好きな人じゃない

(※柚視点)


 休み時間。小休憩を使って、私は問題集を開いている。

 分からない部分はネットと参考書を眺めながら、それでも間違ってもいいからちゃんと自力で解くようにしている。


「…………」


 最近、何故か「勉強を頑張ろう」って気持ちが湧き上がってしまう。

 どうしてかな……? 橘さんから問題集を渡され始めた当初はそんな事なかったと思うんだけど……。


『行ってらっしゃー、登校中は気をつけるんだぞー』


 そんな言葉が脳裏をよぎる。

 制服に着替えた私を見送ってくれる時に投げかけられる言葉。


 スーツを着て、髪をジェルで整え、身なりを綺麗にしているのに、何処か眠たそうな顔に、野太くも安心させるような声。

 ここ数日、毎日のように学校に向かう私を見送ってくれる橘さん。


 ……良く考えれば、橘さんと一緒に暮らし始めてからだよね、頑張ろうって思い始めたのは。


 頼りになるんだけど、家事ができなくて放っておけない人。

 心配性で、とことん過保護な人。

 普段と仕事をしている時のオンオフがしっかりしている人。


(……今日、帰ったら何を作ろうかな)


 ここ毎日、その事ばかり考えてしまっている。

 料理は、元から大好きだ。作り終わった後の達成感も、自分の作った料理が美味しくできた時の喜びも、自分が何かを作っているという実感を持たせてくれるような工程も、どれもが楽しくて大好き。


 でも、最近は……橘さんに食べてもらう事が、一番楽しいって思っちゃう。

 だって、本当に美味しそうに食べるんだもん……作っているこっちも、「美味しくできたんだろうなぁ……」って思っちゃうぐらい。


 ────橘さんとのこの生活は、本当に楽しい。

 男の人との同棲って、自分からお願いしたけど不安があったけど、橘さんは私の事をちゃんと考えてくれる人だった。

 誠実な……人だった。


(で、でもっ! 子供扱いはやめて欲しいっ!)


 私だって一人の女の子なんだ。

 子供扱いされるのは……何か嫌だ。


「おやおや〜? 柚っちが乙女な顔をしてるぞ〜?」


 そんな事を思っていると、不意に横から声が聞こえてきた。

 甘栗色のショートボブに、小動物のような可愛い顔立ち……その顔から、とてもからかっているような悪戯な笑みが覗いていた。


「乙女なんかしてないよ」


「うっそだー! 柚っち、絶対に恋する乙女の顔をしてた!」


 そ、そんな事ない……。

 もしそれが本当なら────


(わ、私が橘さんの事を好きって事になっちゃうっ!)


 違う……橘さんは、頼りになるお兄さん的な人で、決してそこに恋愛感情はない。

 確かに、仕事の時の橘さんはかっこいいし、さり気ない仕草にドキってくる事もあるし、今日みたいに私が何も言ってないのに夜中まで起きて私の為に問題集を用意してくれたり……いいなーって思ってるけど……。


「本当に違うからね!?」


「はいはい、分かってますよ〜」


 絶対に分かっていない顔だ。


「でもまさか、天使様が恋しちゃうなんてねぇ〜。あんなに学校の男共を片っ端から振っていたのに、一体何処の誰が天使様を堕としたのかな〜?」


 本当に、分かっていない顔だ。


「だから違うって!」


「そうやって、無理に否定するところが怪しいんだなぁ〜」


 ダメだ……聞く耳を持ってくれない……。


「だって、今まで何人もの男子が告白したのに、全部断ってきたでしょ? 羨まけしからんけど……それって、柚っちに好きな人がいるって事じゃないの?」


 からかうような笑みを消さず、その子は私に尋ねてくる。


「違うよ……ただ、申し訳ないけどその人達の事好きじゃなかったから断ってただけ」


「ふーん……」


 そう言って、納得してなさそうな顔をしてその子────私の友達の三枝愛美さえぐさ まなみが前の席へと座った。


「まぁ、いいや! その人と付き合えたら、ちゃんと報告してよね〜!」


「だから違うのに……」


 私が付き合うって……そんな事、ないのに。

 だって私、好きな人がいないんだもん。


 愛美の言う通り、これまで色んな男の子からは告白されてきた。

 悪い人じゃないし、ダメって訳じゃないんだけど……好きじゃないから。本当に申し訳ないけど、私はお付き合いするならちゃんと好きな人がいい。


 例えば、たちば────


 ゴンッ!


「ど、どうしたの柚っち!?」


 私がいきなり机に頭を打ち付けた事で、愛美が驚いてしまった。


(だ、誰を考えようとしてたの私……!?)


 今、橘さんって考えなかった!?

 別に、橘さんの事が好きな訳じゃないよ!? 橘さんは、ただの親切で優しい頼りになるお兄さんなんだから!


「な、何でもないよ……」


 額を擦りながら、私は首を横に振る。

 うぅ……思わず頭を打ち付けちゃったから頭が痛い……。


「そ、そう……? 本当に、恋する乙女は悩みが多そうだ……」


 愛美が私の気持ちを理解してくれない……。


「そういえば、今度テストが近いよねっ!」


「そ、そうだね……」


 確か、来週から期末試験があったはず。

 私はいつも勉強してるから特にこれといって特に対策はしなくても大丈夫。


 ……ううん、やっぱり油断はダメだね。

 帰ったら対策しよう。


「だから、明日柚家で勉強会してもいい!?」


「それはいいけど……」


 愛美は勉強が苦手な子。

 だから毎回テスト前には私の家で勉強会を開いている。


 だから今回も同じなんだと思う。

 しょうがないなぁって思うけど、勉強会は私も為になるし、問題は────


「や、やっぱりダメっ!」


「ど、どうしたの柚っち……?」


 問題はないって思ったけど、よく考えたら問題がある事に気づいた。


(明日は橘さんのお休みの日……っ!)


 橘さんの職場は、平日に一度だけお休みがある。

 それが丁度明日。つまり、明日は橘さんが一日家にいるという事。


 そんな時に、愛美を連れていく訳にはいかない。

 だって、私が橘さんと同棲している事を言ってないし、男の人と同じ屋根の下で暮らしているって知られたらどんな事を言われるか分からない。


 橘さんにも許可をもらってないから、ここはちゃんとダメって言わないと……!


「明後日なら大丈夫だから……ね?」


「でも、私明日しか部活休みじゃないんだよ……」


「ほら、私の部屋汚いから!」


「今日掃除すればいい気がするし……それに、柚っちって基本的めちゃくちゃ綺麗じゃん」


「用事が────」


「用事がないっていうのは、昨日確認したかんね〜?」


 に、逃げ道がどんどん塞がれているような気がする……!


「……怪しい」


 すると、私の様子を見て愛美は訝しむような目を向けてきた。


「な、何が……?」


「必死になってるとこ……長年友達をやってきた私の目には、柚の家には何か知られたくない事があるように見えるぜ〜」


 こ、こういう時だけ本当に鋭いなぁ私のお友達は!


「し、知られたくない事なんてないよ?」


「じゃあ明日行っても問題ないよね〜♪」


 何故か墓穴を掘ったような気がするのは私だけなんだろうか?


「ま、待って愛美! 本当に明日はダメだからぁ……!」




 ────結局、この後長々とダメだって言ったんだけど、結局明日勉強会を開く事になってしまった。


 ……ほ、本当にどうしよう?

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