修学旅行前夜

 数日の時が経ち。

 そして、いよいよ柚が修学旅行に向かう前夜になってしまった。


「……どうしてか、心配が拭えません」


 仕事帰り、入浴を済ませ食卓に座った俺の対面で、柚が不安そうに箸を止めた。


「それは交友関係で? トラブルでもあったか?」


「いえ……新太さんを一人家に残す事が、です」


「信用なさすぎじゃない?」


 それほどまでに俺の事が信用できないのか?

 俺も思わず生姜焼きに伸ばす手が止まってしまった。


「い、いえ……新太さんを信用していない訳ではなくてですね……ちゃんとご飯を食べてくれるのかが心配なだけです」


「それは信用していないのと同義だと思うんだが?」


 柚の心配性にも困ったものである。

 それが優しさから来ているものなのだと思うのだが、流石にここまで言われてしまえば涙が出てしまいそうだ。

 というか、いつの間にか俺が面倒を見られている立場になっているような気がする。


「ちゃんと食べるって。一日は友達と会うから外食になるだろうが────それ以外は直帰でちゃんとご飯作って食べるから」


「……テイクアウトはダメですよ?」


「一人暮らしは皆食べているんだがなぁ……」


 このやり取りは果たして何回目だろうか?

 それぐらい、ここ最近のこのやり取りが定着されつつある。


「この前、柚に作ったぐらいの料理はできるから安心しろって。柚が心配しないように、そこはきっちり守るさ」


「……私も新太さんの生活に制限をかけたい訳じゃないですけど……やっぱり、外食ばかりではお身体を壊してしまいますし……栄養面を考えた食事をとって欲しいです」


「ん……本当に、柚はいい奥さんになるよ」


 俺は生姜焼きを頬張りながらそんな事を思う。

 他人である俺をここまで心配してくれるなど、優しい以外の何物でもない。

 気遣いできる人間がどんな世界に行っても重宝されるのは知っている。人間関係も、柚ならきっと問題なくいい関係を築けるだろう。


 だけど────


「俺だって柚と暮らす前は一人で生活していたんだ。柚の心配は嬉しいが、そこら辺の事もちゃんとするし約束もする────こんな半端者の心配しなくてもいいからさ、柚は学生らしく何の心配もしないで楽しんでくればいいんだよ」


 俺の心配は、柚が心配する範囲ではない。

 こう見えても柚とは立場も歳も違う。俺は社会人で柚は学生なのだ、家庭の事はまだ考えなくてもいい────そういうのは、年齢的にも俺の役割だ。


 だからこそ、柚は学生で子供らしく何の心配もなく楽しんできて欲しい。

 これは、俺の心からの気持ちだ。


「一応、作り置きは作っておきましたので……」


「ありがとうな、柚」


 作り置きがあれば、俺も外食する理由もなくなる。

 ……正直、この時点で心配が拭えて欲しかった。


「にしても、明日は結構楽しみなんじゃないか? 京都っていったら観光名所もいっぱいだしな」


 俺はこれ以上の話を避ける為に、話を変えた。

 少しだけ間が空いてしまったが、少しだけ楽しそうに口を開く。


「そうですね、伏見稲荷大社に金閣銀閣、清水寺とか……結構ありますから」


「羨ましいなぁ……俺もその頃に戻りてぇ」


「ふふっ、そうしたら一緒に回れたかもしれませんね」


「残念な事に、俺は地方の生まれだから柚と回る事はなかったな」


 俺の時は北海道だったからなぁ……。

 観光というよりかはスノボーとスキーが大半だった気がする。

 真面目に観光をした記憶がないので、正直柚達が羨ましく感じてしまう。


「京都は鹿……? あ、いや……大仏だったか?」


「どちらも奈良ですよ。新太さんは少しお馬鹿なところがありますね」


「馬鹿にするんじゃない柚。誰が問題集に採点をしていると思っているんだ! それぐらいは頭がいいぞ!」


「そうですね、新太さんは頭がいいですね」


 何故だろう、子供の虚言に仕方なく頷いてくれた母親のようなセリフだった。


「そういえば、それで思い出したけど────問題集、別に来週でもいいからな? というか、強制もしてないから時間がある時に解いてくれ」


 預かる事になってからも続いているこのやり取り。

 柚がそんなにすぐに新しいのを持って来なくてもいいと言い始めてから頻度は減ったが、直近では三日前ぐらいに一冊を渡した。

 ハイペースの時でなければ、柚は大体明日か明後日ぐらいにはきっちりと提出してくれる。


 だけど、明日からは修学旅行だ。

 受験で根を詰めなければならないという状況でもない為、別にすぐに提出しないでも問題はない。

 というか、真面目にやらなくても一ヶ月ぐらいのペースでも問題ないんだけどなぁ……。


「そう、ですね……私も、修学旅行の準備とかでほとんど手がつけられていなかったのでそうします」


「そうしてくれ。俺のこれは単なるお節介だから、全ての二の次ぐらいでやってくれればいいしなー」


「……二の次にはしませんよ」


 柚がもう一度箸を置く。

 そして、深くはないが……徐に頭を下げた。


「いつもいつも、ありがとうございます。新太さんのこれは、お節介ではなく私の為になっています……だから、ありがとうございます」


 その姿は冗談の欠片も感じられなかった。

 本心から感謝しているのだと、その気持ちがありありと伝わってくる。


 それが、むず痒くて────


「いやいや、急になんだよ? 別に、お礼を言われるような事じゃないだろ?」


「違います……これは、ちゃんとお礼を言うべき事ですから」


 なんと律儀なのか。

 俺のお節介に対してお礼を言ってくれるなど、正直嬉しいがこそばゆい。

 単に、俺は柚の力になれればなぁ、って思っただけなんだから。


「じゃあ、そのお礼はお土産の八ツ橋で承ろう。あ、お金は渡すから」


「ふふっ、ここで私がお金を払わなければお礼になりませんよ?」


「そう言うな、俺のお願いで歳下の子にお金を出させたら俺の立場がない。嫌だと言うなら、鞄の中にこっそり諭吉を突っ込む」


「では、私も新太さんの鞄に諭吉さんを突っ込んでおきますね」


 ……強情なやつ。

 そこまでしてお金を出したいのだろうか? そういうところ、本当に霧島に見習わせたい。


 だけど────


(そこまで言ってくれるほど感謝している……って事だよな)


 それだと嬉しい。

 前も感じたが、やっぱり柚の為になって感謝されるのは……本当に嬉しい。


「まぁ、鞄に諭吉を突っ込む前にさっさと食べてしまおうぜ。忘れ物ないか俺がチェックしてやる」


「しなくてもいいですからね!? それは小学生と同じような扱いを受けているような気がします!」


 湿っぽい気持ちはどうも苦手らしく、この気持ちを紛らわせる為につい柚をからかってしまう。

 頬を膨らませて怒る柚を見て、何故か胸がほっこりしたのであった。

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