第34話 始まりは冬の夜

「おや? どうしたんだい、そんなに慌てて」


 何人かに居場所を聞いて、フォルステライトの部屋で向かい合ってお茶を楽しむトルシィを見つけた。

 ノックもそこそこに部屋に駆け込んでしまい、ヴァルナは慌てて頭を下げる。


「すみません。あの、急いでお話ししたい事があるんです」


 頬を真っ赤に息も切らした様子に、トルシィは、ふむと首を傾げた。


「ああ、フォルテなら構わないよ。君の事も、彼と僕だけは全て知っている。僕たちは古い友達なんだ」


 どう見ても年長者のフォルステライトと年若いトルシィが古い友人とは、おかしな話だが、ヴァルナはそれを気に掛ける余裕がなかった。


 戸を閉めて、二人の側へ駆け寄る。トルシィが長椅子の隣へ座らせてくれた。


「あの、私の事、御存じなんですね? えっと、お話ししてもいいんですね?」


 念の為、隣のトルシィを見上げて確認するヴァルナに、トルシィは頷いた。


「実は、その、前に力を注いだハーブを渡してしまったおばさんに、あの、同じハーブを渡してしまって……」


 そこまで話して、向かいのフォルステライトの顔がやや顰められて口籠る。


「それは、ふむ。力の事は秘密だと、決して他人に使わない渡さない約束だったね。何故、約束を破ったのかな?」


 怒りは見せず、いつもと変わらぬ表情に戻って聞くトルシィに、おずおずと口を開いた。


「えっと、おばさんの子が病気で、あのハーブを使えば治るんじゃないかって。それで、断ろうとしたんだけど、ポケットに入れたまま忘れてたのを落としちゃって……」


 言葉が進むにつれて、眦を釣り上げるフォルステライトに、ヴァルナは震える手をギュッと膝の上で握った。


「ごめんなさい! 約束を破ってしまって。あの、おばさんは誰にも言わないって言ってくれました。落としちゃった私が悪いんです。本当に、ごめんなさい!」


 頭を下げるヴァルナに、沈黙が訪れた。どれくらいか、とても長いように感じられた沈黙は、トルシィによって破られた。


「そうか。ふむ。ヴァルナ、その人はおそらく君に全く害意をもっていなかったんだろうね。純粋に子を助けたい一心だったのだろう。成る程。そうか」


 考えながら話すトルシィに、ヴァルナは恐る恐る顔を上げた。


「ヴァルナ、君には私の守りをかけていたのだよ。それは、君に害意を持って近寄る全ての者を打ち払う守りだ。だから、安心してしまっていたんだが……そうか、人間は時として純粋な善意でもって、結果他人を傷付ける事もあるのか」


「えっと、私、約束は破ってしまったけれど、おばさんに傷つけられたりはしていません」


「いや、傷付けたのだよ。君は断ろうとした。けれど彼女は奪ってしまった。同意なく力を持ち去ったのだ。違うかね?」


「それは、その」


「ふむ。少し早いが、ここまでかな」


 良い澱むヴァルナから視線を外し、トルシィはフォルステライトへ確認するように問いかける。


「まだまだ未熟だが、最低限の目覚めは済んだ。後は、体で慣れるしかない。どうだい? フォルテ。君の雛鳥も巣立ちには良い頃合いだろう」


 まるで子どもに初めてのお使いをさせようとでも言わんばかりの軽い口調に、フォルステライトの眉間に皺が増える。


「彼女の件は分かった。これ以上ここに置いておくのは危険だと言う事だな。その力を注いだハーブとやら、例の流行り病に効くのか?」


 疑わし気な眼差しで問うフォルステライトに、トルシィは満面の笑みで頷いた。


「ああ、僕も学習したのだよ。直接人間へ力を注いでしまっては、その反動で相手の痛みを受け入れてしまう。ならば、何か媒介となる物を使えば良いのだ。例えば、薬草、ハーブだ。

 あれは便利なものだな。元来、人間へ良く作用する性質を持つ。この発見は画期的なものだ。もう少ししたら、私が教えようと思っていたものを、ヴァルナ自身で見つけてきた時は、実は大変驚いていたのだよ」


 得意気に話して、ふと、笑みを消した。


「もっと、もっと早くに私が気付けていればよかったのだがね。あの子の頃は、直接人へ注ぐしか方法が無かった。私も人について無知だったものでね。いや、無関心ゆえの知識不足だったな。

 人に堕ちたあの子が人を救おうとするのを、ただ見ているしか出来なかった。それで、あの子が酷く傷付こうとも」


 普段の飄々とした表情を消して、後悔を語るトルシィにフォルステライトはため息を吐いた。


「お前でも後悔などというものがあるのだな。昔語りはこの際、よい。

 彼女については分かった。が、ローレルを行かせる訳にはいかん」


「ほう? 何故かね? 巣立ちの時を過ぎてしまえば、独り立ち出来ずに飛び方を知る事が出来ないだろう。巣立ちに失敗した雛鳥はどうなるか、分かるだろう?」


「何が巣立ちだ、もう立派に巣立っている。あれを行かせないのは別の理由だ」


「ああ、フォルテ。君の心配は良く分かる。だが、それは彼に必要だ」


 訳知り顔で頷くトルシィに、フォルステライトは珍しく怒りを顕わにした。


「不要だ。行くならお前とヴァルナの二人で行け。頼んだぞ」


「そうかいそうかい。ああ、友達甲斐の無い事だ。

 さ、ヴァルナ、旅立ちの準備をしよう。その前に、ここのティートゥーリの木へ祝福を与えて行こう。君のその力を、ここの木に注ぐのだよ」


 大人二人の会話に、突然加えられてヴァルナは目を瞬いた。


「えっ、あの、内緒にしないといけないんですよね」


「ああ、そうだ。祝福を与えたのが君だという事は、内緒だよ。けれど、君の力は目覚め、今人々に必要とされている。

 ふふ。そのご婦人、内緒にするとは言っても、治る筈の無い病が治ったとあらば、周囲から問い詰められるのは自明の理。さ、急ぐよ、ヴァルナ」


 さあさあとトルシィに急き立てられるようにして、ヴァルナは部屋を後にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る