手作り
朝のジョギングが終わると、ちょうどいい時間になりスーツに着替えて職場へと向かった。
うちは基本的に早く着かなければならないとかそういった決まりはない為、時間ギリギリに出社しても咎められる事はない。
「あぁ……腹減った」
ジョギングしたからか、課業が始まってからすぐに空腹が俺を襲ってきた。
幸いにしてまだお客さんが来ていない為、腹の音は聞かれる事はないがお客さんが来た時は困った事になってしまう。
悲しい事に、引き出しを開けても小腹を満たすようなお菓子は入っておらず、仕事が始まってしまったのでコンビニで調達する事もできない。
「先輩、さっきからお腹の音が凄いんですけど……」
「……すまん」
お客さんには聞こえていないが、どうやら隣の後輩には聞かれてしまったようだ。
なんというか……普通に恥ずかしい。
「朝食は食べてきたんですよね?」
「食べてきたんだが……朝から珍しく走ってたからな。その分カロリーが消費されてしまった」
「朝の運動、ですか……全然想像がつきません」
「馬鹿言え、これでも俺は小中高全部野球部でバリバリのスポーツマンだったんだぞ? なんだったら、前職は自衛隊だ。俺以上に運動がいる人間など存在するのが珍しい」
「その後の堕落を加味すればイメージも崩れ去りますけどね」
なんてぐぅのねも出ない返しなんだろうか?
逞しい男のイメージを持たせて欲しいものだ。
「まぁ、いいです……先輩のイメージよりも、お腹の音をどうにかしないと集中できそうもありません」
小さく嘆息つきながら、霧島が自分のリュックの中から小さなおにぎりを取り出した。
手のひらより少し小さめの大きさで、海苔が一つと胡麻がかかっている。
綺麗にラップされたそのおにぎりを、霧島は俺に手渡してきた。
「……いいのか?」
「この前、なんだかんだでタクシー代出してもらいましたし、そのお礼も兼ねてってところです」
「な、なんかすまん……ありが────」
「それと、本気で集中できませんし」
「……とうな、本当に」
ありがたいし、嬉しいんだけど……妙な辱めを受けているような気分になってしまった。
だけど、実際に迷惑をかけているのは事実だし、そもそも女性のいる前でお腹を鳴らすのは男として終わっているような気しかしないので、俺はひっそりと流れそうな涙をグッと堪える。
そして、俺はラップを剥がして身をかがめながらおにぎりを頬張った。
「……ん! 美味い!」
程よい塩加減が素晴らしい。
ご飯の炊き具合もちょうどよく、もちもちした食感がお腹を満たしてくれそうな気がしてしまう。
いやぁ、おにぎり一つでここまで美味しく感じるなんて────空腹は最高のスパイスと言うが、あながちどころかだいぶ間違っていないのかもしれない。
「おにぎり一つで大袈裟ですね、先輩は」
そう呟く霧島の頬は若干朱に染まっていた。
もしかしたら、褒められて照れているのかもしれない。
(柚然り、霧島然り……俺の周りには料理ができる女性が多いなぁ)
おにぎりを頬張りながらそんな事を思ってしまう。
いつも頬っぺが落ちるほどの料理を提供している柚はもちろんの事、霧島も毎日自分で弁当を作れるほど料理ができる。
俺の知り合いの女の子は料理ができない人が多いのに、素直に凄いと思ってしまう。
「ほぉんとぉひ、ほまへっへひひおふさんひなへるとほもうほ?」
「なんて? 食べながら喋らないでください」
確かに、行儀が悪かった。
俺はおにぎりをしっかり飲み込むと、霧島に向かってちゃんと言い直した。
「本当に、お前っていい奥さんになれると思うぞ?」
「何ですか、口説いてるんですか? 職場の? 同僚に?」
「おかしい……俺の知っている反応とは違う」
柚だったら顔を赤くして「も、もうっ! からかわないでください!」って言いながら可愛らしい反応を見せてくるのに……今向けられている反応は明らかに俺に冷たいものなんだが?
……これが社会人と子供の反応の違いか。
「もうっ……何を言い出すんですかね、この先輩は……」
(……お?)
俺がそう思っていると、霧島は俺から顔を逸らしてブツブツと小言を呟いていた。
チラリと見えたその横顔は────若干朱に染っていた。
(女の子はやっぱり同じ反応するんだなぁ……)
そこまで役に立たないであろう知識を入手した気分になった。
その前に、このセリフはあまり使わない方がいいとも思った。
「さぁ、腹ごしらえできたのならさっさと仕事しますよ、先輩! 今日は予約が四件も入ってるんですから!」
「うーい……」
霧島の声によって俺は再びデスクに向き直る。
今日は来店予約が四件も入っているんだ……下調べと準備を済ましてしまわないと、スムーズに案内できない可能性が出てしまう。
その為にも、しっかりと気を取り直して気合いを入れなければならない。
(でも、まぁ……美味しかった)
さっき食べたおにぎり。
柚とは違うが、それでも本当に美味しかった。
外食で美味しい物を食べた時とはまた違う美味しさ。
何故かこう……胸に温かさが残るような、そんな味がした。
(手作りだから……なんて、そんな事ないか)
頭に浮かんだ答えを振り払い、俺は今度こそデスクトップに集中する。
でも何故か、時折料理を運んでいる姿が脳裏を過ぎった。
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