提案の了承

「えーっと……それは本気ですか?」


「本気も本気よ。ここをあなたに貸す代わりに、柚の事を預かって欲しいの」


 唐突に言われたその話。

 驚く俺に対して、茨さんは少しおどけながらも真面目な口調で言ってきた。


「いやいや、俺は赤の他人ですよ? そんな知らない輩に預けるなんて……余計に心配では?」


「そんな事ないわよ。あなたの人となりはちゃんと理解しているつもりよ? 私、こう見えて人を見る目はあると思っているわ」


 だからといって、自分の大事な娘を預けるだろうか?

 俺と茨さんは仕事の関係。そこに親密さなどなく、可愛がってもらっているという話しか存在しない。


 にも関わらず、それをこんな簡単に預けるだろうか?

 信頼は、仕事上でしか存在しないはずなのに。


「俺、高卒ですし」


「そこは関係ないと思います!」


「大人になりきれてない二十二歳の若造ですし」


「頼もしいので年齢なんて関係ありません!」


「掃除も炊事もはっきり言って苦手ですし」


「私ができます!」


「俺も男で、ましてや娘さんと年齢も近いですし」


「気にしません!」


「本人の意思もありますし」


「私は大丈夫です!」


「お父様のご判断も────」


「私が説き伏せます!」


 ……どうしてだろう? 何故か横から援護射撃を撃たれたような気がする。


「何もずっと預かっていてくれって言ってるわけじゃないのよ? まだ確定はしてないけれど、再来年の三月には帰ってくる予定」


 という事は、娘さんが卒業する頃までか。

 期間とすれば、一年ちょいってところだ。


「何故か娘さんの射撃を受けた気がしますが……やっぱりその話はお受けする事ができません。せっかくご提案してくれたのですが……」


 俺は茨さんに向かって頭を下げる。


 いくらありがたくていい条件であっても、流石に娘さんを預かるという事はできない。

 断る理由はさっき言った以外にもという理由がある。


 大事な一人娘だ。

 親族でもなければ恋人でもない。


 そんな人間が一緒に暮らして、もし娘さんに何かあった時……俺は、その責任をとれない。

 腹を切って詫びる? お金を積む? 一生懸命謝る? そういう問題じゃない。


 赤の他人が、誰かの人生を崩してしまえば、どんな理由や物を捧げても解決できないのだ。

 車で人を撥ねた時のように。他人が謝っても非がなくても、許しがもらえる訳ではない。


 ましてや、俺は二十二歳だ。

 自分一人ならどうとでもなる。金も、親に頼めば工面してもらえるかもしれない。


 だけど、二人は無理だ。

 社会に出てそれほど経っていなく、社会の怖さも世間の危険も熟知しているとは違う。

 頼もしくない、ただのなのだから。


「あ、あの……橘さん」


 俺が頭を下げていると、娘さんから声をかけられる。


「私、転校したくないんです。友達もいっぱいできましたし、志望校も決めています。今から引っ越せば、環境が変わって苦しい思いをします────我慢、すればいいのでしょうが、何とかなるのであれば何とかしたいんです」


 切なそうに、我慢すればいいと言っているのに我慢しているような表情を見せる。

 可愛らしい顔が、綺麗に曇っていく。


「実は、この話はお母さんが提案したではなく私なんです。頼れるの、橘さんしかいなくて……どうか、お願いできないでしょうか?」


 そして、今度は娘さんが俺に向かって頭を下げてきた。

 その様子を、茨さんは少し陰りを見せて見守っている。


「…………」


 さっきはあぁ言っていたが、多分茨さんも娘が心配なんだろう。だけど、娘の意見も聞きたい────何故なら、全ては自分達の都合なのだから。


 故に、信頼のおける相手であれば聞き届けよう。

 娘の我儘を────俺が了承すれば。


 だけど────


「でも、どうして俺なんですか? 俺、娘さんとはそんなに会った事も話した事もないですよね?」


 知人とか、近所の親しい人間もいると思う。

 その人達と過ごしてきた時間は、年に数回の俺に比べれば多いはず。

 ましてや、その年に数回も俺が入社してからの二年分しかない。


 信頼を築くのに時間は関係ない────そんな綺麗事を吐ける年齢でもないのだ。

 それは、社会に出てからちゃんと学んだ。


 頼りになる訳でもない。

 俺は二十二歳で、娘さんと四つしか変わらない、普通の人間だ。


 そんな奴を頼るなんて……正直、考えられなかった。


「……毎週」


「ん?」


「毎週……ちゃんと橘さんはポストに問題集を入れてくれています」


 娘さんは、顔を上げて俺の目を真っ直ぐに見つめる。


「仕事の関係でも、仕事の範疇ではない私の勉強のお手伝いをしてくれました。別に給料を払っている訳でもないですし、お礼をしている訳でもありません────それなのに、私がちゃんとやってきた問題集を、採点してくれて、ポイントも教えてくれて、欠かさず次の問題集も用意してくれました」


「…………」


「それだけで、私は橘さんの人となりが分かったんです。理屈じゃなくて……何となくですが、悪い人じゃないですし、面倒見もよくて……優しいです。私は、面倒を見てもらうなら、橘さんがいいって……そう思ったんです」


 たかが問題集。

 可愛がってもらっている家主の力になりたくて、ちょっとした気持ちで手伝っていただけ。

 それなのに、そこまで思われているなんて……正直、思わなかった。

 煩わしい、面倒臭い、余計なお世話────そう思われていると思ってた。


「ご迷惑をおかけするのは承知してます。だけど……お願い、できませんか? 絶対にこれ以上の無理もご迷惑もおかけしませんので」


 そう言って、再び娘さんは頭を下げる。


 どうしてそこまで? なんて疑問は未だに拭えない。

 不安もある。俺の理性的な面や世間的な目でも問題は沢山あって、責任問題も何一つ解決してない。


 頷くには抵抗はある。

 まだ、俺は一人で決める人間としては若すぎると思っている。


 だけど────


(女の子にここまで言われるとなぁ……)


 素直に嬉しい。

 男として、これ以上の嬉しい事はない。


 娘さんが別に嫌いな訳じゃないし、異性としてではないが好意的に思っている。


 だからなのだろうか────


「分かりましたよ……その話、お受け致します」


 こうして、頷いてしまったのは。

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