あれこれ考えても

 今日に限っては、朝の八時に起床してしまった。

 起こしてくれる人間がいないからという訳でもなく、単純に昨日の酒に負けてしまったからだ。


 とりあえず、職場が近くになった為、特段遅刻する訳でもないので朝食を作って、椅子に座りながらテレビを流していた。


「…………」


 流れるのは芸能人が結婚しましたとか、他県で盗難事件があったとかそんなものばかり。

 アナウンサーの声だけがリビングに響いた。


(あぁ……なんであんな事送ったんだろ……)


 ニュースが全くをもって頭に入ってこない。

 ただボーッと、食パンを頬張って昨日の事を考えていた。


『早く、帰ってきて欲しい』


 今思い出しただけでも、恥ずかしくて穴に入ってしまいたい。

 頼れるお兄さんのイメージをつけようと思っていたのにも関わらず、これではただの寂しがり屋の構ってちゃんではないか。


「はぁ……恥ずかし」


 いい歳こいて、本当に女々しい。

 一人暮らししていた時はそんな事思わなかったのになぁ。

 これも、小さな幸せに浸ってしまったからの弊害なのだろうか?


 おまけに、柚から帰ってきた返信は『私もです』みたいな文章。

 これでは相当なにぶちんさんじゃなければ、ただの想い合っている人間のやり取りだ。


「あながち間違ってないのかもしれないけど……」


 俺は食パンを綺麗に平らげる。

 頬っぺについたジャムをティッシュで拭い、インスタントのコーヒーを口直しみたいに口に含んだ。


 ────あれから、しっかりと考えた。

 夜な夜な寝付けず、自分の気持ちにちゃんと折り合いをつける時間に充てた。


 結論を言えば、何の折り合いもつけられなかった。

 柚の事は少なくとも他の人間よりは確実に特別に想っている。

 それだけははっきりと分かっているし、抱えている問題もやらなくてはいけない事も理解している。


 後は踏み込む度胸と覚悟があるかどうかだ。

 怖いかどうかで言えば、もちろん怖い。結論を出して関係性と背負っている責任が変わる事が、未熟な俺には怖く思えてしまう。


 ……別に、今すぐ結論を出さなくてもいいのかもしれない。

 だけど、結論はいずれは出さなくてはならないだろう。


 俺はこの家を出るのだから。

 その時は柚も大学生────考えも気持ちも変わってしまうかもしれない変わり目の頃だ。


「その時まで、俺の事を好きでいてくれるかどうか……」


 今も本人から直接「好きだ」と言われた訳ではない。

 だから自惚れの範疇から超えないのかもしれないけど、俺の予想は間違っていないだろう。


 だけど、それがずっと続く訳でもない。

 今、この瞬間でしか射止める事ができないのかもしれない。


「考えれば考えるだけ……泥沼だな、こりゃ」


 ニュースをボーッと眺めながら嘆息する。


 本音を言えば、その頃まで待っていたい。

 変われば変わってもいい。それなら、俺もなんのセオリーもなくきっぱりと諦めがつく。

 変わっていなければ、そのまま大学生という立場になった事で責任が軽くなるだろう。


 何より────


「俺、あの時間が好きなんだよなぁ……」


 この関係性が何よりも心地よい。

 柚と一緒に笑って、時折からかって、柚のご飯を食べて、ちょっとした事で怒って、心配して────この瞬間の寂しさを消してくれるような、今の関係性と時間が。


 だけど、それを崩さなくてもいいのか? という不安もある。

 男らしくないような気がする、柚に失礼かもしれない。柚は変えたいのかもしれない。

 そう考えたら、この結論に答えが出せない。


 ────もしかしたら、この問題は俺一人で解決するものではないのかもしれない。


 停滞か、変化か。

 俺の一存では決める事はできない……一生、ズルズルと泥沼に嵌ってしまうだろう。


「潔く諦めよう……」


 立ち上がり、食器を流しに持っていく。

 蛇口から流れる水に音が、ニュースの音に掻き消されてしまう。


 ────諦めて、相談してみよう。

 体裁とか、イメージとか、威厳とか、大人 、未熟云々はきっぱりと自分から離して、柚と向き合ってみよう。


 ……多分、今まで柚から逃げてきたと思うのだから。


 食器を洗った俺はそのままスーツに着替えた。

 時計を見れば、出勤する時間ピッタシで、そのままカバンを持って玄関の扉を開けた。


「……行ってきます」


 冷たいドアノブの感触が、手袋はめていない俺の手に伝わった。

 それが、ウジウジと悩んでいる俺を叱責しているようにも思えた。


 ♦♦♦


 それから、一日が過ぎて────


「ただいま帰りました、新太さん」


「おかえり、柚」


 柚が帰ってきた。

 仕事が休みのこの日、大きなキャリーケースを抱えた柚は、久しぶりに俺の前に顔を出てきた。


「修学旅行、楽しかったか?」


「そうですね……珍しいものばかりで楽しかったですよ」


「八ツ橋……」


「ちゃんと買ってきましたから安心してください」


 あれから、考える事やめた。

 全部、俺の気持ちを相談する為に────


「ちょっと、話をしないか……?」


「ふふっ、いいですよ」


 さぁ、早くこの物語を終わらせよう。


 幸せな時間に、戻る為に。

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