一人の寂しさ

「あぁ゛……っ、飲みすぎた……」


 ふらついた足取りで玄関の扉を開く。

 冬にも関わらずコートを脱いで帰宅してしまったのは、きっと酒の所為なのだろう。

 今は、外気の寒さなんて全く気にならなかった。

 だけど、玄関を閉める時のドアノブは……冷たく感じてしまった。


『あれ、いつもなら「二次会行くぞー」って言ってたのに、今日は行かないんだ?』


「……うっせ。こっちとら、柚と約束してんだよ」


 吐きそう、まではいかないが、ガンガンと音を鳴らす頭が別れ際に言われた渉の言葉を思い出した。

 その時の表情がどこかニヤついていて……あぁ、思い出しただけで腹が立ってくる。


「ただいまー」


 靴を脱いで、そのまま────


(……そうだった、柚はいねぇんだった)


 立ち止まってしまった。

 いつもだったら柚が返事をしてくれて、迎えてくれて、さり気なく俺のカバンを持ち去っていく。それが今までだった。

 だけど柚は修学旅行に行っていて、この家にはいないというのに。


「あー……本格的に飲み過ぎたか」


 酒を飲める歳になってから二年しか経っていないのに、よくもまぁ飲みすぎてしまったものだ。

 明日の仕事に影響がでないか心配になってきた。


 俺は頭をかいて、リビングへと向かう。

 廊下の明かりは消えていて、それが何故か心を締め付けてくる。


「…………」


 カチッと電気を点けると、リビングが一気に明るくなる。

 当然だ、明かりを点けたのだから。

 けど……今日に限っては眩しく感じる。


「一人で暮らしてた頃はこんな事思わなかったのになぁ……」


 酒が回っているからか? 夜遅くて眠くなってきたからか?

 はたまた、渉の言葉が残っているからか?


 ……いや、違う。


「原因くらい、ちゃんと分かってるさ……」


 冷蔵庫を空け、グラスにお茶を注ぐ。


 この空間は、紛れもなく孤独の空間だ。

 一人という事を証明させてくれる場所。暗闇が晴れると誰もおらず、静けさが一人を強調させ、気にもとめないものに激しく感覚が揺さぶられる。


 この空間こそ、懐かしい。

 そうだ、前まで……俺はこの空間を味わってきたじゃないか。


 だたった何故、今日に限ってこんな空間を強く感じてしまうのか────


「……今までは、柚がいたからなんだよな」


 飲み終えたグラスを置く音さえも木霊する。

 久方ぶりに、反響する音を聞いた気がする。


 ────きっと、他に誰かいても、この音は響いたのだろう。

 一人ではない状況であっても、響くし、聞こえてくる事も、意識してしまう事だってある。


 だけど、ここ最近は全く意識しなかった。

 それは間違いなく、柚の存在が大きい。


「……分かってるんだよ、クソが」


 熱くなったおでこに手を当てながら、思わずしゃがみこんでしまう。

 ……どんな時だって、考えてしまう。渉と別れたあの瞬間から、電車に揺られる時も自宅までの道のりでも、脳裏に浮かぶのはその問題だけだ。


 柚がいたからこそ、俺はこの空間を味わわなくなった。

 一緒にいると楽しくて、会話も絶えず、少しからかってみたりして、時に勉強する姿を眺めたり、仕事している姿を眺められたり……この空間を、意識する瞬間なんてどこにもなかった。


 あぁ、そうだ……分かってる。


 紛れもない、この感情は────『寂しい』のだ。


 今まで感じてきたこの空間は全て、寂しさの中から生まれてきている言葉なのだ。

 だけど、そんな寂しさを味わう事がなくなった……つまり、柚がという女の子の存在は、おれの寂しさを消してくれていたのだ。


「……消してくれてるだけだったら、まだよかったんだよな」


 消してくれるだけであれば、他に誰だっていいだろう。

 仲が良くない相手でなければ友達だって、家族であっても大丈夫なはず。

 だけど、こんなにも柚の事しか考えていないという事は……柚の存在が、それほどまでに大きくなってしまった、という事だろう。


 ……俺も、そこまで馬鹿じゃない。

 経験がない訳でもないし、こんな湿っぽく一人語りのモノローグをしなければ理解できないほど、拗らせてはいない。


 だからなのだ。

 渉の言った通りだ。

 あいつの言葉は全て正しかったんだ。


 柚という存在を取るか。

 責任という問題から逃げるか。


 はなっから、論点がズレていて、根本的に頭を使わないといけないのは、その部分なのだから────


「……ふぅ」


 俺は小さく息を吐き、スマホの画面を開いた。

 そしてLI○Eを開くと、そのまま柚の名前が書かれてあるアイコンをタップする。


「……この空間にはいたくない」


 そう口にしてしまえば、後は決まってしまっているのだ。

 決して寂しいからだけではない。自分の気持ちを理解して、隣にいない人間と再び過ごしたいからこそ、この言葉が出てしまう。


 だから俺は、その考えの勢いのまま、思わず入力して────


『早く、帰ってきて欲しい』


 送信してしまった。

 急に、なんの前ぶりもなく、単純に男が送ってはいけないような文章を。


「はぁ……だっせぇ」


 そんなため息と情けなさが、自分の首を締めてしまった。


 ……結論を出さなくてもいい未来が欲しいと、切に願ってしまった。

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