第33話 始まりは冬の夜

 不幸はいつだって、気付けばすぐそこにいる。

 懸命に避けよう避けようと目を凝らしても、気付けば影のように後ろへ忍び寄っているのだ。


 その日も、ヴァルナはいつも通り中庭で一人練習をしていた。


 朝ごはんを食べて、トルシィと少しお話をして、読書や身の回りの事を済ませて、昼ご飯を食べる。その後は、日向ぼっこのフィルを連れて中庭で一人力を使いこなす為の練習をする。


 ここ最近の、いつもの事。

 いつもの、とは、決して約束されたものではない。当たり前の日常が、当たり前の毎日が、ある日一瞬にして覆される。

 それは、ヴァルナが一度経験したものだ。唐突に両親と離されて、気付けば自分に眠る力を使いこなそうとする日々。そんなもの、今までの毎日平穏にそこそこに暮らせていた中で、予想等出来なかった。

 だから、また、この日も別れは唐突に訪れた。






「ヴァルナちゃん! ああ、ヴァルナちゃん。良かった、やっぱりここに居たね」


 ファラおばさんが血相を変えて中庭へ飛び込んできた。

 驚きのあまり、いつもの石に座ったままおばさんを見上げるヴァルナに、肩で息をしながらおばさんは続けた。


「ねぇ、後生だから教えておくれ。ヴァルナちゃん、あんた、魔力持ちなんじゃないかい? いくら親と死に別れたからって、普通は孤児院へ行くもんだ。それが、この神殿で神官様方に面倒見て貰ってるだなんて、どこか特別な子だとは思ってたんだよ」


 ヴァルナは、ドキリとして目を泳がせてしまった。

 トルシィから、この力は内緒の勉強だと言われている。秘密にすると約束もしていた。だけど、おばさんのあまりの形相に、言い訳の言葉が出てこない。

 黙ったままのヴァルナに、おばさんは声を潜めてなお続ける。


「ヴァルナちゃんから貰ったハーブがね、まるで魔法薬みたいに良く効いたんだ。勿論、その事は誰にも秘密にしてあるよ。手袋をして誤魔化したりね。だけど、あのハーブは特別だった、きっと、魔法の力でも込めてくれたんだろう? そんで、なんだか分からないが治してくれたんだろう?」


 声は潜められたが、鬼気迫る様子は反比例。ヴァルナの両肩を掴んで、ぐっと顔を近づけた。


「うちの、うちの子が、流行り病にかかったんだよお。お願いだ。後生だから、助けてやっておくれ。あの子が助かるんだったら、わたしゃなんだってする。頼むよ。どうか、どうか、助けておくれよ。死んじまう、死んじまうんだ。このままじゃ、あの子が死んじまうんだよお」


 肩を震わせて、嗚咽と共に吐き出された言葉がヴァルナに刺さった。

 トルシィから聞くお話の中で、この力は怪我や病気を治せる力だと聞いた。ハーブに力を降り注いでしまった事を話したら、それは植物だったからよかったと言われたのだ。

 決して、直接人に使ってはいけないと言われた。そもそも、この力の事は隠しなさいとも。

 あれ以来、うっかりでも力が注がれてしまわないよう、よく気を付けている。ヴァルナやトルシィには光って見えるこの力、人間の目には見えないものだ。ヴァルナが気を付けていれば、知られはしない筈のものだ。


 おばさんだって、ヴァルナが聖女の力を持つと思って来た訳では無いだろう。せいぜい、魔力持ちで癒しの力を持つのだろうと。

 魔力を持たない人からは、魔法とはなんとなく不思議な力で良く分からないものだと、一般的に思われている。


 ヴァルナの両肩に手をかけて、頭を垂れ泣きじゃくるおばさんに、ヴァルナはどうしたらいいか分からなかった。


「お、おばさん? あの、流行り病って、何か悪い病気が流行っているのね?」


 なんとか絞り出すように聞くと、おばさんはウンウンと何度も頷く。


「その、えっと、私は魔力持ちじゃないの。ごめんなさい」


 歯切れ悪く、なんとか口にすると、おばさんは勢いよく顔を上げた。


「ああ、分かってるよ。絶対絶対秘密にする。誰にも話さない。あんたは普通の子だ。だから、あのハーブを、同じハーブを、分けておくれ。お願いだよ」


 必死に頼み込むおばさんに、ヴァルナの頭はぐるぐるした。


 どうしよう。どうしよう!

 あのハーブ? 力を注いだハーブで、病気が治るかな? そんな効果があるかは分からない。それに、約束したんだ。秘密だって。

 でも、このまま放っておいたら、おばさんの子は死んじゃうかもしれないの? 私なら、助けられるかも知れないの?


 ヴァルナは、目の前で蹲る様に縮こまり、お願いだ後生だと繰り返すおばさんを見た。


 約束は大事。守らなきゃ。でも、命がかかってるのなら、どっちが大事?


 頭の中で、ぐるぐるする。ヴァルナには分からない。決められない。


 その時、足元で困ったようにヴァルナを見上げていたフィルが、おばさんへ吠えかかった。

 ワンワンと吠えたてるフィルは、普段の子犬にしか見えないフィルで、ヴァルナを守ろうと間に入ってくる。

 おばさんがヴァルナの肩を掴んでいた手を離して、ヴァルナの体が揺らいだ。その時、ポケットに入れたままだった小袋の一つが落ちた。


「あっ」


 慌てて拾おうとするヴァルナより、蹲る様にしゃがんでいたおばさんの方が地面に近かった。僅かに先んじたおばさんの手が、ハーブの小袋をさらっていく。


「おばさん!」


「ごめんよ。ごめんよ。絶対誰にも言わないから。堪忍しとくれ」


 そう足早に立ち去るおばさんの後ろ姿に、ヴァルナは青褪めた。


「たいへん……トルシィさんに、話さなきゃ。おいで、フィル!」


 慌ててフィルを連れて、トルシィを探しに駆けだした。

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