答え
「私は、新太さんとの関係を変えたくありません」
どこかスッキリとしている柚の口から発せられた言葉は、問に対する否定の言葉だった。
「どうして……?」
そう、自然と口から溢れてしまっていた。
予想とは違う。もしかしたら、自惚れなのかもという疑問はその前の会話で解消され、てっきり「変えたい」と答えるものだと思っていた。
だけど、いざ蓋を開いてみれば否定。
それが、意外であった。
「どうして……そうですね、自分でも口にしていますが────そんな新太さんが望むような具体的な答えは出ませんよ?」
顎に指を当て、少しだけ柚は考え込む。
その間、俺の中に湧いた気持ちは『安堵』と『悲しみ』だった。
……多分、先延ばしにしたかった俺の気持ちと、柚と一歩踏み出した関係になれなかったからこそ、同時に湧いてきたのだろう。
俺自身も、この気持ちをよく理解していなかった。
そんな複雑な気持ちを抱いていると、やがて柚が口を開く。
「私、今の時間が好きなんです────新太さんにただいまを言って、授業中に新太さんと一緒に食べるご飯の献立を考えて、新太さんの美味しそうに食べている顔を眺める事が、幸せに感じるんです」
真っ直ぐに向けられるその言葉が、どこかむず痒かった。
俺個人に対する『好き』という言葉ではなくて、遠回しに言われている『好き』が、言われ慣れていなくて……だけど、嬉しかった。
「もちろん、こんな時間は長く続きません。新太さんとの約束は、私が卒業するまでの間だけ────幸せだと感じる時間は、いつか終わりを迎えます」
終わりはまだまだ先の話だ。
一年以上も後の話だけど、気がつけばあっという間に終わってしまうだろう。
だからこそ、今も考えてしまう。こんな先の話をしてしまうぐらいには。
「でもこの前、新太さんの言葉で……私、気がついたんです」
「俺の言葉……?」
「そうですよ? 『小さな幸せばかり見ているのも、悪くないんじゃないか』って……私、慰められちゃいました」
そういえば、柚が落ち込んでいた時にそんな言葉を言ったような気がする。
「だから、今はこの時間を味わっていくのもいいんじゃないかって思いました。今のこの時間が本当に幸せで……多分、この関係を変えたら味わえなくと思いますから」
「…………」
「自分で言っておいて自分が悩む……ふふっ、それも新太さんの可愛らしい部分かもしれませんね」
柚は、黙り込む俺の姿を見て、可笑しそうに笑う。
「だが、あの時と今とは状況が違うだろ? ……柚の気持ちを、考慮すれば────」
「考慮して相談した結果が、『変えなくてもいい』という結論ですよ」
ビシャりと、柚は逃げ道を塞ぐ。
「正直な話を言えば、あの時は新太さんの事をどう思っていて、どうすればいいのか悩んでいたんです。何せ、私の初めての恋ですからね……友達と新太さんに言われて、ようやく気が付きました」
「そう、だったのか……」
「はい。それで……私は、この答えを選びました。幸せであって満足していて、それで後悔するような事があるのなら────新太さんが、他の女の人に靡いてしまった時ですかね?」
「……それはしないから、安心してくれ」
「なら、私はこの答えで問題ありません。いつも通り、意識なんかしないで、ありのままの私達でいて────最後に、この関係をどうするか考えましょう」
柚は立ち上がり、俺の隣の椅子へと腰を下ろした。
そして、俺の手をそっと握ってくれた。
「俺さ……怖かったんだよ。俺は社会人で、柚は高校生だ────そういった関係で起こる上での責任が」
「……はい」
「……変えないようにしてきたんだけどさ、俺もこの時間が好きだし、この時間がいつかなくなるって考えたら……それも怖くて」
「……はい」
「どっちを選べばいいか分かんなかったんだよ。大人になりきれてない未熟者で、情けなくてウジウジしてて、女々しくも同じ場所を行ったり来たりしてさ」
「……はい」
「結果出たのが、先延ばしにしたいって気持ちと、結論を柚に投げる事だったんだよ……本当に、情けねぇ」
溜め込んでいた気持ちが、溢れるように口から溢れ出す。
柚はきっぱりと答えを決めていたのに、年上である俺は答えを出せなかった。
それが何とも女々しくて、柚が手を握ってくれているにも関わらず、自己嫌悪でどうにかなってしまいそうだった。
「はい……分かりましたよ、新太さん」
だけど、柚は俺の吐露を受け止めてくれた。
頷いて、否定の言葉も付け足すような言葉も口にせず……優しい瞳で、俺の言葉を聞いてくれた。
「新太さんは、私が思っている以上に考えてくれました。多分、私が思っている以上にこの問題は大きくて、簡単には決断していけないものだったと思います。今の新太さんを見て……私も、理解しました」
「そして────」
「ありがとうございます、新太さん……あなたのおかげで、私は幸せでいられます」
柚は、そのまま俺の頭を抱きしめてくれた。
頭をゆっくりと撫でてくれて、それが今まで抱え込んでいた不安を取り除いてくれているような……そんな感じがした。
だからなのか────俺の心が、綺麗に洗い流された気がする。
「私は子供です。でも、私には新太さんがいます。新太さんはこれからも私の為に悩んでくれると思います────だけど、それももうお終いです。答えは出しました、後は……新太さんが決めてください。私は、新太さんの答えを尊重します」
結局、最後には俺にボールが返ってきた。
柚は自身の答えという『考える材料』を提示し、その先を……答えを俺に求めた。
優柔不断だからではない。答えを決めかねているのではない。俺の気持ちを尊重している訳でもないだろう。
俺に……選択肢をくれたのだ。
だから────
(最後の最後ぐらいは、大人らしく答えを出そう……)
大人らしく答えようと思っていても、結局はこのザマだ。
だったら、この最後ぐらいは……大人らしくあろう。
結論は、柚の答えを聞いて決める事ができたのだから。
「俺は────」
それで、幸せな時間に戻るんだ。
「この約束が終わる最後まで……この関係でいたい」
「はい、もちろんですよ新太さん」
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