茨家の人達

「いつも悪いわね、橘くん」


「いえ、これも仕事ですから」


 女の子に案内され、現在リビングで更新書類を書いている姿を眺めている。

 家主の茨咲いばら さきさん。この『いばら荘』の家主さんで、うちと懇意にしてくれる家主さんだ。


 おっとりとしている性格で、仕事付き合いである俺に対しても優しい。というか、凄く可愛がってもらっている。

 こうして、本格的に寒くなったこの季節、外にいた俺を気遣ってこたつと蜜柑、ほうじ茶を用意してくれているし、本当にありがたいし嬉しい。


 ずずっ……ふぅ。俺、この家主さんが一番好きだなぁ。

 色んな意味で暖かいし、まるで家族のようだ。


「橘さん。前回いただいた問題集、ちゃんとやってきました」


 そう言って、同じくこたつに座る女の子が一つの教材を渡してきた。

 明るい金髪が特徴的で、染めてるのかな? と常々思ってしまう。愛くるしい双眸に、愛嬌のある顔立ち。比べる事は失礼かもしれないが、多分霧島と同じくらいの美人じゃないだろうか?

 ······まぁ、この子はどちらかというと美人じゃなくて美少女だろうが。


「あぁ……ごめん、ありがとう」


 そう言って、俺はその子から教材を受け取る。

 ふむふむ、なるほど……すげぇ。この前別の問題集渡したばかりなのに、ちゃんと全部埋めてきてるなぁ。

 流石、茨さんの娘さん……容姿もさる事ながら、真面目さも兼ね備えているなんて────でき過ぎてはいません? 出来杉くんも涙目ですよ?


「じゃあ、これ採点しておくから。明日か明後日あたりにポスト入れておくよ」


「はい。毎回毎回、本当にありがとうございます」


 茨さんの娘────ゆずさんは俺に向かって頭を下げる。


 そんなお礼を言われてもなぁ。

 茨さんには色んな意味でお世話になってるし、ただ高卒の輩が家庭教師の真似事をしているだけなんだけど。


 本音を言えば、俺じゃなくてちゃんと違う人に勉強を教えてもらった方がいいと思うんだよな。

 娘さんには言ってないけど、こうして持ち帰って採点とか言ってるけど、実は家で参考書と睨めっこしながら採点してるからね? 頼もしい大人の印象を保つ為に言ってないけど。


 彼女は高校二年生────そんな高校の内容を、四年も過ぎて大学に言ってない輩が覚えている訳がない。

 大学生に教わるか、ちゃんとした講習を受けた方がいいと思う。


 特に娘さんは受験を考えているらしく、本当にちゃんとした環境で教えてもらった方が彼女の為だ。

 こっちとら、年に二回ぐらいしか家に訪れてないし。まぁ、別の要件で来る事はあるけど。


「本当にありがとうね、橘くん。お仕事でもないのに……」


「いえいえ、こっちも茨さんにはいつもよくしてもらってますから、これぐらいはお易い御用ですよ」


 仕事中ではあるけど、今は更新書類にサインをもらっている最中。家主が迷惑と思わなければ、うちの店長もこういった事も咎めない。

 むしろ、家主と仲良くなれと口を酸っぱく言ってるぐらいだ。


「私、橘さんには受験に合格したら真っ先に報告しに行きます」


「それは嬉しいけど、先にご両親が先だろ? 可哀想じゃないか、茨さん」


「ふふっ、それほどまでに感謝しているという事よ────これ、サイン終わったわ」


「ありがとうございます」


 どれどれ……よし、記載漏れも押印違いもないな。

 俺は問題ない事を確認すると、そのまま鞄へとしまった。


 ────じゃあ、名残惜しいけど帰ろうかな。

 もしかしたら、長居をしていると迷惑かもしれないし。


「あ、そうそう。私達、引っ越そうと考えているのよ」


 帰ろうとした瞬間、不意に茨さんがそんな事を言い出した。


「ご遠方ですか?」


「そうなのよ……旦那の転勤の関係で北海道」


「それはまた、本当にご遠方ですね」


 東京の中でも下町チックさが残る中野。

 中野云々置いておいて、東京から北海道となれば本当に遠すぎる。


(ちょっと寂しいな……)


 茨さんだけでなく、茨さんの旦那様にも良くしてもらっていた。

 故に、仕事の関係であっても離れてしまうのは寂しく感じてしまう。


「それより、娘さんはどうされるのですか? この時期に転校はかなり辛いものもあるでしょうし……」


「そこが問題なの。実は向こうで暮らす家も決まっていて、後は引越しの手配と準備をするだけなんだけど……柚を残すか連れて行くか悩んでいるのよ」


「なるほど……」


 高校二年生。

 受験にも差し支える大事な時期。その終盤に転校となると、友達との別れや志望校の変更、転校手続きなど色々問題が生じる。


 かといって、このままこっちに残すのも心配だ。

 娘さんはしっかりしていてもまだ高校生。一人暮らしの大変さもあるかもしれないが、何かに巻き込まれた時に直ぐに対応できないし、女の子という面もあって余計に心配になるだろう。


 建物の造りはアパートにしてはしっかりと造られている『いばら荘』。

 だが、防犯面では他のアパートとは変わらないので、この家に一人暮らしはキツいものがあるだろう。


「お母さんは心配し過ぎだと思う……私、ちゃんと一人でもできるよ?」


「はい、ここで橘くんにバトンタッチ」


「はい、茨さんに変わりましてわたくし、橘新太が説明致します」


「えっ? 何、このノリ?」


 仕方ない。家主のノリを拾ってあげるのも、不動産の務めだ。


「といっても、俺から言える事なんて少ないけどね────多分、茨さんが心配しているのは「娘さんに危険が及ばないか」という点が大きい」


「危険……ですか?」


「あぁ……まだ子供である娘さんが自分の目の届かない場所で暮らす────それが心配で仕方ない。本人は大丈夫だと分かってる。実際、娘さんはしっかりしているし、一人暮らししても大丈夫だと思う。それは茨さんも分かってる」


「だったら、別に私を一人暮らしをさせてくれてもいいのではないでしょうか?」


「正直、いくらしっかりしていようが、危険な事などいっぱいあるよ。挙げればキリがないし、逆に危険を意識し過ぎるのも良くない────そう思っていても、最愛の娘さんに危険な目に合わせたくない……特に、娘さんは誰が見ても可愛いから、色んな人から狙われてしまうかもしれないな」


「か、かわっ!?」


 どうしてだろう? 結構諭すように説明したはずなのだが……顔を真っ赤にされてしまった。

 いかんぞ、人が丁寧に教えている最中に違う事を考えるなんて。


「現実問題、多分娘さんが思っている以上に、一人暮らしは厳しいぞ?」


「でも、橘さんでもできてます……」


 俺でもできるなら誰でもできるとでも思っているのだろうか?

 今の一言は霧島並に人の心を抉る鋭利な言葉だ。


「違う違う。俺は社会人、目標は仕事の中で解決できるし、失敗しても人生を大きく左右するほどの事は滅多に起こらない。あと、それなりに社会人としての余裕を持てたから一人暮らしできてる────でも、娘さんは受験生だろ? 勉強しながら家事全般と金銭管理をしていくって、結構厳しいと思わないか?」


「そ、それはそうですけど……」


 娘さんも、思うところがあったのか、言葉に詰まらせてしまう。


「茨さん、これぐらいの説明で大丈夫ですか?」


「OKよ。助かったわ」


 そうは言うが、別に俺が言わなくても自分で言ったら納得してくれそうなんだけどなぁ。

 接した期間は短いけど、物分りがいいお嬢さんだというのは理解している。


「私としても、柚を転校させるのは心苦しいわ。進路の面や精神的な部分でもね。けど、親としては娘を残すのは不安なの────せめて、信頼できる人と一緒に暮らすのなら、私も安心なのだけれど……」


「お近くにご親戚はいらっしゃらないのですか?」


「島根と鹿児島にはいるわ。でも、それだと意味がないじゃない?」


 確かに、それぐらい離れていれば北海道までついて行った方がいい。

 うーむ……何か妙案でもないものか……。


 懇意にしてもらっている身であるし、協力してあげたいという気持ちから、俺はいい案を思いつかせる為に頭を悩ま────ん? どうして茨さんは俺の方を見るんですか?


「ねぇ、橘くん?」


 何故だろう、普通に嫌な予感がする。


「何でしょう?」


「確か、橘くんは通勤距離が長くて新しい部屋を探していたわよね?」


「えぇ……そろそろ、本腰を入れて探そうと思っています」


「だったら、


 うちに住む? でも、確かいばら荘のお部屋は全部埋まっていたような……?


「満室ですよね?」


「だから、ここに住むのよ。私たち、これから引っ越してここを空けるのよ? ────そのまま空き家になるよりかは、誰かに使ってもらってくれた方がいいわ」


 ……なるほど。悪くない話だ。

 この家は一階部分を全て家にしているからそれなりに広いし、事務所から近いので通勤時間はグッと短縮される。

 これだけ綺麗で広くて風呂トイレも別であれば、家賃面以外は男であればいい条件だ。


「ついでに、柚の事も預かってくれたら嬉しいわ」


 ……本当に、いい条件なのか疑問しか浮かばなくなった。

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