第38話 始まりは冬の夜

 なんとも微妙な距離を保って、ヴァルナとローレルは廊下を歩いていた。


 トルシィから鞄を渡され部屋を追い出されて、一先ず旅装に着替えようとローレルの部屋へ向かう二人。これから二人きりで暫く旅に出るのだと、なんともいえない沈黙に包まれていた。

 実際はフィルも居るのだから二人っきりでは無いが、今は子犬状態のフィル。大人しくヴァルナの後をとてとて付いてくる様に、二人の中で二人きりの旅だと思わせていた。


「ごめんね、すぐに用意するから、ちょっと待ってて」


 部屋に入るなり、椅子をすすめられて大人しく座って待つヴァルナ。

 ローレルはトルシィに渡された鞄を置いて、前にヴァルナの居た田舎町からこのテレースへ移動してくる時に使った旅道具を、クローゼットから出し確認しては背負い袋へ詰め込むんでいく。

 そんなローレルをちらちら見ながら、ヴァルナは一人考えていた。


 ど、どうしよう。トルシィさんったら、私がどうしたいか確認するってお話しだったのに、いつの間にかローレルさんと二人で旅に出る事になっちゃった。

 でも、私が狙われているから護衛するって……


 手持無沙汰で、スカートの裾を伸ばしたり、膝の上で手が遊んでしまう。


 私を安全な所へ連れて行ってくれるって、またローレルさんに面倒なお世話をかけてしまうのね。

 お仕事だから、守ってくれる。でも、嬉しい。お仕事だとしても、トルシィさんはチャンスだとか掴むのは自分だとか、言っていたもの。ローレルさんが、自分でこのお仕事を引き受けようと思ってくれたんだよね?


 黙々と用意をするローレルの横顔を、ちらりちらりと盗み見る。


 私がどうしたいか。少しだけ、分かった気がする。

 私は、ちゃんと自分で自分の世話が出来るようになりたい。守ってもらってばかりじゃなくて、不用意に誰かを傷付けないように色んな事を学んで、早く、大人になりたい。それで、それは。

 

 スカートの上で、ギュッと拳を握った。


 それは、早く大人になって、今度は私がローレルさんの役に立ちたいから。

 トルシィさんは、チャンスは今で掴むか自分で決めろと、ローレルさんへ言っていたわ。

 それって、もしかしたら私にも言っていたのかな?

 私、ローレルさんとまだ一緒にいたい。

 旅に出るって、もう会えないかもしれないって、嫌だと思った。ローレルさんが一緒に行ってくれるって、嬉しいと思った。

 お仕事だからお世話してくれる。そうだとしても、その間に私が出来る事を増やしていけば、いつか、ローレルさんのお役に立つチャンスだってあるかもしれない。


 そう、自分で自分に喝を入れるヴァルナを、手慣れた様子で荷物を纏め終えたローレルは首を傾げて見る。

 どうかしたのかと伺う視線に、ヴァルナは慌てて椅子から立ち上がった。若干不思議そうな表情をしながらも、ローレルはヴァルナを連れて部屋を出た。


「やあやあ、待ち草臥れてしまったよ」


 部屋を出てすぐに、廊下で窓にもたれるようにしてトルシィが待ち構えていた。


「トルシィ様、まだ何か?」


 あれだけ言って追い出したのに、何か言い忘れでもしたのかと、胡乱気な眼差し向けるローレル。トルシィは苦笑いを浮かべて、ローレルを手招きした。若干嫌そうな表情が零れたまま、ローレルはトルシィに近寄る。

 毛嫌いされていると理解した上で、トルシィはローレルの腕をぐっと引いて上体を屈ませると、その耳元に囁いた。


「ああ、君に一つ贈り物を授けよう。君はこの旅で、望むものを手に入れるだろう。それは希望であり、絶望でもある。君が正しく選べる事を、祈っているよ」


 言い終わり、ぱっと手を離すと同時に、ローレルはずざっと音を立てんばかりに勢いよく下がった。

 そんな二人を交互に見比べて小首を傾げるヴァルナへ、トルシィはにこにこ向き直る。


「私とした事が、これを忘れていたよ。さ、受け取り給え。ふふふ、嫌だと言っても君に拒否権はないがね。さあ、今の君に必要な物だ」


 笑顔のまま、有無を言わさずヴァルナの足元に居たフィルを捕まえた。

 両脇から手を差し入れられて持ち上げられたフィルは、ジタバタ暴れて逃れようとするがガッチリ掴まれて逃げられない。

 トルシィの瞳が、一瞬金色に輝いて、輝く何かがフィルへと注ぎこまれていく。


 フィルの尻尾がピンと張って、まるで雷にでも打たれたかのように毛が逆立った。それも、瞬きする程の間。暫くして輝きが収まってくると、なんでもないようにローレルはフィルを降ろした。

 ふらつきながらも床に降ろされて、入れ替わったフィルはトルシィを睨め上げた。が、どこ吹く風で飄々とご機嫌に受け流す。


「おい、いきなり何する。お前が俺に力貸すなんざ、何考えてんだ」


 子犬状態ではなく、柄の悪いフィルだ。警戒するように、トルシィへ姿勢を低くする。獲物にとびかかる前の体勢だ。


「ふふふ、つれないね。何も謀など無いというのに。そうさな、君にしっかりしてもらわないと、万が一の事があっても困るからね。ああ、君にたっくさぁん力を注いでしまって疲れたな。少しの間、失礼するよ。ま、頑張り給え」


 軽い口調でウィンク一つ。ひらひらと手を振ってその場を去るトルシィに、フィルは不機嫌な唸りを上げて、尻尾を一つ大きく振った。


「くそが、相変わらずいけ好かない野郎だ」


「わぁ、フィル、口が悪いわ」


 背を向けていたヴァルナに抱き上げられて、不機嫌なままそっぽを向く。


「はっ、あいつとは昔から気が合わん」


「昔からって、幼馴染なの? もしかして、フィルも人の姿になれるのかな?」


 ヴァルナの問いに答えず、フィルはふさふさの尻尾でヴァルナの鼻先を軽く打つ。打つといっても、ふっさふさである。ヴァルナにとってはご褒美だ。


「ん? お前ら、なんで旅装なんぞしてる。気に食わんが、あいつの側にいる方がお前は安全だぞ」


 チラリと微かに視線を投げて寄越すフィルに、ローレルが口を開く。


「情報が漏れてしまってね。少し前からぽろぽろ偵察みたいなのが来てはいたんだけど、力にも目覚めて本格的に狙われそうだから、移動する事になったんだ」


 その言葉に、フィルは首だけ回して馬鹿にした声を上げた。


「はぁ? 全く、役に立たない人間どもめ……くそっ、あいつからというのが気に食わんが、暫くは出ていられる程度には力がある。俺が起きている間に、次の安全な場所を探せよ」


「フィルったら、トルシィさんが力を分けてくれたのね? おなかぺこぺこで力がでないみたいなものって言ってたじゃない。

 ぺこぺこだからいつも不機嫌なのかと思ったら、満たされててもやっぱりどこか不機嫌なのね。それとも、まだ全然足りないのかな。どうしたら、フィルが満たされるのかな」


 なんの邪気も無く真顔で言い放つヴァルナに、フィルはぷいっと再びそっぽ向いてしまった。

 尻尾でぱしぱしとヴァルナの体をはたく。それを、笑いを堪えたローレルが先導して、静かに二人と一匹は神殿を後にした。

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