ろに引き籠もり、天の国と交流も出来ずに生活は逼迫しているに相違ありませぬ」
「お主は、玄武の恐ろしさを知らぬ・・」
シャランガは二〇年前に起こした反乱を思い出していた。
(あの時は最小限の血で全ては終わる筈だった・・)
あの日、天の国剣術指南・玄武道帆の第二子誕生のお祝いが、王宮で内々に行われていた。誕生から三月ほど経ち母子共に出かけられる様になってからの行事だった。
それは内々な集まりだったので、王の家族と三つの町の代表者だけで行なわれた。玄武家からは、道帆と三つになる長男の手を引いた道帆の右腕と言われる猪俣十兵衛と乳児を抱いた奥方のみだった。
警備するのはシャランガの率いる近衛隊だ。
まさに政権を奪う絶好のチャンスだった。王を処分してその他の者を捕らえれば、クーデターは成功する。その計画通りにクーデターは順調に進んでいた。
三つの町の代表を捕らえた。
高徳王はシャランガ自らが刺殺した。
後は玄武の家族を捕らえるだけだった。
もはや成功したのも同然だった・・・・
シャランガは武芸の師でもあり、尊敬していた道帆とは敵対したくなかった。出来れば友好的に対処して以後も武芸の指導を頼みたかったのだ。
しかし、九割がたは成功していた計画がそこで齟齬を生じたのだ。
捕らえようとした玄武の三才の長男が、兵の剣を奪って抵抗した。兵もまさか三才の子供に反撃されるとは思ってもなかったのだろう。
その結果・事を焦った小隊長が剣を抜いて、三才の子供を攻撃した。それに気付いた母親が子を庇い、二人共兵に斬り倒されたのだ。
予定外の事故だ。
まさしくそれは、突発的に起きた予定していない事だったのだ。
だがそれを見た玄武道帆の怒りは凄まじかった。
シャランガも武芸の達人である道帆を敵に回したら面倒だとは思っていたが、あれ程のものだとはまったく想像もしていなかった。
一瞬で周りの兵が跳ね飛ばされた。多くの優秀な兵がそれで死んだ。
生き残った兵はその時に、そこで地嵐が起った様だったと言う。
シャランガが気付いて駆けつけた時には、仁王の様に立ち尽くす道帆の周りには、夥しい兵が倒れていた。
しかもまだ道帆は素手で、武器は何も持っていなかったのだ。
道帆の傍に血を流して倒れている母子の姿を見たときに、シャランガは臍を噛んで、兵に囲んで討ち取れと命じた。もはや、関係修復は不可能と判断したのだ。
だが無手の道帆は兵の武器を次々と奪って闘い、兵は数をどんどん減らすばかりで道帆はいっこうに倒れない。やむなく弓手を配置して同時に射かけた。
その時一陣のつむじ風が道帆を包み、矢を流しただけで無く幾本かは吹き飛ばされて矢を放った射手を襲った。その内の一本は真っ直ぐシャランガに向かってきて、それは間一髪で躱すことが出来た。
シャランガは、背中に冷たい冷や汗が吹き出た・・・
(玄武道帆が風の剣を使うというのは本当だったのだ・・)
次は槍で四方から突き込ませた。
しかし囲んだ兵の槍ぶすまを切り割るかのように、風は吹き荒れ嵐となった。槍先は折られて、又しても切り折られた穂先が真っ直ぐにシャランガに向かって飛んできた。
それは、防いだ鉄製の矛に突き刺さった・・・・
シャランガは恐怖で体が震えた。
だが、この攻撃で道帆もかなり手傷を負った様だった。もうなり振りなど構っていられない。弓手を増やしてさらに四方から兵を掛からせその兵ごと射殺したのだ。
気が付いた時は、全身矢ねずみの道帆の周りは夥しい兵の死骸が横たわっていた。
シャランガの切り札であった精鋭中の精鋭である近衛兵二百が、僅か五十程になっていた。師である道帆と闘う事を拒否して逃亡した兵もいた。
(あれで、王権の運営が大幅に後退した・・)
人質を取った三つの町を服属させる事に成功したものの、サラ軍の要である近衛兵が壊滅状態になった事で、軍の力が弱まり下手に出ざるを得なかった。
サラの町にいた山の一族は、この事を知ると一斉に引き上げて国境を閉ざした。
闘争の場から道帆の右腕と言われた猪俣十兵衛と、生まれたばかりの次男の死体が無い事が判明して、軍を山の国との国境に向けて何度も進軍したが、嶮岨な山と神出鬼没の山の一族に攻撃されてミキタ山脈を越える事は遂に叶わなかった。
(素手のたった一人を倒すのに、あれ程苦労したのだ。もし、倅が山の民を従えて進軍したならサラ軍だけでは到底相手にならぬ・・・)
その事を身に染みて知ったシャランガは、精兵である近衛兵を再編して増やし続けた。精兵はそう簡単には得られない、それは地道な努力と年月が必要だ。
何年も掛かって以前の二百の精兵を揃える様になると、ようやく優秀な指揮官と指導者を失った痛手を回復出来ていた。
サラ軍は六百だ、その内の二百が近衛兵。資金と人が激減したサラでは、これ以上の軍容は無理だった。兵数が以前の状態に戻ったに過ぎぬ。
この兵力で他の町の軍とは、個別には対抗できる。だが、山の民が玄武家に指揮されてミキタ山を越えてきたなら・・と、いつもそれ恐れていた。
その恐れが二〇年の歳月を経て現実になりつつあるのだ。
クーデター以降多くの者が去った。
王宮の泉が枯れて周辺の農地を潤していた水も涸れて、耕作が出来なくなり農民の多くが他の町に移った。
水が枯れた原因は、道帆の妻で水の神巫女・美幸様を殺した事だと言われていた。シャランガもまさかそこまで影響があるとは思ってもいなかったが、その影響はすぐに出たのだ。
「万全を起して、タケイルを始末せよ」
「おまかせ下さい。精鋭の三つの町の偵察組を向かわせております。又各地に密偵を潜ませて、腕利きの浪人どもを確保しております」
宰相カベンダの天の国の三つの町の精鋭を使う策は聞いた。
もし、その事が各町に発覚すれば反感を買うが、その時はその時だ。今はタケイル暗殺が最優先事項なのだ。
「ザボンの町で見失ったとすれば、そのまま天の国に侵入しているかも知れぬな」
「街道や間道に見張りを配していますが、まだそのような報告はありません」
シャランガは不安になった。
ガベンダは目端の利く有能な男である。これは、と思える奇抜な策も思いつく。だが、かれは山の民の力を甘く見ている。山に兵を向けた時には、まだ彼は居なかったのだ。
(カベンダ一人に、タケイルの事を任せても良いのだろうか?)
その夜、シャランガは近衛隊長のシャベルに相談した。
シャベルは、シャランガが近衛隊長だった時の副官で苦しい時代を一緒に経験した良き理解者で今は軍事面での腹心である。
「確かにガベンダは、玄武や山の民の力を甘く見ております。奴だけに任せるのは危険だと思います」
話を聞いたシャベルが同意した。
「何か打つ手はあるか?」
「はい、黒党の制圧地域に入れば、毒殺や大勢の兵で囲んで討ち取る事は可能です」
黒党には密かに手を回して、援助しているのだ。黒党が勢力を持てばオスタを背後から牽制出来る。
「他の地域に策は無いか?」
「人質を生かして、ウスタを動かし高砂国でも待ち受ける事は出来るかも知れません」
「ウスタが承知するかな?」
「成就の暁には、人質を帰す条件なら望みがあります」
「前王子と王妃を帰すのか、それは・・」
「考えてみて下さい。ウスタが玄武の倅を殺したなら、もはや門閥家の連合に加われません。おまけにその時にウスタは山の民も敵に回すのです」
天の国の三つの町は、ウスタが西家、オスタは東家、ザウデは南家が支配していた。その三つの家を門閥家と呼びサラの王家とも長い縁戚関係にあった。
「ふむ、となると儂に味方せざるを得ないか・・」
「その時には黒党にオスタを対応させれば、サラ軍とウスタ軍でザウデ軍に当たれます」
「そうなれば、勝ち目もあるな」
「もし玄武の倅が山の民を率いたら、もはや勝ち目はありません」
「よし、すぐに手を打て。黒党にもう少し力を付けさせる手を考えよ」
「お任せを」
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