出発する柚
「柚、財布持ったか? 修学旅行のしおりとか着替えとか────」
「もうっ! ちゃんと持ちましたよ新太さん!」
翌日、日が昇ってすぐの頃。
時刻はまだ朝の六時。いつもであればまだ夢の世界に潜っている時間なのだが、今日に限っては現実世界へと戻ってきた。
というのも、今日は柚の修学旅行の日で、集合時間が羽田に七時半と早いからだ。
「酔い止めっているか? 一応、俺が持っているやついるか?」
「大丈夫ですよ新太さん! 私、酔いやすい子じゃありませんから!」
玄関先で頬を膨らませて少し怒った様子を見せる柚。
そして、その怒った視線の先には見送りをする俺がいる。
……どうしてだろうか? 俺はただ単に忘れ物がないかとか、道中酔うかもしれないから聞いているだけなのに。
「はぁ……今まで散々私に向かって心配性って言ってましたけど、新太さんも大概心配性じゃないですか……」
「いやいや、これは預かる身としては当然だろ? きっと、茨さんも同じような反応をするはずだ」
「最早保護者になりつつありますよ……」
ふむ……正直な話、俺の立場って保護者じゃないだろうか?
だからこの心配は心配性とかではなく、単に当たり前の心配というものだ。
「いくらお母さんでも、そこまで心配しませんよ」
「けどなぁ……酔ったり、忘れ物なんかしたら修学旅行が楽しめないだろ? せっかくの修学旅行なんだしさ……」
「なるほど、新太さんは心配性ではなく過保護なんですね」
柚はため息を吐き、ピンク色のキャリーケースの上に座る。
「大丈夫ですよ、新太さん。私、結構しっかり者ですし、こう見えても丈夫ですから」
柚がしっかり者なのは知っている。
それは同棲している間にこれでもかと言うほど実感したし、正直同年代の中ではずば抜けているだろう。
体を壊したところも見た事がないし、丈夫というのは間違いない。
だけど────
(それとこれとは話が別なんだよなぁ……)
分かっていても心配なものは心配なのだ。
もしかしたら────なんて思いがどうしても脳裏を過ぎってしまう。
(あぁ……なるほど。柚も俺と同じ気持ちだったのか)
どうして俺があんなにも大丈夫と言っても心配してくるのか。
きっと、俺と同じような事を考えてしまったからなのではないだろうか?
だとすれば────
「そうだよな……うん、そうだ────悪かった、柚はしっかり者だもんな」
「分かってくれればいいんです」
俺が納得すると、柚は嬉しそうに微笑んでくれた。
今日起きてから、「ちゃんとご飯を食べろ」なんて一言も言わなかった。
それは、柚も最終的には俺を信じてくれたという事だ。
だったら俺も信じないと柚に失礼になってしまう。
「修学旅行って班行動?」
「始めは違いますけど、二日目は一日中自由で班行動です。昨日、何処に行くかでずーっとLI〇Eの通知が止まりませんでしたよ」
「柚も会話に参加してんだろ? ちなみに、何処見て回る予定なの?」
「伏見稲荷です! これは断固として譲れませんから!」
あぁ……伏見稲荷っていいよなぁ。
あの鳥居が続いている感じ、紅葉の時期に行けばもっと綺麗だっただろうが、冬も冬で綺麗そうだ。
……なんか羨ましくなってきた。
「女の子だからお土産コーナーに入り浸って「ちょーうけない?」「うけるー」みたいなやり取りをするのかと思った」
「ふふっ、いつの時代の話をしているんですか? そんな子、今時いませんよ」
いかん、偏見の中にジェネレーションギャップが……。
いや、そんなに歳離れてないから該当しないか。
「まぁ、楽しそうで何よりだよ。せっかくだからはっちゃけて来い」
「はい……楽しんできますね」
柚はキャリーケースから降りると、軽く制服を叩いてドアノブを掴んだ。
そして、キャリーケースを持った柚はゆっくりと顔を向ける。
「お土産、買ってきますからね」
「おう、楽しみにしてるから」
俺も柚の姿を見ながら、小さく手を振った。
「新太さん、行ってきます」
「行ってらっしゃい、柚」
♦♦♦
静寂が訪れる。
小鳥の囀りが何処からか聞こえており、玄関横の小窓から朝日が玄関を明るく照らしている。
先程までは意識してなかったはずなのに、それが気持ちいいぐらいに意識してしまう。
「行ってきます、か……」
家を出る時間が遅い俺は毎日のように口にしている言葉。
この突然現れる意識も随分と慣れてしまった。
「……さて、早く起きすぎたし何して時間を潰そうかねぇ〜」
大きく背伸びして、そのままリビングへと戻る。
いつもならそのままスーツに着替えて朝のニュースを見ながら少しだけ時間を潰すのだが、今となっては朝食も済ませたし潰す時間が多すぎる。
「……久しぶりに、ランニングでもしてきましょうかね」
小一時間走ってシャワーでも浴びてくればちょうどいい時間になるだろう。
静まりきったこの家にい続けても、暇という言葉を消す手段は残念ながら持ち合わせていないのだから。
そう思い、俺は自室に戻ってジャージに着替えた。
それから俺が家を出たのは十分後の事だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます