エピローグ

 あれから、数日の月日が経った。

 色々と情けない姿を見せてしまった俺はその後、一日中羞恥で悶えてしまったが、柚に至っては凄く平然としていて……俺よりしっかりしている印象さえ与えた。


 だけど、あれから数日の間の柚は目が合う度に口元が緩んで、慌てて俺から顔をを逸らしてしまうんだ。

 その姿は、どこかかわいらしく思えるのだが……意識しすぎではないか、と思わせてしまう。


 ……まぁ、意識しているからといってその他になにか特段変わったという訳でもない。

 いつものように起床して、柚に「おはよう」を言って、柚の作ってくれた朝食を食べる。

 それから先に出る柚を見送って、俺がその後出社、帰ってくると柚が出迎えてくれて一緒に夜ご飯を食べて、それからゆっくり寝るまで一緒のこたつで勉強したり、仕事したり、雑談したり――――最後には一緒の時間に寝る。


 本当にいつもと変わらない。

 と決めたあの日から、俺達の間に変化はなかった。


 それが嬉しくて……俺は、不安と悩みで悩まされた毎日から解放された。

 今では、心が穏やかになっている。


「ただいまー」


「あ、おかえりなさい新太さんっ!」


 仕事が終わり、玄関の扉を開けると柚の声が返ってきた。

 勢いよくリビングの扉が開かれ、そこから薄黄を基調とした部屋着の上からエプロンを身に纏った少女が現れた。

 艶やかな金髪を揺らし、嬉しそうに笑顔を向けてくれる柚を見ると、何故か疲れが一気に消えるような感覚を覚えさせる。


 俺は握っていたドアノブから手を放し、近くまで寄ってきた柚に体を向ける。

 手袋をしていない俺の手から、冷たく感じた感触が消えた。


「今日の夜飯って何?」


「ふふっ、帰ってきてすぐに夜ご飯の事ですか」


「おいこら、やめろ。そんな「食いしん坊さんは困ったものですね」みたいな生暖かい目を向けるな」


 そうじゃない。確かに楽しみにしていたが、食欲が面に出てきてしまったから尋ねたんじゃないやい。


「ほら、たまたま帰りに珍しい物売ってたから、今日の晩飯に合うかなと思っただけだ」


 俺は片手にぶら下げたビニール袋を柚に手渡す。


「むむっ……鯛のお刺身ですか」


「そうそう、意外と安かったし最近刺身も食べてなかったから、つまむ程度にどうかなーって」


 帰り際、商店街の魚屋で売っていたのが鯛の刺身だった。

 ここ最近は鍋とか肉料理ばかり食卓に並んでいたような気がするから、たまにはという気持ちで買ってしまった。

 別に柚の料理にいちゃもんとか文句を言う訳じゃないぞ? 柚って、節約家なのか刺身とか寿司とか高くてあまり買わないし、ちょうどいいかなって思ったんだ。

 量も、そんなにそんなに多いわけじゃないし。


「今日がカレーとかシチューとかだったら合わなそうだし、いらないなら俺が後で酒のつまみとして食べるからいいぞ?」


「い、いえっ! お刺身は好きですし、今日は肉じゃがですので、和食という面では合わないと思うので大丈夫です! ただ……」


「ただ?」


「今日、お祝い事がありません」


「律儀か」


 鯛は「めで」時に食べる。

 そんな迷信チックなものを、こんな時にも使わなくてもいいんじゃないかな……?


「何か、お祝い事はありませんか……? お仕事が上手くいったとか」


「だから律儀かって。そんなの、急に言われても祝う事なんか思いつくかってーの」


 律儀に守ろうとする柚の頭を乱暴に撫で回す。

 柚は「きゃっ」と少しばかり抵抗するが、やがてされるがまま撫でられ続けてしまった。

 そして、その頬が若干緩んでいるように見えた。


「柚って、頭を撫でられるのが好きだよな」


「……新太さん限定、と言っておきます」


 全く、かわいいやつだよ。

 そんな事を思いながら、ジト目を向ける柚を見て笑みが零れてしまった。


「まぁ、新太さんがいじわるっていうのは今に始まった事ではないですし……今日はこれぐらいにしておきます」


「何を諦めたか気になるところだな」


「そうやって追言しようとしても無駄ですもん。ほら、早くカバンを渡してください、ご飯が冷めちゃいますから」


「へいへい」


 そう言って、頬を膨らませた柚にカバンを渡す。

 それを受け取った柚は刺身とカバンを持ってそのままリビングへと向かっていった。


 その時――――


「新太さん……おかえりなさい、です」


 そんな事を、少し恥ずかしそうに口にした。

 さっき、俺がこの家に入ってきた時に耳にした言葉が、もう一度耳にしてしまう。


「なんだ? さっきも言ったじゃないか」


 思わず、そう返してしまった。

 だけど、その言葉を聞くと胸がふわふわして……足先から頭までが温かくなるような感覚を覚える。


「い、言ってみたくなっただけですっ!」


 すると、柚は顔を真っ赤に染めると、逃げるようにリビングへと向かってしまった。

 どうしてその言葉を言ってみたくなったのかは分らないが、どうにも顔を赤くする柚がかわいく思えてしまう。


(まぁ、これも惚れた弊害なのかもしれないな……)


 いちいちの仕草でかわいいと思ってしまい、少しの言葉で気持ちが変わってしまう。

 きっと、胸が温かく感じるのも、柚のおかげなのだろう。


 ゆっくりと振り返る。

 そこには、厚手のドアが立っており、真ん中には金属製のドアノブがついている。

 俺は、思わずそのドアノブを握った。


「ははっ、冷たくねぇや」


 冷たいと感じていたそのドアノブが、今では冷たいと感じない。

 暖房の所為とか、外気の所為とか、そんな話ではない。


 俺にしか分からない……この変化。

 それは、間違いなく幸せに直結するような変化であっただろう。


「さて、さっさと風呂に入りますかね」


 俺は靴を脱いで玄関を上がった。


 間違いなく、昔の俺とは違う。

 一人暮らしをしていた時の俺とは、感じ方も全く違ってきた。


 だけど、昔とは変わっていても今は変わっていない。

 変わらないでいいと言ってくれたからこそ……この変化を実感して噛み締めてしまうのだろう。


 ……あぁ、分かっている。


 そう思ってしまうのは、この小さな幸せの時間を手に入れたからだ。




 アパートの部屋を借りたら、天使な女子高生が家で迎えてくれるようになった。俺は、この少女を預かる事になった。


 そこから、俺は幸せになれたんだと思う。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


※作者からのコメント


お久しぶりです。

楓原こうたです。


これにて、本作完結になります!

10万字を超え、丁度1冊分の量。


コメディ控えめで物足りなかった人もいるかもしれませんが、次回お楽しみしていただければ幸いです。


拙作を、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アパートの部屋を借りたら、天使な女子高生が家で迎えてくれるようになった。俺は、この少女を預かる事になった。 楓原 こうた【書籍5シリーズ発売中】 @hiiyo1012

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ