預かってからの朝
「知らない天井だ……」
目を開けると、視界に入るのはいつもと形の違う天井。
若干天井が低く、明かりが近くに感じてしまう。
「あぁ……そっか。俺、茨さんのとこに引っ越したんだった」
意識がゆっくりと覚醒していき、徐々に見慣れない天井の訳を思い出す。
────翌日の朝。
昨日、柚と寿司を食べた俺達はそのまま家に帰り、その後はすぐに寝床についた。
案内されるほど広い家ではないが、柚が懇切丁寧に浴室の使い方や日用品の場所まで教えてくれた。
だが、残念ながら偏差値の高い高校に通っていない俺の記憶能力は万能じゃない。
多分、何度も柚に尋ねてしまうだろう。
「……もうちょい寝るか?」
スマホの画面をつけると、時刻はまだ朝の七時と映っていた。
休日は九時起き────そんなサイクルを送っていた俺にとっては、ここで二度寝するのがいつもの朝だ。
だが、今日からは柚と一緒に暮らしている。
初日から惰眠を貪るのもいかがなものだろうか?
だらしない男だと、思われてしまわないだろうか?
「……まぁ、起きるか」
もしあれだったら朝食でも作っておくか。
家事がしたいとはいえ、柚も朝食を絶対に作りたいって訳でもなさそうだし、休日はゆっくりさせてやろう。
……多分、まだ寝てるだろうし。
そう思い、俺はベッドから起き上がって寝間着代わりのジャージのまま部屋を出る。
未だに瞼は重いが、それでもいつもよりは足が軽く感じた。
♦♦♦
静かな朝は慣れっこだ。
一人暮らしをしていた為、自分の生活音以外は発生せず、誰かの声やキッチンから何かが焼かれる音など耳に入る事はない。
聞こえるのは薄い壁から聞こえる隣の人の声や、道路を走る車のエンジン音くらいで、その所為で目が覚めてしまう事など滅多にない。
だからだろうか?
今日の朝に違和感を感じてしまうのは。
「あ、おはようございます、橘さん」
ラフな薄いピンクの部屋着の上からエプロンを身につけた少女。
その少女の声と何かが焼ける音、それが俺の耳へと入ってくる。
「……朝、早いんだな」
「ふふっ、橘さんも朝早いですね。もう少し寝ているかと思っていました」
多分、見慣れない天井じゃなかったらこんな時間に起きていないで、再び眠りについただろう。
「もう少しで朝食を作り終えるので顔でも洗ってきてください」
「……おぅ」
「タオルは横にかかってますから」
「……ありがと」
凄い違和感だ。
朝から口を開く事があまりなかった。何かが喉に絡まっているかのように感じる。
『朝食がそろそろできる』
そう言われてしまったので、俺は違和感を振り払って洗面所へと向かい、そのまま顔を洗った。
そしてタオルで顔を拭くと、そのまま来た道を戻ってリビングへと顔を出す。
「〜〜〜〜♪」
声だけでなく鼻歌まで聞こえてくる。
カウンターキッチン越しから見える柚は何処か上機嫌なのか、鼻歌だけではなくて小刻みに体が揺れていた。
(家事が趣味っていうのは本当なんだな……)
別に疑っていた訳じゃないが、こうして楽しそうに朝食を作っている姿を見ていると、本当なんだなと思ってしまう。
その姿は、本当に可愛らしかった。
(俺が高校生だったら夢のシチュエーションだよな)
そんな事を思いながら、俺はテーブルの中に収まっていた椅子を引いて腰掛ける。
時刻はまだ七時。
今まで休日は朝食なんて食べていなかった────なんて今更言うのも気が引けるな。
「お待たせしました、橘さん」
そう言って、柚は皿を持ってやって来た。
美味しそうなベーコンエッグだ。決して凝っている訳ではないだろうが、それでも朝からは手間だろうにと、しょうもない事を考えてしまう。
「俺も配膳手伝うぞ?」
「いいですか? では、ご飯をよそってもらえたら嬉しいです」
「了解」
俺は立ち上がり、炊飯器前まで向かう。
「あれ? 茶碗って何処だっけ?」
「食器棚の一番上にありますよ」
「あいよ……ついでにしゃもじも何処にあるか教えてもらっても?」
「しゃもじは、下の引き出しの中ですね」
茶碗は……どれ使えばいいんだろ?
「茶碗はお父さんの使ってください。箸もお父さんのを用意しますから」
「流石柚だ」
言わなくても伝わるなんて、なんという察知能力。
いや、普通に迷う俺を見て察してくれたのか。
よくできた子だよなぁー、なんて思いながらご飯をよそっていく。
「よく考えれば、このやり取りって新婚さんみたいだよな」
「し、新婚っ!?」
「おしどり夫婦とも言えるかもな」
「おしどり夫婦っ!?」
「それか同棲したてのカップルとかかな」
「カップルっ!?」
言わなくても察してくれる奥さん。一緒に朝から朝食の準備をする男女。
この光景を見た他人はそう思ってしまうのではないだろうか?
────という事は、いつか柚と結婚する男はこんな風に過ごすんだろうなぁ。
朝から忙しい────なんて思ってしまいそうだが、妙に楽しく感じてしまう。
「結婚も、悪くないんだなぁ……」
「け、結婚っ!?」
まだ若いと思っていたけど、ちょっと前向きに考えよう。
こんな朝も、悪くないのだろうから。
「柚ってこれぐらいの量で大丈夫────って、どうしてそんなに顔が赤いの?」
よそった量を確認する為に振り返ると、何故か柚は口をパクパクさせて顔を真っ赤に染めていた。
菜箸を握っている手も震えてしまっている。
「た、橘さんの所為ですっ!」
「何故に!?」
悪くないと思っていた朝に、何故か俺は怒られてしまった。
全くをもって、身に覚えがない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます