水族館へ

「柚ー、準備できたかー?」


「も、もう少し待ってくださいっ!」


 長い仕事が終わって、現在祝日の早朝。

 重たい瞼を覚醒させ、朝食を済ませた俺は玄関で柚の姿を待っていた。


 というのも、今日は以前くじ引きで当たった水族館のチケットを使って水族館に行く日。

 日が昇ったばかりに出立するのは、単にその水族館が県を跨いだ場所にあるからだ。


「にしても……遠出なんて久しぶりだなぁ」


 グレーのロングコートのポケットに手を突っ込みながらしみじみと思う。

 遠出なんて最近した記憶がない。一人で暮らしていた時も基本的に近場で済ませていたし、出るといっても高校の友達に会う為に間をとって新宿に出たぐらいだ。


 ……そういや、最近会ってないな。

 柚が修学旅行の時にでも飲みに誘うおうかな。


「それにしても……」


 かれこれ玄関で待って数十分。

 俺の支度が早かったというのもあるが、かなりの時間待っている。

 いつも時間きっちりな柚を待つ事になるなんて────元カノの時もそうだったが、やっぱり女の子は共通して準備に時間がかかるのだろうか?


「お、お待たせしました……」


 リビングの扉が開かれ、おずおずといった声と共に柚の姿が現れた。

 グレーのチェック柄のワイドパンツに黒のハイネック、大きめのコートに小さめなバッグ────重たい印象を与えず、無形色で統一されている為大人の印象を与えている。

 艶やかな金髪も違和感を感じさせない。十代にも関わらず着られているよりちゃんと着こなしている……ように思う。


「うん……柚って何着ても似合うんだな」


「えっ……そ、その……ありがとうございましゅ……」


 素直な感想に照れてしまったのか、柚は顔を赤くして俯いてしまった。

 その姿は何故か大人びたコーデとは違い年相応に子供っぽく、何処か安心してしまった。


「まぁ、柚ってあんまり遠出しないからな────気合いが入る理由も分かる」


「全然分かっていないです。本当に、新太さんって女心が何も分かっていないです」


「おうおう、たった一言で結構言うな」


 明らかに気合いを入れていそうだからてっきりそうなのかと思っていたのだが……うむ、残る理由が一つに絞られてきそうだからこれ以上は追求しまい。


「新太さんも似合っていますって言いたかったのに……もう、言ってあげませんっ」


「それはもはや言っていると同義では?」


 そこまで言ったなら普通に言って欲しかった。

 それでも、女の子に服装を褒められるのは少しだけ嬉しく感じてしまう。


「じゃあ、行くか。水族館までの道のりは任せんしゃい」


「ふふっ、頼りにしてますね新太さん」


 柚が靴を履いたのを確認すると、俺達は玄関を開けた。


 ♦♦♦


「そういえば、この前渡した化粧水どうだった?」


「凄かったです! 肌のキメがいつもより細かくなった気がしましたし、香りもよくて量も多いですから私は大満足です!」


「お、おう……満足していただけたなら何より……」


 最寄りの駅で電車に乗り、そのまましばらく電車に揺られていた。

 幸い、休日にも関わらず人が空いていた為、腰を下ろす事ができた。


「でもいいんですか? 私が全部使ってしまって……」


「商材写真はもう既に撮ってあるからな。基本的、使いきる用で貰ってるから問題なっし」


「なら良かったです。もしかしたら、お金を払った方がいいのかなと思いましたから……」


「そんな事を言うのはお前だけだよ……霧島なんか、適当な感想並べて全部使い切るからなぁ」


「……(ピクッ)」


 本当に、霧島も柚を見習って欲しい。

 リピーターも悪くはないのだが、俺としては感想を教えてもらって記事として使いたいんだ。

 まぁ、そんな事言ってたら使わない商材が溜まる一方だし、使ってもらう方がありがたいからいいんだけどさ……。


「けど、霧島って渡した次の日にはちゃんとそれを使って来るから変化が見れてこっちとしては少しだけ勉強になるんだよ。この前は確かファンデをつけてくれたし」


「……(ピクッ)」


「そう考えれば、今度、霧島に記事用のビフォアフでも撮らしてもらおうかな? ……いや、でもそんな事したら飯奢れとか言いそうだ」


「……(ピクッ)」


 なんて事を言っていると、柚からの返事が消えてしまった。

 俯き、時折耳が反応する。先程のテンションから一変して黙りになってしまった。


(あ、あー……これはあれか、『二人きりの時に他の女の名前を出すな』的なやつか……)


 ここまであからさまに態度が変わってしまえば流石に気づいてしまう。

 そうだよな……確かに、女の子と二人きりの時に他の女の話をしたら気分良くないもんな。


 例えデートではなくても、きっとこれはマナー違反なんだろう。

 失敗したな、なんて感じながら思わず頭をかいてしまう。


「すまん……話を変えよっか」


「……次は嫌ですよ?」


「……肝に銘じます」


 ペシペシと俺の肩を叩いて、柚はにっこりと笑った。

 どうやら機嫌を治してくれたようなのだが……前提の話を言えば、これはデートではない。

 うん、デートではない……はず。


(まぁ、気持ちを切り替えよう……俺は、頼れるお兄さんポジは譲らない)


 ここに変化をもたらせてはいけない。

 こういう小さい幸せを噛み締める為に、この立場は揺るいではいけないのだ。


「そういえば私、この前の期末試験で学年五位でした!」


「ほう……? 今日は赤飯炊くか?」


「別にいいですよ。新太さんには勉強面では特にお世話になっていますし、単に報告しておきたかったんです」


「そりゃよかった。俺としては嬉しい限りだよ」


「それに、先生にも────」


 それから、柚の学校での話を隣で聞いていた。

 その間にも、電車は目的地まで近づいていく。

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