第37話・ウスタ軍参戦。



次郎は風の洞窟で、一人瞑想していた。

 ここに籠って三週間経った。

他のことは何も考えずひたすら風に向かっていた。食事は僅かの粥と水しか必要でなく、細い食が体を軽くさせ、精神を尖らせていた。

籠もってからは誰とも会っていなかったが、時折湖の水に手を浸して父や母に教えを請うていた。


朝、暗い内に風の洞窟に出て、座禅を組んで瞑想する。

地球が動き空気が流れるのを感じる。

大きな大地の営みだ。

地球の果てから吹いてくる風が、この洞窟を目指して真っ直ぐ向かって来るのを感じる。ここを吹き抜ける風は、そういう大自然の摂理に従った大きな存在だったのだ。


 風が到達した。

静かに立った次郎は、入って来た風のひとつぶ・ひとつぶを躱す。

或いは手刀で風の方向を僅かにずらす。

そのようにして強風をやり過ごす事が出来るようになった。


(これが逆風の剣の本意だ)

 次郎はそう確信した。

圧倒的な逆風に立ち向かうのではなく、微妙に避け・ずらしてすり抜ける。

 次郎は常に武器を持たず、素手で風に向かっている。


手刀を頭上に構え一気に振り下ろす。洞窟に入って来た強風が、左右に分断して通過する。

(振り下ろし)


 風の上部を捕まえて、下に回して前に戻す。すると瞬時だが洞窟の上から入ってきた風が、次郎のところで下に回転して出てゆく。

(追い風)


 次郎は、ここで修行するべき技は既に身につけていたが、まだ自分に足りないものがあると認識していた。


(私は、山の民を、玄武一族をどう導けば良い・・)

― 次郎。湖に入ってみなさい。そこで答えが見つけられるだろう・・

父の声が聞こえた。


その声に従って、次郎は静かに湖に体を浸した。

すると不思議な事に、湖の水が過去の事を記憶していた。

玄武のことや山の民、天の国・地の国のこと。

この島の過去の全ての記憶を、碧の湖の水から学んだ次郎は、水から上がると洞窟の片付けを始めた。

今、風の洞窟での修行が終わったのだ。




ザウデの西に展開したウスタ軍の士気は低かった。


ザウデの町の第一防衛線である楼門を見つめながら、総司令官の西家頼武は忸怩たる思いであった。

先の王妃で今はサラで囚われの身の綾乃妃は、頼武の実の姉であり王子小太郎は甥である。優しく美しい姉を頼武は慕っていた。故にサラの言いなりに出兵して来たのだ。


サラは、黒党でオスタを抑えている間にザウデを落として、次にはオスタを攻めて天の国を統一するつもりだ。


シャランガは確かに優れた人物だが、取り巻きが良くない。

それに何よりも神殿の協力が得られていない。

サラの神殿の神巫女はザウデに避難して無人なのだ。ウスタの神殿もシャランガには協力しないと明言している。精神的な支えとなる神殿の力は無視出来ない。サラでは実際に数千の民が逃亡しているのだ。


それに何より玄武だ。

長と神巫女を殺された玄武は、シャランガと敵対している。玄武の力は侮れない、いや驚異でさえある。


玄武の後継ぎが戻ったと聞かされ、サラの言うままに高砂国を動かして捕らえようとしたが出来なかった。

その事を実は頼武自身、ほっとしていた。

もし、玄武の倅を捕らえるか、殺すのに手助けしたなら玄武の怒りを買うのは必然でそれは西家の滅亡に繋がるだろう。


その玄武の倅は、恐らくはもう山の国に戻っただろう。

サラが焦る理由はその事だ。

サラ単独では玄武には抗せられないと判断したと思われる。


今この時も頭が痛い。

ザウデを攻めると玄武を敵に回す事になりかねない。玄武とザウデの繋がりは強いのだ。


「攻撃しろ」と、シャランガから矢のように催促が来るがなかなか踏み切れない理由だ。

「長、ザウデを攻めないならサラを攻めて人質を奪還しましょうぞ」

 腹心の叔父・西家秋房だ。


頼武も散々考えてきたことだ。だが、シャランガ程の者がそのことに手を打っていない筈がない。

無理だろう。


「やむを得まい、ここまで進出して来た以上、何もしないでは両方を敵に回す事になりかねぬ。攻撃を開始しろ」

 遂に、西家頼武が決断してウスタ軍が攻撃を始めた。



山の国・玄武本家の屋敷でも、次郎が風の洞窟に籠もる前に予想していった通りに、急変した事態を正確に把握していた。

各地に放ってある忍びの者の情報が現地の状況をもれなく報告して来て、混乱する現地以上に情勢を把握しているのだ。

次郎の留守を預かる玄武道紀が、玄武の忍びの者を束ねる玄武甚左衛門と情勢について話している。


「ザウデは厳しい闘いをしているな」

「はい。ですが士気はザウデ軍の方が遙かに高いです。民も必死で協力している様子。それにいざとなれば、川中国からの援軍・二千ほどはいつでも投入可能だと思います」


「ふうむ、まだ余裕は有るわけか。だがウスタ軍が動けば、逼迫するだろう。予断は許されんな・・」

「次郎様に判断を仰ぎますか?」


「いや、ならん。次郎様は修行中じゃ。それに、出兵はひと月後と言われた。まだ、七日ある、それまでは待つ。こうなることも、前もって予測されておられたのじゃ」

 状況は刻一刻と変化していく。

翌日の報告では、新しい動きがあった。


「ザウデ軍が消耗して、北の第一防御線を放棄して、第二防御線に後退」

 ザウデがじりじりと押し込まれていた。

道紀は援軍を出したいのをじっと耐えていた。


「ウスタ軍が攻撃を始めました」

さらに次の日の朝には、厳しい報告があった。

ザウデは、遂にサラとウスタとの両面から攻められているのだ。


「ウスタ軍の士気はどうか?」

「はい、覇気は感じられませんが、必死の形相で攻めています」

 ウスタは人質を取られて仕方なく出陣していたが、出陣した以上静観する事は許されなかったのだろう。


「これで、ザウデは西にも手を抜いているわけには行かんようになったな・・」

「サラに留まっていた残りの兵が出発準備をしています。王子が率いて参戦する模様です」


「全軍で一気にザウデを落とすつもりだ・・」

 いよいよ、戦況は煮詰まってきたと道紀は息をのんだ。

その時、急に屋敷の中が慌ただしくなった。


「何事だ?」

 そこに小者が走って来て、報告する。

「次郎様が戻られました」

「なに・・」

 道紀が急いで迎えに向かおうとしたところで、廊下に足音がして次郎が現われた。


「今、戻った」

「修行は終わりましたので?」

「終わった」

 道紀は瞠目して次郞を見つめた。無精髭に覆われた顔に、威厳のある兄道帆の面影を見たのだ。


(まさに玄武の長が戻ってこられた・・)


「話は聞いた。甚左衛門、手配りは整ったか?」

 次郎が、サラに捕らわれた人質の救出の手配を命じていた忍び頭の甚左衛門に聞く。


「はっ、いつでも」

 甚左衛門も、戻ってきた次郎の威厳に圧倒されて頭を下げて報告した。


「なら、すぐに掛かれ。サラの残軍が出た後で決行せよ。留守兵に対する手がいるなら他の組を連れてゆけ。玄武の全軍は、明日サラに出撃する。よいな」

「はっ」

 そこにいた全員が圧倒されて、平伏した。


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