互いの事
長い時間電車に揺られた後、最寄りの駅で降りた俺達は近くの回転寿司店へとやってきた。
近くの席に案内され、対面に座ってメニューが映るタブレットを真ん中に置いて一緒に眺める。
「もうちょい高い場所でも良かったんだぞ? チェーン店じゃなくてさ······せっかく渋谷とかで乗り継いだんだし」
「いいんですよ。別に高いものを食べたい訳ではありませんし、お金を使わないに越した事はありません」
「子供がそんな事を考えるかね? 今時の女子高生って節約を考えるようになったのか?」
「考えないと思いますよ? 私がこんな考えをしているのは、私が大人だからです!」
そう言って、娘さんは胸を張って自慢する。
だがしかし、教育課程を終了していない未成年は世間一般では子供の部類なのだ。
自慢したところで、残念ながら俺の子供という印象は変わらない。
「まぁ、いいや。とりあえず欲しいものだけ頼んで、後は流れるものを取るか────あ、生頼も」
「じゃあ私も同じので」
娘さんはタブレットを操作して生を二つ注文しようとする。
「おいコラ、娘さんは未成年だろうが」
「……ぶー」
「唇尖らせても頼まねぇよ。子供は子供らしくジュースでも頼んどけ」
「いよいよ本格的に子供扱いしてきますね、橘さんは」
別にお茶でもなんでも構わないが、流石にお酒はダメだろう。
ここで許してしまえば茨さん達に申し訳ない。
とりあえず、タブレットを奪った俺は飲み物を先んじて注文しておく。
これで、とりあえずは酒を頼む心配もないだろう。
「橘さん」
「ん?」
俺が操作していると、正面に座る娘さんが声をかけてきた。
「橘さんの好きな食べ物はなんですか?」
そして、唐突にそんな事を聞き始めた。
脈絡もない質問に、疑問符が浮かんだものの、別に答えて支障が出る事柄でもないので、俺は隠さず答えた。
「トマトに豆腐かな。あとは料理になっちゃうけど雑炊が好き」
「お酒は結構嗜まれますか?」
「わりかし飲む方だと思うぞ? 一人暮らしの時はビールばかり飲んでたし、会社の人と飲みに行く事もある」
「お仕事は何時から始まって何時に終わるんですか?」
「九時始め十八時終わりだな」
「趣味は?」
「こう見えて読書。たまにジムに行くぐらい」
「なるほど……」
ふむふむと頷きながら、娘さんは何故か取り出したメモ帳に書き連ね始めた。
遠目で覗くと、そこには俺が答えた内容が書かれてあった。
「娘さん、どうしてこんな事を聞くんだ?」
「これから一緒に暮らしていく訳ですから、色々知っておきたいじゃないですか」
「なるほど……」
確かに、これからは一人ではなく二人で共同生活を送るのだ。
一人で完結する訳じゃなく、互いの事情も考慮しての生活を送らなければならなくなる。
例えば、俺がいつ帰ってくるのかによって鍵を閉めちゃいけないとか、その日のご飯の有無とか。
ある程度把握しておかないと、互いに迷惑をかけてしまう事になる。
「そういえば俺って娘さんの事、あまり知らないな……」
「では早速────私の名前は柚って言います」
「知っているが?」
「いえ、橘さんは知らないはずです! じゃなきゃ、私の事を「娘さん」だなんて言いません!」
ビシっと、立ち上がって俺を指さす。
今まで不満に思っていたのか、頬が若干膨らんでおり不機嫌だと謎の雰囲気を醸し出していた。
「い、いや……それは娘さんって呼び方の方が言いやすかったからで────」
「私、今まで不満でした! ずーっと「娘さん」なんですから!」
どうやら、本当に不満に思っていたようだ。
……別に悪気があった訳じゃない。
本当のところを言えば、「呼びやすいから」なんて理由でもないんだ。
(そこまで親しい間柄じゃなかったもんなぁ……)
年に数回しか会わない関係。
友人でもなければ恋人でもなく、仕事の関係を抜きにすれば知人の枠組み。
それなのに、娘さんを気安く下の名前で呼ぶには抵抗があった。
だけど────
(これから一緒に暮らす訳だし、娘さんが不満に思っているなら直さなきゃな……)
できるだけ娘さんと仲良くしていたい。
こんな俺事情の小さな事で関係を乱してしまうのは、それはそれで嫌だった。
「はぁ……分かったよ。これからは柚って呼ばしてもらう」
「はいっ! それで大丈夫です!」
俺が観念して名前で呼ぶと、娘さん────柚は嬉しそうに笑顔を向けて椅子に座った。
その笑顔は可愛らしく、年相応の笑顔だと思った。
「役割分担とかどうする? 俺は何をした方がいい?」
「そうですね……何もしなくてもいいですよ?」
「それはダメだろ? 全部柚に任せっきりは大人としてのプライドが許さん」
「四つしか変わりませんよ────しかし、洗濯は洗われたくないものもありますし、料理は……橘さんの印象が崩れてしまいまして今はできない印象がありますし……強いて言うなら掃除ですかね?」
「印象が崩れたところを詳しく聞きたい」
いつ何処で俺の頼れる大人のお兄さんの印象が崩れたのか?
そこまでおかしな言動はしていなかったと思うのだが……。
「ふふっ、それは秘密ですよ。それに、正直な事を言ってしまえば家事は私がしたいんです」
「柚が、したい?」
「はい。私、家事が趣味なんです。だから、分担とか頼りないとかではなく私がさせて欲しいんです。確かに、洗われたくないものがあるのは本当ですけど」
「そ、そうなのか……」
そう言われてしまうと中々強く言えない。
個人の意見は尊重すべきだし、趣味と言われれば否定する訳にもいかない。
趣味は人それぞれだし、させない事によって不満も抱いてしまうだろう。
まぁ、その尊重によって俺がダメ人間になりそうな恐れはあるが。
「……せめて買い出しとか掃除は手伝わせてくれ」
「はい。ありがとうございます、橘さん」
折れるところと線引きはする。
流石に良心的にも、ここが引っ張れる場所だろう。
「それにしても、女子高生の趣味が『家事』ねぇ……? 柚は、きっといい奥さんになりそうだ」
本当にしっかりしていて、優しくて、将来この子と結婚する男は幸せ者なんだろうな。
「だ、だと嬉しいですね……」
俺のそんな言葉に、柚は顔を赤くしてかろうじての言葉を返した。
どうして赤くなったのかは分からないが、嫌そうな顔をしている訳ではないので不快な言葉を言った訳じゃないだろう。
「お待たせしました! 生ビールとオレンジジュースです!」
そして、ようやく飲み物が運ばれてきた。
すると、店員はテーブルに置くとそそくさと立ち去っていく。
その姿を、俺は「忙しないな」なんて思いながら見送った。
「じゃあ、乾杯するか」
いなくなった事を確認すると、俺はジョッキを柚に向けて持ち上げる。
「は、はいっ」
柚も、俺に合わせてグラスを持ち上げて俺に向けた。
「これから迷惑かけるかもしれないが、よろしくな」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
俺達は、乾杯という言葉を言わずにグラスとジョッキを合わせた。
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