待っていてくれた

「遅くなったなぁ……」


 霧島をタクシーに乗せた後、一人街灯が照らす夜道を歩く。

 スマホの画面を開けば、『0時』と写っており、周りに並ぶ一軒家やアパートのの窓から覗く光もなくなっている。


 一応、柚には「今から帰る」とは伝えていたが……多分、寝ているだろうなぁ。

 何か柚は寝る時間はきっかりと23時で、いつも俺より先に寝ている。


 ────多分、その分朝早く起きるからその時間に寝てしまうのだろう。

 俺とは大違いである。


 そして、少し朧気な記憶を頼りに家まで辿り着いた。


「ありゃ……」


 いばら荘の一階────俺が現在住んでいるいばら宅の窓から明かりが漏れていた。

 今、家にいるのは夜月一人。つまり、柚は未だに起きているのだろう。


「寝ててもよかったんだけどなぁ……」


 待ってくれなくてもよかったのに。

 柚は明日も学校があるし、いつもより完全に夜更かしである。


「……ただいま」


 玄関を開け、そのまま靴を脱ぐ。

 すると、バタバタとリビングの方から音が聞こえた。


「おかえりなさい、橘さんっ!」


 リビングのドアが開かれ、現れたのは薄水色の寝間着を着た柚。

 そのままトテトテと廊下を歩き、俺の元まで近づいてきた。


「別に寝ててもよかったんだぞ……?」


「いえ……中々寝付けなくて勉強をしていただけですので」


「ん? そうなのか?」


「はいっ」


 そうなのか……。

 どうやら、俺の勘違いだったらしい。

 な、なんか一人でそう思い込んでたのが少し恥ずかしいな……。


「早く着替えてお風呂に入ってきてください。後、お湯は抜いちゃっても大丈夫です」


「その前に、ちょっと水だけ飲ませてくれ。口の中が少し気持ち悪い」


「では、用意してきますのでリビングで待っててください」


「いや、別にそれぐらい────」


「ふふっ、橘さんは仕事でお疲れなんですから……これぐらいさせてください」


 そう言って、柚は再びリビングに戻っていってしまった。

 ご丁寧に俺のカバンまで持ち去って。


(本当、柚は絶対にいい奥さんになれるだろうにな……)


 ここまで甲斐甲斐しく世話をしてくれる女の子なんて、今のご時世では滅多にお目にかかれないのではないだろうか?

 茨さんの教育は大変素晴らしい。絶対に、娘さんはおモテになりますよ。


 そんな事を思いながら、俺もリビングへと向かった。

 柚はキッチンで水を────出してくれるだけでいいのだが、何故かウコンまでお盆に並べようとしていた。

 ……そこまで飲んでないけど、気遣いが凄く嬉しい。


「……ん?」


 そんな様子を見ながらジャケットを脱ごうとした時、机の上にある冊子が視界に写った。

 この前渡したであろう問題集に、口の開いていない筆箱。

 俺が帰ってきてからすぐ現れたわりには、綺麗に片付けられている。

 まるで、終わってからしばらく時間が経ったような状態だ。


(……本当は待っていたんじゃないのか?)


 もしそうであれば、先程の言葉は俺が申し訳ない気持ちにならないように配慮した言葉。

 柚の……優しい気遣いだった。


「いや、マジで……いい子過ぎるだろ」


 そんな事を本心から思いながら、俺は閉じられている問題集を手に取って捲った。

 要点だけ纏めている問題を赤ペンで色をつけ、その問題だけをやってくるのがいつもの流れ。

 そして、今回もきっちりと最後のページまで問題が解かれてあった。


(いや、まぁ……おつかれさん)


 口には出さないが、こんな俺のお節介を真面目にやってくれるのは嬉しい。

 認められているような、役に立っていると実感させるような……満たされた感情が湧き上がってくる。


 何故か、心が救われる想いだ。


「よっしゃ……」


 自己満足の一種なのかもしれないけど、柚の役に立てるのであればまた頑張ろう。

 そう思って、柚がやって来る前に部屋に戻って問題集を机の上に置いた。



 ♦♦♦



「……おはよう」


「おはようございます、橘さん」


 もう何度目のやり取りになるか分からない。

 そう思ってしまうほど、朝起きて柚がリビングにいる光景が見慣れてしまった。


「あれ……? 橘さん、いつもより眠たそうな感じですね?」


「そんな事ないやい。ただ瞼が重いだけなんだい」


「それは眠たいと同義だと思います……」


 ちょっとだけ……本当にちょっとだけ瞼が重いだけだ。

 ……眠たいとか、そんな事は一切ないね!


「……ぁ」


 そうだ、忘れないうちに渡しておかなきゃ。


 そう思って、俺は自分の部屋に戻り二冊の問題集を持ってきた。

 そして、朝食の準備をする柚の邪魔にならないように、テーブルの隅に置いて顔を洗いに向かう。


 渡すのは食べ終わってからでもいいし、テーブルの上に置いていれば渡し忘れる事もないだろう。


「ふぁぁ……っ」


 大きな欠伸が出てしまうが、顔を洗いさっさと瞼を持ち上げて柚と一緒に飯でも食べよう。



 ♦♦♦



「……これって」


 朝食を並べようとすると、私は机の上に二冊の冊子が置かれているのを見つけた。

 それは昨日終わらせた問題集で、もう一冊は私の見た事のない別の問題集だった。


 昨日、問題集が何処かにいってしまったと不安になっていたんだけど……これでようやく合点がいった。


「だから眠たかったんだ……」


 ページを捲ると、赤ペンで丸つけがされており、アドバイスのような言葉が並べられている。もう一冊の問題集は要点らしき問題を蛍光ペンで色をつけられていた。


 ────これが意味する事は一つ。


「……ありがとうございます、橘さん」


 何故か、顔が物凄く熱く感じた。

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