第18話・火の神巫女。
バルーンの町で食料を調達して市を楽しんだタケイルは、市の喧噪から離れて青龍川の河岸に来た。
もう西の空は茜色になりつつある。
バルーンの町からはサラ山脈を掠めて、地平線に沈む夕日が見られる。夏の時期には地平線から上がる日の出も見える。ミキタイカル島では数少ない東西に開かれた場所だ。
(今日はここで泊まるか・・)
タケイルは、夕日の方向の広大な台地を見ながら考えた。
すぐ目の前が青龍川で大前国と黒崎国との国境だ。渡船は明るいうちにしか動いてない。国境を越えるのは明日で良いだろうと。
川岸には野宿する良い場所が幾つもあった。街道から少し上流に上がった場所を選んで、荷物を置くと傍の林に分け入って薪を集めてきた。
石を並べた焚き火跡を掘り返すと、出て来た炭を並べて焚き付けの細い枝を置いて火を付けた。
枝を次第に太くしていって炎が大きく燃え上がると、それに比して廻りは闇が訪れた。
焚き火の炎を認めたか、一人の男が近付いて来る。その笑顔の男はキクラだ。左手に藁に包んだ物を持っている。
「タケイル様、市で七面鳥を購ってきました」
「おお、それは豪華だ」
タケイルは林から切ってきた竹に酒を入れて、焚き火の傍に置き暖める。
キクラは七面鳥の肉を切って平らな石の上に並べる。川岸には他にも野宿する者がいると見えて焚き火がちらほらと見えていた。
「大道芸の人らも野宿のようです。その中にこちらを気にする一団がいます」
「殺気は感じないが・・・」
「火を使った大道芸の者達です」
タケイルは昼間に見た口から火を噴く大男を思い出した。その他にも火を使う者はいた。
「放っておこう。奴らが動けば気づく。それに、ここでは毒を盛られることも無い」
「さようで」
焼けた石の上で焼いた七面鳥を肴に酒を酌み交わした。暑くも寒くもなく蚊もいない、この時期は野宿する者にとっては最高の時期だ。
翌朝の海から上がる日の出も見事だった。
朝を何事も無く迎えたタケイルらは、焚き火を起こして粥を炊いて腹ごしらえをした。大道芸人の一団はもう姿を消していた。
船で青龍川を渡った。船着き場には大前国の関所があった。だが関所で止められる事はなかった、往来は自由である。これは地の国の何処にでも言えることで、通行手形も必要ない。
地の国は元々一つの国であったのだ。
今では国が別れて畑や仕事先が他国であるということも多く、国境を越えて他国へ商いに行く商人や職人も多い。
各地の物産や人が停滞すると生活が成り立たなくなるので、関所で止められるのは、武装した兵やまとまった集団、お尋ね者に似た者ぐらいだ。
黒崎国に入った。
と言っても、相も変わらぬ土埃が立つ見栄えのしない街道だ。国が違うという感慨は無い。だが午前の早い時間は、昨夜の夜露で土が湿っていて埃が舞い上がらず快適だ。
しばらく進んだ道端にボロの様に蹲っている者がいた。
マントは元の色が解らぬ様に変色して土色をしている。烏帽子から覗く汚れた長い髪は乱れて顔を隠し俯いた顔は見えない。年齢も性別どころか生きているか死んでいるかも解らない。
その者は顔の横に杖を突き立て、その杖を中心にマントを掛け回し小さな円すい状のテントの様な形にして、その中で蹲っている。
「そこの男、そなたの行く先には苦難が待っている・・」
タケイルが傍を通ると、そのボロの様なものが嗄れた乾いた声を出した。
その声に足を止めたタケイルが振り向くと、ゆっくりとその者が顔を上げた。そこには土埃で黒く汚れているが意外に若そうな女の顔があった。
その者の雰囲気からして旅の巫女だろうとタケイルは思った。旅巫女は呪術や幻術・神託・予知などをなりわいとしている妖しげな者達だ。
この道中でも何人もの旅巫女を見かけた。大方はタケイルの先行きを占って商売をしようというのであろうと、タケイルはその女を無視して歩き出した。
「・・そなただけでは、越えられぬ」
「その時はそれまでだ。成らねば成らぬで良かろう」
女が追いかけるように声を掛かけたので、タケイルは足を止めて返した。
「違う、それではいかぬ」
と、旅巫女は執拗に絡む。
「何故だ?」
「お前一人の問題で無いからだ」
「では、誰かが手助けをしてくれると言うのか?」
「そうだ。その者を知っている」
「誰だ、その者は?」
旅巫女は黙って手を出した。
「教え賃がいるのか?」
「それが、人の世と言うものだ。取りあえずは、食い物で良いぞ」
「一流の旅巫女なら、妖術でその辺の石ころでも食い物に変えられよう」
「それは出来る。だが妖術は目くらましの術だ。石ころが食い物に見えても、食える訳ではない」
「なるほど」
その答えを気に入ったタケイルは、昨日の店で買った饅頭を一つ投げた。
旅巫女は、器用にそれを空中で受け取ると食った。
「それで、その者はどこに居る?」
「報酬はたった一つの饅頭か、そんなけちくさい根性では成るものも成らぬ。もっとよこせ」
苦笑したタケイルは、饅頭を袋ごと放って渡した。
「良い情報なら金も出そう」
「当たり前だ、間違いは無い」
言いながらも、黙々と饅頭を食う旅巫女。忽ち三つの饅頭を食い切ると、皮の水入れを出して水を飲んでいる。
「ふう、やっと人心地がついたわ」
旅巫女は起き上がると服の泥を払った。長い事蹲っていたと見えて、盛大に土埃が上がった。
「さて行くか」
と、目つきで答えを催促するタケイルに構わずに歩き出す旅巫女。
「何処へ行こうと言うのだ。まだ答えを聞いておらぬぞ」
タケイルが旅巫女の背に問う。
すると、足を止めて振り向いた旅巫女が、
「私はザビンガ。ザウデの神巫女だ」
と言うやさっさと歩き始める。
その旅巫女に並んで歩きながら、タケイルは不満を抱いた。
「私の名はタケイルだ。ザビンガ、さっきの答えを聞こう」
「鈍いぞ、タケイル。お前の手助けをするのは、私だ」
タケイルをちらりと横目で見た旅巫女が平然と言った。
傲慢な態度だ。
「道端で腹減って死にかけていた者が、私の手助けを出来るのか?」
「そうだ」
ザビンガは、躊躇なく当然の様に答える。
「神巫女が何故、道端で乞食の様になっていた?」
神巫女とは各地を歩く旅巫女とは違い、神殿にいる最上位の巫女のことだ。
その身分は神の如くで、国王でもその前に跪く。
こんな街道で埃を被っている身分では絶対に無い。
「タケイル、ちょっとは考えろ。何もかも聞いていれば馬鹿になるぞ」
と、ザビンガは取り合わない。
「しかし、それは私には関係無いそっちの事情だろうが・・」
道端の乞食同然の者に饅頭を恵んで、その上、馬鹿と言われたタケイルは、少し不機嫌になった。
「それもそうか・・なら教えてやる。お前を待っていたのだよ。三日前から」
「三日前からだって・・シゲの湊町で腹を下して、三日寝ていたのだ」
「そんなことだろうとは思ったわい。お主が腹を下したお陰でわしは腹を減らしたのだ。饅頭だけで勘弁してやるのは慈悲というものじゃ」
その夜は、小川のほとりで野営した。
手槍で魚を狙うタケイル。
ザビンガは服を洗い枝に吊して干して、岩陰で水浴していた。
たき火を燃やして獲った魚を枝に刺して焼いているタケイルの前に、水浴を終えたザビンガが素肌にマントを纏って戻って来た。
洗われて素顔になったザビンガを見て、タケイルは呆然としてしまった。
(美しい・・)
もともと巫女は美しい容姿でないとなれないのだ。それはタケイルも知ってはいた。理由は寺院が荘厳な造りであるのと同じだ。
だが全身に被った土埃を落としたザビンガの顔は、想像を超え神々しい気品の漂う美しさだった。
まさしく神巫女の美しさだ。
「そんなにジロジロ見るな」
顔は美しく変わったザビンガも、そのぶっきらぼうな声色は変わらなかった。
その声に我を取り戻したタケイルは聞いた。
「お前の年は幾つだ?」
「十九だ」
ぶっきらぼうに、男言葉のザビンガが答える。
「私よりも年下じゃないか。その若さで手助けが出来るのか?」
タケイルの答えに、むっととしたザビンガが手の平を前に出して叫ぶ。
「グァンカ!!」
刹那、たき火の火が勢いを増して数倍の大きさに燃え上がった。それは人の背丈を超えて、強烈な熱を放射した。
その衝撃でタケイルは後にひっくり返った。
勢いを増した炎は何筋かに細く別れると、とぐろを巻いて串に刺して焼いている魚の廻りを回り始める。
まるで意思を持ったかのような炎をタケイルは驚きの目で見つめている。
たちまち魚はこんがりと良い色に焼かれて、ジュウジュウと油が垂れ始めている。
「シャララ!」
ザビンカが開いた手の平を手前に引いて握り締める。途端にとぐろの火は、手の動きに合わせてかき消えた。
「驚いた・・・・・・」
ザビンガの技を見たタケイルは心底驚いた。
彼自身の力では到底考えられない技だ。
「巫女の力は年齢や修行の長さではなく、素質だという事を知らぬのか?」
と、不機嫌な声でザビンカが言う。
「それは聞いたことがある。そうか、先ほどの言葉は取り消す。今のは妖術か?」
「妖術ならば、魚は焼けぬわい」
串刺しの魚を見ると実際に綺麗に焼けていた。一本取るとザビンガに渡して、二人で食い始めた。
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