第23話・母なる朱雀川。


渡し船の船頭に十文を渡して、朱雀川を渡る船に乗る。

ザビンガは先ほどの札を見せると、船頭は頭を下げて渡し賃を取らずに乗せた。巫女は渡し賃が要らない様だ。


「朱雀川はな、ミキタイカル島の真ん中を流れているのだ。その源流はミキタ山脈の玄武谷だ。あの噴煙が出ているサラタ山から湧いてそれが玄武川となり、サラ・ザウデの町を通って朱雀川と名を代えて海に注いでいる」


 ザビンガが小さい声で説明してくれる。振り仰げば、真正面に青い空に白いミキタ山脈・サラタ山が上げる白い噴煙が青空にくっきりと見えていた。


タケイルは朱雀川の水面に渡し船の船底一枚で接していると、何とも懐かしい穏やかなものが川から湧き上がって優しく包みこまれている不思議な感じがしていた。


「玄武川は朱雀門付近では七つの滝となって落ちているが、その水量はそう多くはない。この豊富な水量の殆どが伏流水となって、マナイの町の近くで湧き出しているのだ。マナイとは古い言葉で泉と言う意味だ」


 朱雀川を上流へと目を移せば、壁の様に見えるものが朱雀門と言われる断崖だろう。その上の天の国の町は角度的に見えないが、屏風の様なミキタ山脈との間にある。


「この川幅と水量のお陰で、中流域のボーデンまで交易船が上がって来られる。ボーデンはミキタイカル島で唯一の汽水の交易湊だ」

 やがて、渡し船は対岸の川中国に着いた。下船した旅人は関所の前に並んで通過出来るのを待っている。こんな事は、今までの関所には無かった事だ。


「関所でチェックを受けるのは初めてだ。ここらで何事かあったのか?」

「ここではいつもこうなのだ。まあ言えば、川中国が安定しているという証拠だな

(そういう事か)

 国が安定していれば、関所もちゃんと機能すると言う事だな。


「私は武者修行という事で良いか? 海の国の手形なら持っているが・・」

「それでも良いがあれこれ聞かれると面倒だ。私の連れと言う事にしておく」

 ザビンガが素っ気なく言い切る。


 やがてタケイル達の番が来た。ザビンガが札を見せると、関守は姿勢を正して礼をして通過させてくれた。


「何なのだ。その便利な札は?」

「朱雀の神殿の者だという事を証明する物だ」


「ザウデの町だけでなく、ここでも通じるのか?」

 その辺の事情を、タケイルは全く知らない。


「神殿の信仰は、麓の地の国に広まっている。昔は皆同じ国だったのだ。特にここ川中国は、朱雀道を通して天の国ザウデの町と繫がっている。ここの国王も朱雀神殿の信仰をしているのだ。それに今でも両国は友好な関係を維持している同盟国と言って良い」

「なるほど」


 タケイルは天の国の町と地の国との関係を考えてなかったが、道が繋がっている以上、人や物資・信仰や軍事面でも関係があるのは当然だった。


「そうなると、ザウデが兵を挙げる時には川中国から応援が来ると言う事か?」

「望めばそうなる。逆にザウデから応援の兵を送った事もある。だが天の国の事は、天の国の兵で決まるだろう」

 地の国の兵を天の国に入れる事は望まぬと言う事か・・


 渡し船を降りるとすぐに湊でボーデンの町だ。ボーデンの町は朱雀川に面している湊町なのだ。

「大きい・・」

 今までにない町の大きさにタケイルは呆然とした。

町の中心部は朱雀川の水を引き入れた幅広い堀で囲まれて、高い壁で守られている。中心部に通じる橋のたもとには、城門があり兵が立ち鉄壁の備えをしている。

 高台に白壁が煌めく城の周りは建物が建ち並び多くの人が行き来して賑やかだ。水路の外側にも、見渡す限りの家が建ち並びその広さは把握出来ない。


「元は、ここが地の国の中心地だったのだ。いや、今でもそうかもしれない。地の国の中で川中国は他国の1,5倍の面積を持ち、人口も数倍はある。経済的にも軍事的にも最も強力な国だが朱雀川と白虎川との間に留まって、国を広げようとは思っておらぬ。恐らくは天の国の統一を待っているのだろう」

「各国はどれほどの兵を持っているのだ?」


「そうか、それもまだだったな。サラで反乱が起こる前の天の国の軍は、オスタ軍、ウスタ軍、ザウデ軍、サラ軍ともに一千の兵。サラ軍一千の内二百は近衛隊だ。近衛隊は各軍から選抜された精強な一騎当千の兵で、天の国の主力軍だった。しかし反乱が起こったときにその半数以上がお主の父を討つために戦死し、或いは戦いを避け逃亡した。討つ者も討たれる者も師弟として親しい間柄だったのだ。無残な戦いだったろう。近衛兵はその後も逃れて各軍に帰る者が相次いで残った兵は僅かとなって、新国王の勢力は急速に落ちたのだ」


「山の民は?」

「山の一族の兵は約五〇〇だったが、他の軍一千と対等以上の力があった。反乱で長と嫡男を失って天の国との交流を断ったが、今でもその勢力は衰えていないだろう。サラも二十年の間、他の軍の侵略を警戒して軍の充実を計ってきた。今は元の兵力以上になっているだろう。だが優秀な指導者を失って練度は落ちている」


 ザビンガは若いが立場上過去の事もよく知っている。

 サラは一千の兵を持っていても、うしろに精強な五百と、廻りを三千の軍に囲まれては他国との交渉に気を使うのも解る。


「地の国はどうなっている?」

「地の国は、東から大前国・二千五百、黒崎国・二千五百、川中国・四千、高砂国・二千の兵力だ」

 地の国の兵は合わせて一万一千。天の国の兵は合わせて五千ということだ。


「ならば川中国単独でも、ザウデの町を侵略出来るではないか?」

「確かに数の上ではそうなる。守備兵一千を残してもザウデ軍の三倍の兵で攻められるがそう簡単では無い」


「絶壁の朱雀門があるからか?」

「そうだ、地の国の兵はそう簡単に門を抜けられぬ。それに・・」


「それに?」

「天の国の兵とは元々質が違うのだ、倍しても歯が立つまい。その上に・・」


「まだあるのか、その上が?」

「そうだ、兵の力だけでは無い。天の国の各軍には神殿の力があるのだ」


 神殿の力とは信仰する力か?

地の国の兵に天の国の神殿を強く信仰する者がいれば、戦いを放棄するか、最悪の場合には寝返ると言う事か・・


「天の国の軍に対抗するという事は、神殿の神に敵する事になるのか」

「そうだ。土の神、木の神、水の神、金の神、火の神を敵に廻したくはないだろう」


「それは厄介だな。だが火や水なら解るが、木や土や金の神を怒らすとどうなるのだ?」

「まあどれも戦いでは威力は無いが、普段の生活に欠かせない物だけに恐れが大きいのだ」


 木や土が攻撃して来て鉄で作った武器が切れなくなるのかと思っていたタケイルは、ほっとした。もっともそうなれば戦いにもならないだろう・・


「しかし、火は直接攻撃出来るのだろう?」

「そうだ、しかしそれも余り多くの数を相手には出来ぬ」

 数が多くなくとも目前の兵が火に焼かれれば、その衝撃は戦を放棄するのに充分であろう。


「天の国でも、山の一族は神殿も無いし恐れるものは持っておらぬな・・」

「それは違う。最も恐れられているのが山の一族じゃ。強さと神出鬼没。神殿は無いがサラタ山そのものがご神体じゃ」

「山の神は、厄介なものを持っているか?」

「天の国・地の国を潤す水は全てミキタ山脈から与えられている。考えてもみよ、水が無くて人が生活していけるか?」


 確かに水が無ければ、人は一日たりとも生活出来ない。

「なるほど、山の神の力は解った。では山の一族は何か持っているのか?」


「馬鹿者。何を言っているのだ。今そなたは何を求めて修行している?」


(何を求めて?・・風花の剣を・・)


「風か?」

「そうだ、山から吹き下ろす風じゃ。一人で近衛兵を百人も倒した風じゃ。それにな、山は奥が深くて実は誰も入った事が無い。つまり山の民のはっきりとした人数や兵力も解っておらぬのじゃ。島の裏の湊で交易をしているとか、海の国とも親密らしいと言う噂もあるが本当の事は誰も知っておらぬ」


 タケイルはこの半島の裏にはクンタ湊があり交易が盛んだと聞いていた。だから、天の国と交流を断っても問題無く自立出来ているのだ。


「風か・・」

(風花の剣にどんな力があるのだろう?)

 それについては教えられていないし、十兵衛も知らなかったのだろう。


「先程、渡し船に乗って川に浮かんでいる時に、何か優しいものに包まれている気がしたが、あれは私が山の一族故か?」

 さきほど感じたことを聞いてみた。こう言う事を聞くのには神巫女はぴったりだろうと思ったのだ。


「ふうむ・・」と、ザビンガは考えていたが、

「そうじゃ。ついて来い」

と、ザビンガは河岸へ降りていった。それにタケイルもついて行く。

 河岸に立って上流を向いて、瞑目していたザビンガが目を開くと言った。


「タケイル、川に両手を浸けてみよ」

 タケイルは言われた通りそっと浅瀬に入って、両手を浸けてみる。冷たい。水はまだ冬の名残があった。でも苦にはならない。その時、頭の中に突然声が飛び込んで来た。


―次郎、帰ったのね。大きくなったわ―

 夢に出て来る懐かしい穏やかな声だった。


(母上だ!)

 タケイルはすぐに解った。

そして頭の中で、気高く気品のある姿が像を結んだ。


―母上、お会いしとうございました。

―母も会いたかったわ。この手でお前をどれ程抱きしめたかったか・・・


 幻想の中で、タケイルは幼き頃に戻り暖かな母の胸に抱かれて幸福な気持ちに満たされた。

 そのまま永遠の様に感じる時間が過ぎた。気が付けば、タケイルは頬を濡らして川の中にいた。


 川の水で顔を洗ってゆっくりと河岸に戻った。

「あれは、ザビンガの術か?」

 黙って見つめているザビンガに聞いた。


「違う。私はそうなるかも知れぬと思ってみただけで、何もしておらぬ。そうか、やはり朱雀川には美幸様がおられたか・・」


 タケイルの母の名は、南家美幸。

クーデターの時、宮殿を訪れていて父・兄と共に討たれた。


「タケイル、朱雀川に手を浸せばいつでも御母上に会える。サラタ山・玄武谷に一滴生まれた水は、玄武川となってサラ・ザウデを潤し、朱雀川と名を変えて地の国を潤す。命の源・サラタ山から流れる水はそなたの味方となろう」

「水が私の味方・・」


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