後輩の修学旅行

 水族館に行ってから、早いもので数週間が経った。

 カレンダーを見れば月末まであと少しで、柚の修学旅行に向かう日も明日からなんだと実感させられる。

 柚には是非とも楽しんできてもらいたい。何せ、高校生活において一番のビッグイベントだからな。


「先輩先輩」


「ん?」


 デスクにある卓上カレンダーを眺めていると、不意に隣から会社の後輩に声をかけられる。


「暇です」


「おい、それを言うな馬鹿ちんが」


 仕事中に何を言い始めるんだこいつは。

 店長とか温厚な戸部先輩が聞いたら流石に怒られるぞ。


「でも、暇過ぎじゃありません? 繁忙期だっていうのに、まさかこんなに客が来ないとは思わないんですもん」


「……まぁ、気持ちはすっごい分かる」


「でしょ? 思わず口にしちゃっても仕方ないと思うんですよ、私は」


 不動産業においては、引越しシーズンである二月は繁忙期。

 新年度に向けての学生や社会人の客も増える頃。実際に、今まではいつも以上にお客も来て、それなりに忙しかった。


 だけど、今日に限っては客が一人も来ていない。

 いわゆる閑古鳥が鳴いている状態になっているのだ。


「他にやる仕事も終わらせたからなぁ……」


「まぁ、進めたくてもボールを投げている状態なので進められない仕事もありますしね」


「……暇だ」


「先輩も言っちゃってるじゃないですか」


 仕方ない、本当に暇なんだから。


「なぁ、霧島……」


「なんです?」


「霧島の時の修学旅行ってどんな感じだった?」


 決して暇だから……という訳ではないが、雑談がてらにふとした疑問を口にしてみる。

 柚の修学旅行が近づいてきてしまったからだろうか? ふとした疑問がそれだった。


「修学旅行って高校の時のですよね?」


「そうそう」


「うーん……私、修学旅行っていい思い出がないんですよね」


「ふーん……意外だな」


 霧島は割かし話しやすいし、顔も整っているからそれなりに交友関係があると思っていた。

 学校でも、死語ではあるがリア充生活を謳歌していそうなものだし、修学旅行でもきっとはっちゃけいたものだと……。


「ほら、私可愛いじゃないですか?」


「二十一にもなって自分の事を可愛いと言う奴って正直イタいと思うぞ?」


 可愛いのは認めるが……自分で言ったらお終いである。

 そういう事を言っていいのは柚だけだ、異論は認めない。


「まぁ、先輩のツッコミはおいておいて────結構モテたんですよ、高校でも」


「の割には、今はフリーだよな」


「今は意図してフリーなんですよ……」


 霧島は傍ら置いてあったカフェオレを口にして一拍置いた。


「修学旅行で同じ班の女の子に好きな人がいたんです────」


 そして、少しだけ顔を歪ませてそのまま口を開く。

 その様子は割り切ってはいるものの、思い出したくない事でも語るような……そんな様子だった。


「その子、修学旅行の時に好きな人に告白しようとしたんですけど……その前に、私が好きな人に告白されちゃったんですよね」


「……そ、そうか」


「そうなんですよ。詳しい事は端折りますけど────断ったのにも関わらず、その事が班の皆に知られて空気は最悪。男子達からは何様だ言われて肩身の狭い思いを────」


「も、もういいぞ霧島……? なんか悪いな、何か思い出したくないような事聞いちゃってさ……」


 予想以上に重たい話だった為、俺は即座に謝罪した。

 楽しくないというのはモテすぎて男子が離れてくれないとか、行き先が面白くなかった場所とか、そういうものだと思っていた。

 だがしかし、蓋を開けてみれば恋愛沙汰……それも、霧島の一方的な被害。

 何か聞いた俺もいたたまれない。


「別にいいですよ。もう終わった話ですし、今更気にしている訳でもありませんから」


 そう言って霧島は小さく笑うと、視線を外してキーボードを叩き始めた。


「けど先輩? どうしていきなり修学旅行の話をしたんですか?」


「いや、今度柚が────」


 口にしようとした瞬間、すぐ様口を押さえる。


「柚? 誰ですか、その人?」


「い、いや……」


 怪訝そうな顔を向けられて、俺は頭の中で必死に言い訳を探した。

 まずい、ここで柚の話を出したら色々と勘ぐられてしまう……ここはどうにか誤魔化さないと……っ!


「お、俺の妹が今度修学旅行に行くらしくてな! それでちょっと気になったんだ!」


「そうですか……で、どうしてそんなに動揺しているんですか?」


 柚が妹ではなく家主の娘……何て言えない。


「そういえば、確かいばら荘のオーナーの娘さんも柚って名前だったような……? そういえば、最近はポストに問題集が入っていませんよね?」


 妙なところで記憶力を発揮する後輩は嫌いだ。


「まぁ、いいです……深く詮索するのはマナー違反ですからね。そういうのは、深く聞かないようにします」


 こういう一線を引いてくれる後輩は好きだ。


「あ、そうだ! 先輩、その妹さんに言っておいてください────」


 すると、霧島は滅多に見せない笑顔を浮かべて、俺に向かって口を開いた。


「修学旅行、楽しんできてください、と。学校で一番楽しいのは、修学旅行に決まっているんですから」


 ……その言葉は、先程の過去話とは矛盾している。

 だけど、きっとそれは霧島が思っていた事なのだろう。

 自分は楽しめなかったけど、本当なら楽しいイベントなのだと。


「あぁ……ちゃんと伝えておくよ」


 俺も、柚には楽しんできて欲しい。

 珍しく、会社の後輩と同じ気持ちを抱いてしまった。

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