第12話 始まりは冬の夜
「あの野郎! ヴァルナちゃんを連れ去りやがったっ!」
「くそっ、もうじき暗くなるぞ」
「ランタンは無ぇのか! 今の時期乾燥してんだ。森ン中じゃあ松明燃やすにも燃え移るといけねぇ」
追いかけていた招かれざる旅人に逃げられ、あまつさえ馴染みの少女を連れ去られてしまった。
そんな焦りから、夜の帳が降り始めた森に、男達のがなる声が響く。興奮してはいたが、家に押し入った時よりは落ち着いている者もいた。
村の男達の大半はローレル達を追いかけたが、肉屋の主人と数人はヴァルナの家に残った。申し訳なさそうにヴァルナの母へ頭を垂れる。
「奥さん、俺が早とちりしちまったみてぇだな。すまねぇ、頭に血が上っちまった。流行り病を持ち込んだ奴を匿ってると思ったんだ。
けんど、その様子じゃあ違ったんだなぁ。気が良いあんたを脅すなんて、ふてぇ野郎だ。もし助けてやったんなら、命の恩人から娘を連れ去るような真似、しねぇやな」
頭に血が上りやすい肉屋の主人、元来は気の良い性格なのだ。よく言えば細かい事は気にしない、裏目にでれば大雑把でカッとなりやすい。
地面に膝をついたまま、夫に支えられるようにして立ち上がったヴァルナの母は、ぎこちない笑顔を浮かべて見せた。
それを肉屋の主人は、先ほどの自分の振舞いが怯えさせてしまったと反省した。けれど、支えている夫は体を震わせる妻に、疑問を抱いた。
もしや、と。
妻は素朴な人だ、純粋な人だ。怪我をして倒れているのを見かけたら、きっと躊躇わずに助けようとする人だ。
玄関の血といい、一瞬見えた見知らぬ旅人の姿といい、自ら治療したのだろう。
村の皆は脅されでもして手当したんだろうと良い様に誤解してくれたが、実際は自ら助けたのではないか。
だから、黙った。妻を守る為に。娘を取り戻す為に。そして、改めて肉屋の主人へ声を上げる。
「すまない。娘を盾に脅されていたらしいんだ。妻を許してやってくれ。どうか、娘を取り戻すのに、手を貸してはくれないか」
「あなたっ」
妻の体についた土を払い落としながら、堂々と偽りを口にする夫に非難の視線を向けるも、振り返る夫の顔を見て口を噤んだ。
嘘は罪だ。罪には罰が下される。けれど夫の口はぐっと引き結ばれており、目は口ほどに訴えていた。
夫の大きな体に庇われるようにして隠された妻の表情は、肉屋の主人には見えなかった。妻の声に振り返り向き合う夫、背を向けられた肉屋の主人にはその表情が見えなかった。
見えずとも、夫婦が体を寄せ合う姿は押し掛けた村人達に罪悪感を抱かせるに十分だった。
先程までの自分達の振舞いを思い出して、怯えも声の震えも当然で、村人達は頭を垂れた。
「奥さん、本当にすまねぇ。あの男がなんて言ったかは知らねぇが、素性の怪しい旅人だ。流行り病を持ち込んだ疫病神だ。あいつに嬢ちゃんを攫われちまって、面目ねぇ」
脅されていたにしても、あの旅人に手を貸したと分かればまた責められるかもしれない、そう恐れたのだろうと納得してうんうん頷いている。
室内に入った時、村の男達が憤怒の表情をしていたのは、ヴァルナを盾に男が逃げようとしていたからだ。
あの時、ヴァルナは異常な様子に驚き怯えていた。
そして、ローレルに抱き上げられている状況を、ローレルが自分を守ろうとしていると思ってしまった。
外のおかしな物音、母は地面に倒されて必死に叫んでいる。ヴァルナを傷つけられまいと叫んだ相手は、村の男だと思ってしまった。母のすぐ目の前に立っている、肉屋の主人だと思ったのだ。
実際には、ローレルが追われて逃げ込んだと知り、娘を抱き上げて口元を歪める男を見たから叫んだ。ローレルへ向けて、娘を傷つけないでと。
けれど、ヴァルナには見えなかった。玄関から飛び込んできた衝撃的な状況に、理解が追い付かずただただ抱き上げられたまま、ローレルに連れていかれた。
ローレルとヴァルナを追った者達だが、何故か逃げ込まれた部屋のドアが開かず、引き返して玄関から追って出た。それも、暫くの後に戻ってきた。
まんまと逃げられてしまい、皆一様に表情は暗い。少しだけ落ち着きを取り戻したヴァルナの母は、まだ震えの残る手で、皆へ熱いお茶を淹れる。
「あの、みなさん、どうぞ。良ければ、お話を聞かせて頂けませんか?」
少しだけブランディを垂らした紅いお茶を受け取って、鋳物屋の男が口を開いた。
「ありがてぇ。最近、教会からお告げが出たのは知ってるだろう? そんで、まだ探している子どもは見つかってねぇんだと。そのせいで、流行り病が出ちまったって噂だ。少し前から、どっから湧いて出たんだかわかんねぇ恐ろしい病が流行ってんだよ。まだうちの町にゃあ来てなかったってぇのに。あいつが来た日から、今日で三日目。噂通りの症状が出てるんだよ」
「そんな……どんな病なんです?」
その一言で、村の男達の空気が変わった。
厳しい生活に耐えられる、頑健な男達が恐れるように視線を落とす。ズズっと茶を啜る音がして、肉屋の主人が口を開いた。
「こいつはな、八日目の朝に死ぬ。
一日目は、高熱。
二日目に、全身に発疹が出る。
三日目で、皮膚や爪がボロボロ剥がれる。
四日目には、体から膿が滲み出る。
五日目ともなると、髪が抜け落ちる。
六日目にゃあ、もう目が見えなくなる。
七日目が来たら、意識が混濁する。
八日目、死ぬ」
固い表情のまま、淡々と話す。
「粉引き屋んところの娘が、今日で三日目だ。熱と発疹くれぇなら、まだ、普通にある病かもしれねぇ。けど、あれはダメだ。皮膚がボロボロ剥げてんだ。肉が見えてきちまってる。だからかねぇ、四日目にゃあ、そこから膿が滲み出てくるんだと」
その様子が瞼に浮かぶのか、拳をぎゅっと握りしめる。
「うちの倅がなぁ、いっちょ前に生意気な口ばっかしききやがる、まだやっと五つになったあの坊主がなぁ。今朝、高ぇ熱出したんだ」
息を呑む音が喉で鳴った。それをどこか遠くの音のように聞きながら、ヴァルナの母は床に頽れた。
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