私にとっての橘さん
(※柚視点)
「ふぇ……?」
愛美の言葉に、思わず変な声が漏れてしまう。
唐突に、そんな話の流れではなかったにも関わらず、私の耳に入ってきたその言葉に。
「そうそう、柚っちって……あの人の事が好きなんでしょ?」
別に聞こえなかったからもう一度言って欲しいんじゃない。
ただ、その内容が理解できなかっただけで————
「ち、違うよっ!」
「うっそだー! 今の柚っち、本当に恋する乙女の顔をしてたよ~! 何なら、鏡持ってこようか?」
と言いながら、愛美はカバンから小さな手鏡を取り出した。
鏡に映るのは、顔を赤くした私の姿————ち、違うっ! 単にからかわれたから赤くなっているだけ!
別に……橘さんが好きな訳じゃ……。
「でもさ~、柚っち……さっきの柚っちの言葉————好きな人を自慢しているようにしか聞こえなかったよ?」
「ッ!?」
「別に責めている訳じゃないんだし、そんな頑なに否定しなくてもなぁ~って思うよ、私は」
橘さんが買ってきたケーキを頬張り、正に他人事で口にしてくる愛美。
「だから、本当に好きじゃないんだって……」
本当に違うんだ。
私は、意固地になっている訳じゃなくて、ただ単にそんな感情を抱いていないだけ……。
「じゃあ、好きか云々置いておいて————あの人の事、実際はどう思っているの?」
どう……どうって————
「頼りになるお兄さん……かな」
ポツリと、思っている事が自然と口に出てしまった。
どうしてか分からないけど、今までの橘さんの姿と愛美の言葉で、勝手に口が動いた。
それが引き金となってしまったのか、私を見てくる愛美の目から逸らしながら溜め込んでいた感情が徐々に口から零れてしまう。
「橘さんは、本当にいい人なの。私の我儘も聞いてくれて、私の事を心配してくれる————でも、それだけじゃなくて……一緒に過ごしていると楽しい。おかえりって言う時もただいまって言う時も————幸せだなって感じる」
一緒にご飯を食べる時も、行ってきますって見送っている時も、おやすみと言ってくれる時も……その全てが、嬉しく感じてしまう。
お父さんやお母さんに言われる時とは違う————当たり前だったものが、少しずつ込み上げてくれる小さな幸せに変わった。
私の生活は間違いなく橘さんのおかげで変わった……毎日が楽しくて、幸せ。
だけど、これは恋愛感情じゃない。
ごく当たり前な事が幸せに感じるだけ————その相手が橘さんだって事だけなんだ。
「けど、そこに異性としての感情はないの。家族とは少し違うけど……「好きだ」って意識する事はないんだ」
橘さんは嫌いじゃない。
むしろ好きだ、そこだけははっきりと言える。
「ふぅ~ん」
すると、愛美は私の目をジッと見据えながら鼻を鳴らした。
「まぁ、本人がそう言うんだったらそうなのかもね~。私も、柚っちが否定するならこれ以上言うつもりはないし」
「う、うん……ありが————」
「じゃあ、私がお兄さんを狙ってもいい?」
「ッ!?」
いたずらっぽい笑みを、愛美は浮かべた。
「お兄さんってかっこいいし、優しいし、もし相手がいないんだったら私が狙ってもいいよね~! まぁ、相手にしてもらえるかは分からないけど、アタックしてみる価値はあるかもね!」
リビングの入り口の方に視線を動かして、愛美はそんな事を言い出した。
その先はさっき橘さんが出ていった場所で……。
「お兄さん、年下の女の子苦手かな? どんな女の子が好きなんだろ? 柚っち、何か知ってる?」
愛美が、橘さんを……。
……別に、愛美が橘さんが気になっているのは構わない。
それは当人達の問題だし、橘さんが大丈夫であれば恋仲になってもいいはず。
私は橘さんの事が好きじゃない……だから、愛美が本気であれば————私は応援するべきだと思う。
「今、お兄さんのところに遊びに行ってもいいかな~? せめて、あんまり会えないから連絡先だけでも交換したいよね~」
……だけど、どうしてこんなにモヤモヤするの?
胸がズキズキして、愛美がお兄さんの話をする度に、目頭が熱くなっちゃう。
「喉が渇いた……」
そんな時、リビングの入り口からそんな声が聞こえてきた。
最近ずっと聞いている、聞いただけで安心するような声のはずなのに————今は、聞きたくない。
「悪いな、邪魔し————ん?」
すると————
「……おい、柚大丈夫か?」
橘さんが、私のところに近づいてきた。
心配するように、顔に不安を見せながら、私の顔を覗きこんでくる。
橘さんの顔をが近くにある。いつもならドキドキするのに、胸が急に苦しくなってしまう。
どうして、橘さんは私がこんな気持ちの時に現れてきちゃうんだろ……。
いつも……いっつもそうだ────
「あー、お兄さん! 今、ちょっと分からない問題があって柚っち悩んでいるんですよ! だから大丈夫です!」
「そ、そうなのか……?」
「はいっ! だから気にしないでください!」
愛美がそう言うと、橘さんは釈然とはしないもののそのままコップを取り出し、一口水を飲んでからそのままリビングから出ようとする。
「柚、何かあったらちゃんと言うんだぞ……?」
立ち去る最後の最後まで、私の心配をしてくれる。
嬉しい……だけど、今はその言葉が苦しかった。
「……まぁ、分かってはいたんだけどね」
お兄さんがいなくなると、愛美は私に向かって真剣な声音で言った。
「余計なお世話だと思うけどさ、その感情が『恋』じゃないって決めつけない方がいいよ? もしかしたら、手遅れになって後悔する時だってあるんだからさ」
そして、愛美は私の頭を優しく撫でてくる。
何故か、その言葉が妙に心に響いた。
「……私、柚っちには幸せになってもらいたいんだよ。お節介だったと思うけど、小さな幸せだけに満足しても、その先は掴めないからさ」
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