第6話 始まりは冬の夜

 あまくてふわふわしたものが好き。お母さんの蜂蜜パン。お父さんのお土産

で、たまに村や町で買ってきてくれる砂糖細工のお菓子。

 でもそれはたまにのご褒美なの。だから、夢の中ではたくさんたくさん食べたいなって、お願いして寝るの。


 少女の夢は、だいたいそんなものであふれていた。寝る前に強く強く思い浮かべたものが、夢に出てくる。

 それが、今夜は違った。


 頭の上を光る雲が流れて、見渡す限り澄み切った湖みたいな所にいた。

 澄んだ水面に一人立って、真っ白な服を着ている。憧れていた白。真っ白で薄くてサラサラと肌触りの良いワンピース。レースもたっぷり使われていて、リボンまでついてる。


 わぁ! 素敵!


 思わず、くるりとターンする。ふわっとワンピースの裾が翻って、蝶々のようにひらりと舞った。

 綺麗。楽しい。一度、二度、三度と繰り返す。夢中になっていると、ふいに足元が揺れた。


 揺れて波打ち、凍り付いた。少女の足元から氷が走り、あっという間に凍り付いていく。寒さは感じない。ただただ冷え切った世界で、少女は立ち尽くした。

 はぁっと吐く息が白い。白くてキラキラ輝いて見える。


「残念だったな、お前の望むようにはいかぬようだ」


 突然、地の底から凍えるような重く深い声がした。

 声の方を振り向くと、蒼銀の髪に紅い瞳の男が不機嫌そうに佇んで、こちらを見下ろしている。


「あの、あれ? ここ、私の夢……?」


 夢のはずだよ、なのに、なんだか変。こんなへんてこなの、はじめて。この人は誰だろう?


 少女は小首を傾げて、少し離れた処の男を見上げた。

 狼のように鋭く彫りが深い顔だちは、野性的なのにどこか品がある。

ゆったりした脚衣と胸元の開いた胴着を着て、上から膝の辺りまで届く上着を羽織っている。裾の長い上着は、少女の見たこともない高価そうなものだ。腰のベルトには、装飾が施された若干大き目の短剣をさしていた。


「夢、か。お前は何を望む? これは契約だ。一つを与えられたなら、一つを与えねばならぬ。俺を解放した褒美に、一つだけ望みを聞いてやろうではないか」


 不機嫌そうな響きをそのままに、冷たい眼差しで少女を見下ろす。けれど何故か怖くは無かった。彼が少女を傷つける気は無いのだと、少女には感じられたから。

 突然の問いに、今度は反対側へ小首を傾げる少女。うんうん考えてから、ぱぁっと顔を輝かせる。


「何でも聞いてくれるなら、そうね、あなたの幸せを見つけてね」


 ニコニコとして言う少女に、男は不機嫌な表情を崩す。呆けたように暫し少女を見つめて、やや擦れた声をだした。


「なん……なんだと? お前、気は確かか?」


 流石に馬鹿にされていると気付いた少女は、むっと口を尖らせた。


「なんでもいいって言ったのに、うそつき」


「うそつきではない」


「うそ! だってね、私は今幸せなんだもん。大変な事があっても、それを少しずつ出来るようになっていったりね、いろんな事がいっぱいあって楽しいの。たまに貰えるご褒美とかサイコーなの!」


 突然まくし立てるように喋りだした少女を、男は戸惑ったように見ている。


「でね、幸せって、お庭に咲く花みたいなの。

 毎日お水を上げたり、ちゃんと手入れしてないと、枯れちゃったりするの。

 他の雑草が茂ってきて、せっかく咲いてる花が追いやられちゃったりもするの。そうして、たまに遠くの花の種なんかも飛んで来たりするんだ」


 要領を得ない少女の話に、男は組んだ腕の指先をトントンと苛立たし気に動かす。


「知らない花もね、お庭に落ちた種を芽吹かせて咲いたら、前よりもっと素敵なお庭になるの!

 だから、もし、これから出会う人や仲良くなれる人がいたら、その人の幸せも願えるといいなって思うの。

 だって、近くで不幸そうな顔されるより、一緒にニコニコ楽しい方が私も幸せだもん」


 指の動きを止めて、男は憎々し気に舌打ちをした。


「ちっ、なんなんだお前は。これが今代の主だと? ふざけるな。こんな、こんな脳髄まで花の蜜で出来ているようなガキが俺の主だと。否、許容出来ん。故にこその契約だ。契約しろ。お前の望みを一つ叶えれば、それが対価として成立する。曖昧模糊とした訳の分からん事を吐くな。はっきりした望みを言え」


「どうしてそんなにイライラしてるの? 嫌なら私の夢から出てってよ。勝手に夢に出てきて、あなた、ちょっと失礼だわ」


「言われずとも、二度と現れるか。お前なんぞこちらから願い下げだ。許容出来ん、出来んぞ。必ず、対価を願わせてやる」


 男が上着を翻すと、ざぁっと吹雪が起こった。少女は両手で顔を覆って、吹雪が治まるのを待つ。そうして目を閉じて蹲っていると、段々意識がぼーっとしてきて気付けば眠りに落ちていった。





 安息の闇に包まれていたのが、徐々に明るさに霧散していく。すぐ近くで何かの気配がした。


 ぺろ、ぺろ、クゥンキャウン


 小さなベッドの上で、少女は目を覚ました。指先が湿っていてくすぐったい。


「ん、ふぁ、あぁ、おはよう」


 昨日拾った子犬? が、少女の指先をなめていた。子ども用の低いベッドから投げ出された少女の左手をぺろぺろしている。ベッドに寝ころんだまま、手触りの良い毛並みを撫でてやる。少しして、少女は猫のように伸びをした。


「ん、んぅ~っはぁ。変な夢見ちゃった」


 起きたら殆ど忘れてしまったけれど、なんだか失礼な人が出てきた気がする。ふと、目の前の子犬の毛並みと瞳が、さっきの何かと重なりそうになる。


 ワンッ!


「あ、ごめんね。おなかすいたよね、ごはんにしよう」


 この子犬、やっぱり普通の子犬にしか見えない。

 昨日左手を怪我したみたいなのも、走って家に帰る途中でいつのまにか消えていた。血の跡も無い。やっぱり、アレは勘違いだったのかもしれない。

 だって、ありえないもん。

 この柔らかい毛並みの温かい子犬がへんなものだったなんて、きっと見間違えだよ。昨夜だってお母さんにもいっぱい懐いて可愛がってもらってたし、変な感じはしなかったもん。


「さっ、今日は大安息日なんだよ。あ!あなたのお名前も決めなくちゃね」


 手早く着替えると、少女は子犬を連れてリビングへ向かった。

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