職場の人間で飲み会

「それじゃあ────」


「「「かんぱーい!!!」」」


 運ばれてきたジョッキを合わせて、乾杯の音頭をとった。

 翌日、仕事終わりに訪れたのは事務所近くの居酒屋。平日の真ん中だからか、意外と店は閑散としており、俺達以外には数人の客しかいなかった。


「ぷはーっ! これだよこれ! この一杯の為だけに今日の仕事を頑張ってきたんだ!」


 そう言って、正面に座る戸部先輩がビールを一気に飲み干した。


「大袈裟ですね戸部さんは」


 隣に座る霧島が先輩の姿を見てそう言った。

 驚くべき事に、何故か霧島のジョッキの中身は既に空────一体、この数秒のやり取りでどうやって飲み干したのかがすっごい気になる。

 俺でも半分しか飲めなかったのに。


「アルコールは一気に飲み干してこそ味が分かるんだぞ?」


 倒れるわ。


「私も久しぶりにお酒が飲めて少し嬉しいですね」


「ん? 昨日友達と会ったんじゃないのか?」


「会いましたけど、男の人と違って話をしたのは喫茶店ですよ。女の子はお酒を飲まない人が多いんです」


 確かに、女の子でお酒を好んで飲む姿は想像がつかない。

 と言うよりも、霧島の年齢でお酒を好む人間は中々いないだろう。偏見かもしれないが。


「あ、先輩生でいいっすか?」


「おう!」


「霧島は?」


「私も同じので大丈夫です」


「すみませーん! 生二つお願いします!」


 そう言うと、奥から「はーい」という返事が返ってきた。


「それにしても、これで今度から橘を飲みに誘いやすくなったな!」


 嬉しそうに笑う戸部先輩。

 この前も同じような事を言っていたよな……。


 誘ってくれるのは嬉しいけど────


「今度からは前日ぐらいに言ってくださいね? それに、飲みは今度から控えようと思っているので」


「どうしてだ!?」


 先輩が立ち上がり、驚愕の色を見せた。

 んー……ここまでがっつかれるとは思わなかった。


「戸部さん、先輩も引越してから間もないんですし、やる事が残っているんですよ、きっと」


「うーむ……そうか。確かに、引越しって色々とやる事があるからなぁ……」


 二人は納得しているが、本当のところは少し違う。


(あんまり、柚を一人にさせたくないんだよなぁ……)


 この前言われたが、俺は今度から柚を信頼しようと思う。

 だけど、心配をしないかという点は別問題だ。


 預かっている云々は置いておいて、女の子を極力一人にはさせたくない。

 世の中、最近物騒なのだから。


(こんな事言ったら、柚に過保護って言われそうだ)


 脳内で柚が俺に向かって怒る姿が想像できる。

 この事は柚に言わないようにしよう。


「しかし、先輩がいばら荘に住むとは思いませんでしたよ。もう少し築年が新しいところにすると思ってましたぁ」


「俺なら気持ちは分かるぞ? 職場から近い場所を選んでしまいたくなるのが男だからな」


 そんな理由もあるが、実際は茨さんにお願いされたから住む事にしたんだが……これは言わないでおこう。

 勘ぐられたら面倒だ。


「近いっていうのもあったけど、茨さん達が住んでいた事もあって中ってリノベしてたしめちゃくちゃ綺麗なんだよ。正直、築年より綺麗さを選ぶ方だからな俺は」


「へぇ……どれぐらい綺麗なのか見てみたいですね」


「絶対に見せん」


 柚がいるかもしれないじゃないか。

 鉢合わせだけは絶対に避けたい。


「ぶー……ケチですね先輩は。そんなんだからモテないんですよ」


「先輩聞きました? 中を見せないだけでこんな事言いやがりましたよ?」


「俺はカミさんいるから、その気持ちは分からんなぁー」


 どういうこっちゃねん。

 会話のキャッチボールが若干通じていない気がする。


「あ、生のおかわりお願いしまーす」


「早いぞ霧島! あれからまだ数分しか経っていない!」


 明日も仕事なのにハイペース過ぎる!

 ペースを落とさないと、本当に後で後悔する事になるぞ!


「じゃんじゃん飲め霧島! 今日は俺が奢ってやろう!」


「わーい♪ 流石戸部さんです! 大人な男は違いますね!」


「乗せられるな霧島ぁ!」


「じゃあ赤霧頼みます! 霧島なので!」


「霧島ぁ!?」


 こうして、まだ数分しか経っていないのにジョッキの空が増える飲み会が始まった。



 ♦♦♦



「気持ち悪いです……」


「ほらみろ馬鹿が。あんなハイペースで飲むからだ」


 冷たい夜風にあたりながら、俺と霧島は外でタクシーが来るのを待っていた。


 飲み会はえげついほど酒が運び込まれ、戸部先輩と霧島がダウンした事によってお開きとなった。

 戸部先輩は奥さんがやって来て連れ帰ってくれたのだが、一人暮らしの霧島だけは違う。


 このまま彼女の乗っている自転車に乗せて帰らす訳にはいかないので、こうしてタクシーを呼んで待機しているのだ。


「先輩……私、タクシーに乗ったら吐く気しかしません」


「大丈夫だ。今のタクシーはエチケット袋を常備していてお馬鹿さんにも優しいサービスを導入している」


「……馬鹿って私の事ですか?」


「後先考えずに飲む奴は大概馬鹿だと思っている」


 明日も仕事の事を忘れるとは社会人としてのマナーが足りない。

 と言いながらも、戸部先輩はケロッとした顔で出勤するんだろうなぁ。


「先輩……」


 待合所で座る霧島が俺の肩にもたれかかってくる。

 少し酒臭いが、それでも女の子特有の甘い香りが俺の鼻腔をくすぐってきた。


(はぁ……残念美人ってこいつのような事を言うんだろうなぁ)


 顔は文句ないほどに整っているのに、こんな姿を見てしまえばため息も出てしまう。

 距離が近く、肩にもたれかかっている現状に勘違いしてしまいそうなのだが、どうにも俺の心臓は高鳴らない。


 きっと、この状況に「吐きそうな状態」という要らぬオプションがついているからだろう。


「お前、あんま他の人と一緒に飲むなよ? 毎回こんな状態じゃいつか襲われても知らんからな」


 泥酔した女性はとにかくガードが緩くなる。

 男としてはそれをよしとする人間もいるが、はっきり言ってそれは冒涜だと思っている。


 本当の、女性の気持ちを紛らわせてしまっているからだ。


 でも、残念な事に世の中にはそういう輩もいる訳で、毎回こんな調子ではいつか霧島は襲われてしまいそうな気がしてならない。

 そこが心配なのだ。


「先輩がいる時じゃないと、こんなに飲みませんよぉ……」


 そんな呟きを残し、霧島は瞼を閉じて黙りこくってしまった。

 ……きっと、これ以上喋るのは限界なのだろう。


 ────どうしてそんな事を言ったのか?


 聞いてしまいたい気持ちがあったのだが、残念な事にタクシーが丁度やって来てしまった。

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