見送りと帰り

「じゃあ橘くん、娘の事────よろしくお願いね」


 そして来週。

 人が忙しなく動く中、キャリーケースを引いた茨さんが俺に向かってそう言った。

 周りには茨さんと同じようにキャリーケースを引いて歩く人が多く見える。

 それは、今日が休日だからだろう。

 何度もアナウンスが響き渡り、その声によって多くの人が誘導されていく。


 ────現在、羽田空港。

 俺の荷物をいばら荘に運び込み、ある程度の荷解きが終わって俺達は茨さん達を見送る為に空港までやって来た。


「橘くん、娘が何か迷惑をかけたらすぐに連絡してくれ」


「いえ、娘さんはしっかりしていますし、こちらの方が迷惑をおかけしないか心配なぐらいです」


 茨さんの隣には同じくキャリーケースを引いた男性が一人。

 旦那さんの大輔さんだ。


 大輔さんとは本当に数回しか会った事がなく、こうして話すのも少し緊張してしまう。


「柚も、橘くんに迷惑をかけたらダメだぞ? 橘くんは、俺達の無理を聞いてくれた人だからな」


「もう……言われなくても分かってるよ、お父さん」


 隣にいる娘さんが大輔さんの言葉に唇を尖らせる。

 きっと、ここに来るまでにも何度も言い聞かされたのだろう────その表情は、耳にタコができた事を不満に思っているようだった。


 大輔さんは、きっと真面目な人なんだと思う。

 だからこそ、赤の他人である俺に迷惑がかからないように配慮をしてくれているのだ。

 気持ちは分かる……けど、娘さんはうんざりだろうなぁ。


「柚も、元気でね。たまに帰ってくるし、何かあったら遠慮なく電話してくるのよ」


 そう言って、茨さんは娘さんの頭を優しく撫でる。


「……うん、分かった」


 娘さんも、その手を払い除ける事なくされるがまま撫でられていた。


「それじゃあ、私達はそろそろ行くわ」


「どうか、柚の事をよろしくお願いする」


「えぇ、お任せ下さい」


「元気でね。お父さん、お母さん」


 小さく手を振りながら、茨さん達は出発ロビーへと向かっていった。

 手を振る動作もすぐに止め、徐々に人混みの中へと消えていく。


「…………」


 その姿を、娘さんは名残惜しそうに見送った。

 悲しいような寂しいような……そんな悲壮感が隣にいる俺にも伝わってくる。


 一生の別れではない。

 聞けば次のお盆休みには帰ってくるみたいだし、顔を忘れてしまうほど離れる訳じゃない。

 それでも、何処かしんみりとしてしまうのは、茨さん達家族が温かいからだ。


 その温かさを遠く離れた場所に置いてきた身としては、少し羨ましい限りだ。


「じゃあ、俺達も行くか」


「……そうですね、橘さんの荷解きも全て終わった訳ではありませんし」


「別にあれぐらいだったらすぐに終わりそうだけどなぁ」


「そんな事言っちゃうと、明日はゆっくりできませんよ?」


 俺達は、茨さん達に背中を向けるように歩き出した。


 ♦♦♦


「何かメシでも食べて帰るか? ちょうど昼時だし」


「そうですね、私もお腹が空いてきました」


 そんなしんみりとした空気もすぐに消えた。

 帰りの電車揺られる中、娘さんはお腹を押さえて空腹をアピールする。


「吉野家、すき家、松屋……どれがいい?」


「どうしてチョイスが牛丼ばかりなんですか……。まさか、私を太らせる目的でも────」


「すまんすまん。パッと思いついたのが、行き慣れたその店だったってだけだ」


「ふふっ、橘さんの食生活が心配になる発言ですね」


 娘さんは可愛らしく小さく笑う。

 灰色のコートに白いニット、少し丈の長いスカートが娘さんによく似合っている。

 きっと、彼女の容姿のおかげもあるだろうが、大人っぽく見える服装がお淑やかな彼女の雰囲気を一層に醸し出している。

 今の娘さんは、歩けば全ての男性の視線を集めてしまうだろう────それほどまでに魅力的だった。


「まぁ、いいです……これからは、私が橘さんの食生活を治してみせます!」


 こんな両手拳を握って決意を顕にする娘さんの姿も可愛らしく見える。

 こうして隣に座っている俺は、嫉妬の念を一斉に受けるほど幸せ者なんだろう。


(……これで手を出したらアウトとか、我ながら辛い条件を呑んだものだ)


 手を出す気はないが、自分の理性が持つか心配になってくる。

 これも微妙に歳が近いから感じてしまうのだろうか?


「ほどほどに頼むよ」


「ほどほどではいけません……完璧に治してみせます!」


「君の何がそこまで駆り立てるのかが疑問だなぁ……」


 世話好きなのかお節介好きなのか……どちらにしろ、新たな一面を発見したような気分だ。


「けど、それは明日からでいいんじゃないか? 今日は、これからよろしくも兼ねて何処かパーッと食べに行こうぜ」


「ふふっ、じゃあ今日は何処か食べに行きましょうか。もちろん、お会計は私が持ちます」


「馬鹿を言うなよ……この歳になって高校生に奢ってもらうなんて社会人として立つ瀬がなくなっちまう」


「ですが、お願いを聞いてもらいましたし、お礼を────」


「お礼なんて必要ないよ。子供は、黙って大人に奢ってもらって「ありがとう」って言えばいいんだ」


「きゃっ!」


 引き下がろうとしない娘さんの頭を、俺はわしゃわしゃと撫でる。

 初めは驚き少し抵抗したが、すぐに落ち着いてジト目を向けてきた。


「……橘さんって、私の事子供扱いしてませんか?」


「ん? しているに決まっているだろ?」


 だって、子供として見なければ確実にしてしまうからな。


「わ、私は子供じゃありませんっ! 橘さんと四つしか変わりませんよ!」


「どうどう。ここは電車の中だからなー。静かにしようなー」


「へ……ッ!?」


 俺が指摘してしまった所為で、電車という公共の場で自分が騒いでしまい、周囲の視線が集まっている事に気がついたのだろう。

 娘さんは顔を思いっきり真っ赤にさせて静かに俯いてしまった。


「……橘さんって、意外と意地悪さんだったんですね」


「今頃気づいたか」


「はい……今度から気をつけるようにします」


 何を? そう聞きたかったが、娘さんはそっぽを向き車窓から外を眺めてしまった。


「(手、おっきかったなぁ……)」


 それから、俺達はしばらく無言のまま電車に揺られた。

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