柚と水族館
電車に長い事揺られた俺達はようやく水族館へと辿り着いた。
都心に比べれば寂れている駅前に堂々と立っているその水族館は大きく、一種のレジャー施設を思わせた。
そして、やはりここまで来れば人も多く、子供連れの家族や若いカップルが横を何度も通り過ぎていく。
「水族館なんていつぶりだろうなぁ……? こんなに大きかったっけ?」
「ここは結構有名みたいですよ? ジンベイザメとイルカショーが名物らしいです」
「いつの間にそのパンフレットを入手したのか疑問に思うわ」
横に立つ柚がパンフレットを片手に教えてくれているが、俺としてはまだ入場もしていないのにパンフレットを握っているのが疑問に思えてしまう。
「駅で配っていましたよ? 駅前にあるぐらいですから、配っていてもおかしくありませんし」
「まぁ、それなら納得するよ」
パンフレットを閉じ、軽い足取りで入口に向かう柚の横を歩く。
この人混みなので入場するまで時間がかかりそうだ。早いうちに行っておいた方がいいだろう。
「私としてはイルカショーは外せませんね。見たいです、イルカ」
「…………」
「……何ですか、その目は? 絶対に「子供だなぁ」って思っているような目です」
「……口にした方がよかったか?」
「子供扱いをしないで欲しいんです!」
いや、別に悪いとは思ってないけどさ……目を輝かせながら「イルカが見たい」って言われたらそう思っちゃうだろ?
可愛らしくていいじゃないか。俺としては微笑ましいなぁって追加で思っちゃうけど。
「大丈夫大丈夫、俺は柚の事を子供扱いしてないからさー」
「説得力が皆無な言い方です! いつになったら子供扱いをやめてくれるんですか!」
「どうどう。ここは往来だからな、ボリュームを落としていこう────お兄さん、視線を浴びるのはそんなに好きじゃないんだ」
周囲を見渡せば何人かの人がチラホラとこちらを見ていた。
柚もその視線に気づいたのか、顔を赤く染めて恥ずかしそうに俯いてしまった。
「……今日の晩ご飯は新太さんだけもやしです」
「新手の仕返しだな。俺としてはこれから一生懸命頭を下げなくてはいけなくなったのが悲しく思えてくる」
悲しい事だが、水族館に入る前から俺は柚に一生懸命謝る事になった。
自業自得と言えばそうなのだが、公共の場で頭を下げる事は恥ずかしいので、次からはもやしだけはやめて欲しいと思ってしまった。
♦♦♦
「生物の誕生は海から始まったとされている。海に生きるプランクトンが成長し、魚が生まれ、陸に上がり、人間が誕生したそうだ」
「急にどうしたんですか、新太さん?」
「いやなに……ここにいる魚を見ていると、何故か魚達から俺達人間が生まれたと考えてしまってな……」
長い行列に並んだ俺達は数十分の時間で中に入る事ができた。
まず最初に迎えてくれたのはアーチ状に道を作っている水槽の中。上下左右、あらゆる場所から見た事もない魚が泳いでおり、道でもあるのに思わず立ち止まってしまう。
「海は生物の母────なんて言いますから、ここにいるお魚さん達も何かのきっかけがあれば人間になったかもしれませんね」
柚は水槽に手を当て、興味深そうに水槽の中を見ている。
その双眸が輝いて見えるのはきっと気の所為ではないのだろう。心無しか声が弾んでいるように聞こえる。
「そう、一歩違えばこいつらも俺達みたいになったと思うんだ────それを踏まえて、俺は一つ言いたい事がある」
「言いたい事……?」
「……こいつら、ぶっさいくだなぁって」
「私、この水族館の楽しみを半減されたような気分です……」
柚ががっくりと肩を落とした。
仕方ないと思う。上を泳ぐエイの顔とか見たらそう思っちゃうんだから。
「そういう事を考えたら、不思議なもんだよな……こんなにぶっさいくなのに、世の中イケメンや美少女は存在するんだから」
「私初めてです、水族館に来てこんな話を聞く事が」
「遺伝子というのは実に素晴らしい。どうやったらこんな魚から柚みたいな可愛い子が生まれるんだろうか?」
多分、科学的には証明されているのだろうが、そこら辺に疎い俺からしてみれば実に興味を唆る話だ。
帰ったら興味本意でグー〇ルさんに聞いてみたくなってしまう。
「柚もそう思わないか────って、どうかしたか?」
柚に視線を移すと、何故か柚は顔を赤くして口をパクパクさせていた。
……しまった、変な事を言ってしまったようだ。
「……柚って、結構初心だよな?」
「……今ここでその発言は失礼だと思います」
しまった、続いて失礼な事を口にしてしまった。
「純粋な疑問だけど、柚って今まで彼氏がいた事はある?」
「……お察ししてください。どうせ、新太さんなら分かっているんでしょう?」
まぁ、初心い反応を見る限りは大体察しがついてしまうんだが……。
こんなに可愛くてモテそうなのに、そういう経験がないとは俺の常識が覆されそうな気持ちになってしまう。
「悪い、これ以上は聞かない事にする────何か、俺にできる事はございませんか?」
「では今日一日……そ、その……手を繋いでくれたら、嬉しいです」
「お、おい……それは────」
「お詫びなんですよね? でしたら、これぐらいして欲しいです……」
「い、いえっさー……」
柚の押しに負けてしまった……。
こっちとしても不躾な事を聞いてしまったから詫びのつもりで言ったけど……これは流石に予想外だ。
「…………」
ゆっくりと、隣にいる柚の手を握る。
「っ!?」
すると、柚の体が一瞬だけ跳ねてしまった。
見れば先程よりも顔が赤くなっており、視線が凄まじく泳いでいる。
そこら辺を泳いでいる魚よりも素早く、それでいて一向に俺の顔を見ようとしない。
(恥ずかしいなら言うなよ……)
そんな気持ちが湧き上がってしまう。
正直、これは預かる身としての範疇を超えている。
それから握り返してくれた柚の顔は変わり、嬉しそうに頬を緩ませているが……俺は、そんなに緩まなかった。
嬉しいか嬉しくないかで言えば嬉しい。
だけど、それとこれとは話は変わる。
────多分、これ以上範疇を超えてしまえば、この時間は確実に終わる。
楽しいと感じてしまったこの時間は、別のものに変わってしまうだろう。
「……柚は、これでいいのか?」
「……私は、これが幸せなんです」
何が? とは口にしなかった。
だけど、大体の話を察してくれているのだろう。
「まぁ、柚がいいなら別にいいか……」
よくはない。
頭では分かっているけど、嬉しそうにする柚を見てしまうとどうにも強く言えない。
それに────
(俺自身も、問題ありだなぁ……)
この事は、きっといつか茨さんに相談しないといけないだろう。
変わってしまうと思っているこの現状に、何故か小さな幸せを感じてしまう俺自身の問題を。
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