第17話・バルーンの市。


春の訪れを告げる風が、街道の土埃を舞い上げ視界を奪っている。

真っ直ぐに東から延びている筈の街道が土埃に掻き消え、目を開けている事さえ困難な日だった。


ここは大前国の中央西の町バルーン。シゲ湊から北に十里ほど、国境の青龍川近くにあり主要街道である中道(なかみち)が通る町だ。

 街道を行き交う人の多くは付近の農民や荷を運ぶ荷負人だ。馬やロバに荷を積んでゆく商人も少なくない。

山なりの荷を荷車に積んだ荷負人が馬に鞭を打って通行人を蹴散らして土埃と騒音をまき散らして行き去った。背に商売道具を背負って各地を巡る行商人や旅芸人の一団もいた。

中道らしく、山地から薪や炭を売りに来た住民や海岸から海産物を売りに来た住民も混じる。それらの人を目当てに、街道沿いは食べ物を売る小店が建ち並んで賑やかだった。



「バタバタバタッ」

 と、風に重く震える様な音がして土埃の向こうに黒い影の様なものが見えた。

  影は、つばが広い笠を頭に深くかぶりマントを纏った人だ。顔には布が巻かれて露出している所を減らし土埃を防いでいる。


特に目立つ風体でも無いが、いささか異邦人の雰囲気を漂わせている。

男は、腰に剣を差し杖代りの手槍を持っている事から武人と解る。灰色と黒色の男の服はまださほど土に汚れておらず、旅に出たのは最近だと知れた。背が高くマントに覆われながらも、均整のとれた精悍な身体つきが窺える。


 その男タケイルは、吹き荒ぶ風によろめきもせずに滑る様に近づいてくる。それだけでも男の腕が並では無い事が解り、見ていた小店の男は思わず身震いをした。


 タケイルは店の前に立ち中を伺って食料を扱う店だと確認すると、無言で見つめる店主に小粒の銀を渡して言った。

「米をくれ、二升ほどだ」

 頷いて米を計る店主に米を入れる袋を渡すと、

「味噌と醤油も欲しい。あと、干し肉はあるか?」

「鹿の干し肉ならある」 

「それでいい、後は酒と水だ」


タケイルはシゲの湊町から北に向かい、ここ中道通りのバルーンに来た。道の両端には店が建ち並び、旅をしてきた者に安らぎを与えてくれる。

町だけあって店で取り扱う物は充実していて、飛脚や荷駄を扱う馬車屋・周辺の農村部から集積する各種の問屋・寺院や旅籠から酒・薬・古着・蓑笠靴・食料の生活用品から職人・農家・猟師の道具や武器まで一通りは揃う。


 タケイルは野営の食料を揃えている。これからは野営を中心にするつもりだった。その方が気楽で刺客にも備えやすい。シゲの町では刺客に襲われ旅籠と泊まり客に迷惑を掛けてしまったのだ。


バルーンの町からも右手の遙か先に白い雪を頂いた山が夕日を浴びて赤く光っているのが見える。


島を南北に分断するミキタ山脈の主峰・サラタ山だ。


道中のどこからでも見えるこの母なる山を見ながらの旅は悪くなかった。

(あそこが私の生まれた山だ・・)

そう思うと尚更心が和んだ。


 旅の間に、サラタ山の白く光る雪が少しずつ消えてゆくのを見ながら、故郷に帰る日が近付いて来るのを感じて充実した気分だった。


「お客さんはどこから来なさった」

「東からだ・・」

「東のザボンの湊の様子はどうだい」

 店主が何故か東の湊町の事を聞いてきた。

「ああ、たいそうな繁栄をしていた」


「黒党の土地は見てきたか?」

「見てきたよ。少しだけだがな」

「どうだったあそこは、豊かだったか?」

「普通だったよ」


「これから何処へ?」

「特に決めていない。だがオスタにも行ってみたいな。間道はあるだろうか?」

「それなら、オトの町に行って山師の案内人を雇え」

「わかった。そうする」


 行き先は言わないほうが良いのだ。刺客が探索に来るかもしれない。それでわざと方向違いの事を尋ねたのだ。

「ところで、人が多いな。祭りか?」

「今日は月に一度の晦日市だよ。その先の広場でやっている」

「市、それでか・・」

 農民や漁師や行商人らが集まって広場に店を出している。それを目当ての庶民や商人が集まってきているらしい。お祭り騒ぎのように人が多くいた。

「饅頭はどうだい?」

「ああ、貰おう」


 街道脇の広場では、周囲を小店が取り巻き、広い広場の中は賑やかな音楽がして幾つもの人だかりがしていた。

人の列の後ろからその一つを見てみると、鼓を叩きながら小猿に芸をさせる猿回しの大道芸だった。


「さあーさぁ、皆様ごろうじろ。お猿の小助の大妙技、巷には猿も木から落ちると言う諺がありますが、この小助にはそういうものは通用いたしません。なんとこの小助は・・・でございます。サアサ・サアサ、小助の大妙技。本日限りの妙技をご覧あれー。見なきゃソンソン。トテトン・トテトン」

 猿回しの大道芸の廻りには、口上につられた子供たちが、好奇の目つきで囲んで小助の妙技が始まるのを待ちかねている。


 その隣では、逞しい筋肉隆々としたタコ頭の巨漢が、口から火を噴き出していたり、梯子の上で、綺麗な少女がポーズを決めていたりしていて、それぞれに沢山の観衆が見入り、地面に置かれた籠や入れ物に投銭をしていた。


「アさて、アさて、さて・さて・さて・さて・さては南京玉すだれ。玉子が演じる玉すだれ。ちょいと伸ばせば浦島太郎の魚釣り竿に・・・・」

海の国の祭りでもよく見かける「南京玉すだれ」の芸を、色っぽい女芸人が演じていた。そこにたかった男達は、芸よりも胸元を大きく開いた女芸人・玉子の艶肌に見入っていた。


「お姉さん、こっちこっち」

 観衆の一人が声を掛けると、女芸人は調子を止めること無く、そちらの方へ行った。客が女芸人の腰に付けた籠に銭を落とすと、

「おありがとう・ござーい」

と言って、深く腰を折る。


「おおー、良いぞー。目の保養だ」

 そこでは、しばらく銭が籠に投げ入れられて女芸人は何度もおじきをした。


「おおーい姉さん、こっちもだ」

 タケイルの前から声が出た。

「あーい」

と言って、玉すだれを使いながら女芸人がこちらに回ってくる。

「ほい、祝儀だ」

 男が銭を籠に放り込むと、

「おありがとうござーい」

と、女芸人が深く腰を折る。その時に、大きくはだけた胸元から、乳が覗く。客は、これを見る目的で銭を投げ入れているのだ。


直った女芸人が、金を払わずに覗いた者達を催促の目で見る。

そうすると、

「しゃあねえ、いいもも見せて貰った」

と、他の者も渋々と銭を投げ入れる。


「おありがとうございー」

と今度は、身じろぎした女芸人が腰を折ると、さっきより少し余計に乳が見えた。恐らくは最初に声を掛けた者は「サクラ」なのだ。

「おおー。今度は俺だ」

と次の者が続いて、女芸人は更に余計に見える様に身じろぎして腰を折った。


(これが、この人の芸か・・)

と、タケイルが思った時、次の祝儀を催促する女芸人と目が合った。

艶めかしくも妖しい目つきを見て、タケイルはあわてて視線を逸らしてそこを離れた。


 子供の頃、タケイルを誘い出して襲った女芸人を思い出したのだ。

その日は盛大な漁師祭りの夜だった。

タケイルが母の名前をはじめて聞いた日だったのだ。


「タケイル、私は別れたお前の母親だよ。会いたかった・・」

と、言って女芸人は近付いて来たのだ。


(違うこの女は、母上なんかじゃ無い・・・)

とタケイルは分かっていても、初めて言われた「母」と言う言葉に心が揺れて、女から目を離すことが出来なかった。


 女は優しくタケイルを抱きしめて、

「あっちの静かなところでお話しましょう」

と、タケイルの手を握って祭りの喧噪から離れた湊の暗がりに連れて行った。

タケイルはそんな女に抗うことが出来ずに付いていって、後から追って来た友が、

「その女は刺客だ!」

と、大声で知らせてくれるまで、心が揺らいでいて危うく命を取られそうだったのだ。


 タケイルは、女芸人から離れて次の大道芸を見にいった。


「サアーサアー お立ち会い。ご用とお急ぎでない方はゆっくりと聞いておいで。

 縁で山越え、笠のうち、聞かざる時はものの白黒出方善悪がとんと分からない。

山寺の鐘がゴーンゴーンと鳴るといえども、童子来たって鐘に鐘木をあてざれば、とんと鐘の音色が分からない・・・・・」

 と言う、がまの油売りの口上が聞こえてきた。

(効きそうなら買っておくか・・)

 コヨーテとの闘いで、金創薬をだいぶ使ったのだ。

だが大道芸で売る品物は、当たり外れが大きい事を知っていた。

 短剣を取り出したがまの油売りは、短剣の切れ味を見せて、その刃にがまの油を塗りがまの油の効能を大袈裟に見せる。

それは、海の国での大道芸と同じだった。


「サーテお立ち会い。このようにがまの油の効能が分かったら、遠慮は無用。どしどし買って行きやがれ!」

と、口上を締めくくると何人かの客が買いに行った。


「あのがま油売りは、いつも来ますか?」

 タケイルは、傍にいる如何にも地元者らしい格好の男に聞いた。

「ああ、祭りや市がある度に来る武家だよ」

「それで、がまの油は効きますか?」

「うん、少々高いがそれだけの物はあると言う評判だよ。この辺りの物持ちなら大概は持っている」

 男はタケイルに声を掛けられて驚いたようだったが、丁寧に教えてくれた。

「そうですか。それならば私も買っておこう」

 軽く男に頭を下げたタケイルに、男は笑顔で頷いた。

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