第25話・奥義・地嵐。


 カレン海岸からキンタの町には一日で着いた。

キンタの町は、川中国の西の守りの要の町である。町の西に軍の駐屯地があり、商人町を中心に職人町・農民町・役人町と碁盤の目状に整備された大きな町だった。

 柔術を教える沢村道場は商人町の駐屯地側だ、付近には他の武芸道場が並んでいる道場町と言う一角にあった。


「これは次郞様、本当によくいらしたな・・・・」

門前に出迎えた道場主の沢村甚左衛門はタケイルを涙して歓迎した。

 国内に集結した刺客集団を一網打尽にした上に、国府ボーデンからの連絡で道場の周辺は厳しい警護がなされていた。それに軍の基地の中とも言えるような立地なので、タケイルらは沢村道場では心置きなく修行に望めた。



 沢村の手によって、タケイルの柔術の基本を手直しされ丁寧に仕上げられた。

タケイルも他の武術家にありがちな力任せな体術に陥っていたようで、手直しされてからは力をあまり入れずに柔らかく敵を投げ打てた。


「それが柔術というものなのです。今までのはいわば硬術でした」

 沢村に言われて納得した。柔らかいと言うのが柔術の基本なのだ。

だが、地嵐(じあらし)の奥義に関しては予想外の事を告げられた。


「最初にお断りします。地嵐の奥義を私は完全には会得していないのです。もちろんその型は伝授されており、伝えることは出来ます」


(型の伝授は受けたと言う事は・・)

 それは、吹き下ろしの奥義を受けた高嶺と似たような感じだろう。


「その型で人を転がす事は出来ます」

 沢村は、キクラを相手に柔術の構えを取ると、腕を緩やかに大きく回して気合声と共に前に突き出す。

「はぁっ」

 途端にキクラの体が回転して後ろに倒れた。


「うむ・・・」

 それは、タケイルの想像していた地嵐との違いは無かった。

― 地表から吹き上がった風で、相手をなぎ倒す ―


(何処がちがうのだ?・・風か・・・)

 そう言えば、風が吹いた気がしなかった・・・


「おわかりになられた様ですな。そうです、今のは気当て・地嵐では無い」 

タケイルの表情を読んだか、沢村が言った。

「吹き下ろし、逆風、追い風の三つの奥義を会得なされたタケイルどのなら、今の真似は出来ましょう。やって見せて下さらぬか」

 頷いて立ち上がったタケイルは、沢村を相手に対峙した。

右手を手刀にして下から振り上げた。逆風の技だ。海岸で波相手に散々やった事をやっただけだ。相手を傷付けない様に、力を加減する術も魚相手に会得していた。

 逆風をまともに食らった沢村は、二間吹っ飛んだが見事な受け身をとった。


「うはっはっは。さすがでござる。儂の地嵐よりは、よっぽそれらしい。確かに風が吹き申した」

 立ち上がった沢村が、愉快そうに言う。

「道帆師が言われた。今はそれで良い。本当の地嵐を会得するには、風の洞窟に籠もって修行せねばならぬだろう。いつか、玄武の血を引く者が教えを請うたら、今の型を教えてくれぬか。と、」

 それを聞いたタケイルは、前に感じたことを思い出した。


(やはり、父は自分の運命を予測しておられたか・・)


「元より、儂が風の洞窟で修行するのは無理なこと。それが何処にあるかも知らんのじゃからな。だが、師に伝授された型はお教えできる」

 沢村は、道帆から聞いた言葉を伝えながら丁寧に型を教えてくれた。


「まことの地嵐は、前だけで無く全方向に吹くのじゃ。嵐の中心におるが如く、周りに風が舞う」

 自分を中心にして風を回すのか・・確かにそれは難しい・・


「そして風を出すときには、気当てと同じ様に爆発的な精神力が必要じゃ。例えば怒り、例えば哀しみ・・・」

 なるほど、これは尋常な技では無い・・


 沢村道場では、昼間は柔術の稽古、早朝や夜は地嵐の一人稽古をする日々が過ぎていった。


 その夜、沢村道場が慌ただしい気配に包まれた。

呼ばれて出て行ったスライダが緊張した顔で帰ってきた。


「タケイル様にお会いに南家光圀様が、見えられております」

 南家光圀は、ザウデの長の息子でザウデ軍一千の司令官である。突然夜中に来たと言う事は人目を忍んでであろう。


(何が起ったのか・・)


 タケイルは予想外の出来事が起ったのであろうと予測して、緊張して光圀のいる部屋に行くと、沢村父子と和やかに笑う明るい声があった。


「タケイル様をお連れしました」

 スライダの声で、沢村父子と男二人がいる部屋に入ってゆく。

「やあタケイルどの、貴方にどうしてもお会いしたくて夜分押しかけて参った。私は南家光圀です」


 若い男が明るい声で声を掛けてくる。タケイルの母は光圀の叔母だ。タケイルと光圀は従兄の間柄である。


「私がタケイルです。もの心ついて以来、親類という方にお会いするのは始めてで、どういう顔をしたら良いのか戸惑っております」

 タケイルが正直な気持ちを言うと光圀はタケイルをじっと見つめて、なんとハラハラと涙を流した。


「ああ、タケイルどのに比べて、この俺はなんと幸せ者か、常に父母の側におり何不自由なく育ち、このような地位や身分も何の苦労も無く保証されておる。それに比べて、タケイル殿は身一つで外国から渡ってきて・・・・・・」

 後は言葉が続かず大泣きした。


沢村父子や光圀の連れの初老の男まで泣いている。

「いや、私はこのように側にいてくれる友もいてくれる故、何の苦労もしておりませぬ」

 とキクラを示して彼らを宥めたつもりが、それで彼らは余計に泣き出した。

 タケイルはその扱いに苦慮した。

こんなに自分の事を気遣って泣いてくれる人に会ったのは初めてであった。

キクラに目で助けを求めるが、彼は首を振って何の方策も無い事を示した。


「良い親父が何を泣いておる。キノコにでも当ったか」

 ぞんざいな口を聞いてザビンガが入って来た。

スライダらが知らせたのだろう。

ザビンガは当たり前の様に上座に座り、

「光圀、何か異変が起ったか?」

 とザウデの司令官に問う。

神巫女に掛かっては、司令官も形無しのようだった。


「いえ、大きな事はありません。それよりも玄武の血筋の従兄に会いたくていても立ってもいられずに飛んで参った」

「そうか、それならば良いが」

 いつになく考え込むザビンガが、更に問う。


「周りの状況を詳しく話せ」

 少し考えるように沈黙し、話し始める。


「タケイルどのが上陸して以来、サラでは、シャランガが王宮に閉じこもって厳重な警備体制を敷き、密偵を各地に放ってタケイルどのの行方を捜しております。密偵の数が足りずに、各町の密偵を騙して刺客に仕立てたのはご存じの通りです。只、タケイルどのの意図が分らず振り回されている様です」


「この地にいるとは知られておらぬか?」

「いえ、それは解りませぬ。少し前に、マナイ街道で二十名の密偵を捕らえてから、新しい動きを掴んでいません」


「黒党がサラと関わっていると聞きましたが、黒党の動きはどうでしたか?」

 タケイルは気になっていた事を聞いた。

「黒党は民に不人気ながらも、何故か勢力を増している様子が窺えます。サラが背後にいるのなら頷けます」


「ウスタの様子はどうじゃ」

とザビンガが問う。

「はい、サラとの間に人が行き来しております。やはり、ウスタはサラの言いなりになる可能性があります」

「となれば、タケイルが高砂国に入るのは危険じゃな」

「恐らく高砂国では手ぐすね引いて待っておりましょう。高砂国は他に敵が無いのです。全ての兵をタケイルどのに向けて配置出来ます」

 高砂国は、急峻なミキタ山脈を背後にしている。ウスタに備える必要がなければ、全兵力を国境側に展開してタケイルを討てるのである。


「それは、困った・・」

 タケイルは、是非にも奥義・鎌鼬を会得しなければならない。

「タケイルどのは、高砂国の何処を尋ねるおつもりか?」


「はい、「奥義・鎌鼬」を得るために、是非にもアンビの服部道場を訪ねなければなりませぬ」

 鎌鼬と服部道場の事を言うのは始めてだ。彼らにはこれから先の行動を隠す必要は無いので正直に話した。


「うわっはっはっは」

途端に沢村が大口開けて笑った。他の者も安心した様に微笑んでいる。


「何か?」

 沢村の笑いの意味が不明だ。不審そうにしているのは、タケイルとキクラだけなのだ。

「いや、失礼した。そうでは無いかとは思っていたのじゃ。のう、服部どの」

 沢村が光圀の連れの男に顔を向けた。

「服部どの?」

 そう言えば、まだ光圀の連れの男の紹介は受けてない。光圀司令官の腹心か護衛だと思っていたのだ。


「これは紹介が遅れた。タケイルどの、この方はザウデで偵察隊の指導を行って頂いている服部平左衛門どのじゃ。元は、アンビの町で町道場を開いておったが、ザウデが無理を言って指導を願ったのじゃ。お陰でザウデの偵察隊の力は、他の町を凌駕しておる」

と、光圀が説明してくれた。


タケイルは、その意味を理解するのにしばらく時間が掛かった。

「まことに、服部どので?」

「服部平左衛門でござる。亡き道帆師の子息にお会いしとうて、光圀様に無理を言って連れてきて貰いました。成長した次郞どのにお会いする事が叶い、平左衛門感無量でございます」

と、タケイルの手をとって言う。


「こ・これは、思いもかけぬ事・・。服部どのに会えなければ、山に入る事も叶わないと諦めきれぬ思いでしたのに・・・・」

 タケイルは、あまりの思いがけぬ嬉しさに呆然としてしまった。

「ふっふっふっふ」

 ザビンガが太い声で笑った。

「ザビンガのお陰か・・・」

 ふと、タケイルはそう思った。


ザビンガの尋常では無い予知能力は道々感じていたのだ。

黒崎国の街道端で三日間も待っていた事も、思えば尋常ではない。そんな所まで行って待っていたのは、道々の輩やスライダらの襲撃を予知したからだ。


「そういや、その話を切り出したのは、たしかザビンガ様だったな・・・・・」

と、光圀が呟く。

タケイルの来る前に予測して、手を打っていたのだ。やはり神巫女は尋常な者ではない。

「それにしても良かった。服部どのもよくぞザウデに移ってくれたものじゃ」

 沢村が安堵のため息をした。


「何、短剣や忍術は町では習う者が無いで、生活に窮しておったところをザウデに拾ってもらったのじゃ。儂も渡りに舟で助かったのじゃよ」

 服部が沢村の言葉に笑みで答えると、真剣な顔に戻って、


「丁度良い機会じゃ、ここで皆に話しておこう。道帆師の最後の事じゃ。当時、サラから逃げ戻った近衛兵から詳しい話を聞いておいたのじゃ」

 その言葉を聞いた一同は緊張した面持ちで、膝を詰めて丸くなって服部の話を聞こうとした。


「その当時、反乱を起こす事は、近衛兵の中の主要な者にしか聞かされていなかった。ザウデ出身の兵は道帆師の周りにいたそうじゃ。近衛兵らは、まず道帆師の家族を捕らえようとしたのじゃ。もちろん王宮内なので兵以外は全員武器を持っておらぬ。近衛兵が大勢で、師である道帆師と家族に迫ること事態が異常だ。捕らえようとした兵の剣を奪って闘ったのは、なんと三才の師の長男・一郎どのであった」


 皆は息つめて瞬きするのも忘れて、服部の話に聞き入っていた。

「まさか、子供に剣を奪われようとは思ってもいなかったのだろう。焦った小隊長の命で数人が剣を抜いて対抗した。それに気付いた美幸様が一郎どのを庇い、二人共斬り倒されたのじゃ」

 タケイルには、その光景がまざまざと浮かんだ。

張り裂けるほどの切なさが胸を襲った。


(母上、兄上・・・・・・・・・・)


「ザウデ出身の近衛兵は、まさかその様な事になろうとは夢想だにしていなくて驚愕した。命令があろうと、道帆師と家族に危害を加えるつもりは無かっただろう、と言っていた。だが、道帆師の周りにいた兵数十人がいきなり吹き飛ばされた。まるで、爆風が道帆師の体を中心にして起った様だったと回顧している。そしてその兵は、宮殿の壁に叩きつけられて気を失った」


(地嵐だ、怒りの地嵐はそれ程の力があるのだ・・)


「兵が気付いた時には、道帆師に向かって四方から槍兵が突きかかって行き、その兵ごと三方から弓矢で射ている凄惨な光景だった。周りには大勢の兵が倒れていた。道帆師が剣を振うと旋風が巻き、放った矢が射手を襲い多くの射手が倒れていた。もはやその場は、狂気に支配されたが如くで、道帆師にも無数の矢が刺さっていて、もはや生還は望めない状況だったと言う」

 聞いている者には、その凄惨な光景が目前に浮かんだ。どの顔もやりきれない顔をしている。


「闘っているどちらも師弟の間柄、無残な光景であったろう。その場は異様な状態で、二百名の近衛兵の内、立っている兵の方が少なかったと言う。ザウデ出身の兵は、整然と徒党を組んでザウデに戻った。サラから脱走したのじゃ。彼らを止める者はいなかった」


 話が終わっても、一同は誰も口を聞かなかった。言うべき事が無かった。

 タケイルは、一人立って道場に向かった。体中に経験したことの無い深い悲しみが溢れていた。

何と言うことだ・・・・・・・。


「ううう、ウワアアーーーー」

 一気に悲しみを宙に放った。

 タケイルの後を付いて道場に来た皆は、入り口で突風に顔を張られた。

タケイルを中心に道場の中は、嵐のような風が渦巻いていた。壁に掛かっていた名札や木剣がバラバラと空中を飛んで床に散乱した。

 続いて中に入った沢村が、道場の真ん中に立つとゆっくりと体を大きく回して、

「ウワアァー」

 と叫んで体を捻る。

すると再び風が道場を舞い、床に落ちていた名札が空中に飛んで、沢村を中心に大きく回った。


「出来た・・道帆師・・・・・・・・・・・・・・」

 虚空を睨んだ沢村が、北に向かって手を合わせて瞑想した。

他の人々もそれに習った。

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