第39話 始まりは冬の夜

 神殿の裏口からそっと旅立つ二人と一匹を見送ったトルシィは、フォルステライトの執務室で優雅に紅茶を楽しんでいた。


「ご機嫌だな、そう余裕を持っていて良いのか? ヴァルナと旅立つ用意はどうした」


 書類に目を通しながら、妙にご機嫌なトルシィにフォルステライトは眉を顰める。


「ああ、ヴァルナなら順調だから心配は無いよ」


 性格に問題はあっても実力は信用している旧友の言葉に、フォルステライトは訝しがりながらも納得した。

 掴みどころの無い男だが、ヴァルナの事は大事に思っているようだと感じていたからだ。

 それは、ただ神殿の仕事として頼んだからでもなく、旧友から任されたからでもなく、何かトルシィ個人的な理由からのようだった。


 けれど、深くは追及しない。そもそも、トルシィに疑問を投げてもまともに答えてもらった事など、数える程。いや、数える程もあったか分からない。


 ふいに、過去を思い返してフォルステライトは嘆息した。


 初めて出会ったのは、幼い頃。

 侯爵家の三男として、厳しく教育されていた日々。どれだけ勤勉に励もうとも、決して自分が家を継ぐ事はなく、あくまで念の為の代用品でしかない自分。

 認められたくて、認められなくて、足掻いていた頃。


 そんな時、トルシィは気紛れな野良猫のように、ふいに現れた。


 僅かな自由時間にも、自己鍛錬をしていた幼い自分。広い侯爵家の中で、人気の無い納屋裏に木剣を持っていき、剣術のおさらいをしていた。

 いつものように一人で型の練習をしていると、絵本に出てくる弓月猫のような笑い声が、木の上から降ってきたのだ。


 警備の行き届いた侯爵邸で、見知らぬ侵入者に幼い自分は警戒の声をあげたものだ。けれど彼は今と変わらず飄々として、のらりくらりと追及を躱す。

 それからもフォルステライトが一人の時を見計らうようにして、トルシィは目の前に現れた。


 常に代用品としてしか扱われず、愛情というものを知らずに育ったフォルステライトに、初めて友情という人らしい情が芽生えたのは、いつからだったか。


 それは、互いに林檎のパイが好きだと知ってからか、気紛れに剣の相手をしてくれる好敵手となってからか、内緒で厨房からプディングを失敬するという冒険を共にしてからか。

 気付けばトルシィはフォルステライトにとって唯一無二の友人となっていた。


 そんなトルシィに疑問を抱いたのは、出会ってから十年近く過ぎた頃。

 出会った頃は幼い子どもだったフォルステライトも、全寮制の学院へ通うようになり、久しぶりに侯爵邸へ戻った時。

 最後にトルシィと会ってから数年が過ぎていたというのに、彼は全く変わらずにいた。

 思い返せば、出会った頃から変わらない。大人なのだから子どものように大きく変化しないのかと思っていた。

 小さな疑念は、十年二十年と時が過ぎて確信に変わっていった。


 ある時、なんとはなしに聞いた事がある。君は何者なのか、と。その問いに、トルシィは初めて少し困った顔をしてみせた。


 騙すつもりは無かったが、なんとなく話す機会を失っていたと。トルシィは人ではなく、かといって獣人といった類でも無いという。

 では魔物なのかと聞くと、目をきょとんとして、次の瞬間盛大に笑われたものだ。

 仏頂面で、もういいと話を終わらせるフォルステライトに、トルシィは笑いながらも悪かったと謝罪を繰り返した。


 それでも、トルシィの正体が一体何であったとしても、フォルステライトにとっては幼馴染であり、人生の底に居た時に救ってくれた唯一の存在だった。


 始まりの出会いから、もう四十年近く。

 人生の折り返しを過ぎた自分は着実に老いていったが、トルシィは出会った頃のまま、若々しい若者の姿のままだ。


 今までを思い返して、気付けば書類を繰る手が止まっていた。見計らったかのように、淹れたての紅茶を机に置かれる。見上げると、変わらぬ彼がいた。


「随分と深く物思いにふけっていたようだね。そう心配しなくとも、私がいるのだから大船に乗ったつもりでいたまえよ。あの子にはね、私も縁があるのだよ」


「お前が張り切る時は、大抵碌なことが無い。大船だなどと、今度は何を企んでいるんだか」


「ふふふ、私はいつだって君の幸せを願っているというのに、つれないね」


 おどけて肩を竦めてみせるトルシィに、なんとも嫌な予感がしてフォルステライトは問い詰めようとした。その時、ノックと共に慌てた様子で下級神官の一人が転がり込んできた。


「失礼します! フォルステライト様、大変です! 突然、王都から王宮騎士様を名乗る方がいらっしゃいまして、書状をお持ちだとか、わっ!」


 言葉の途中で、彼はつんのめるようにして脇へと退かされた。

 部屋の隅に倒れこむ彼の代わりに現れたのは、騎士の鎧を身に纏った大柄な男。くすんだ金髪は短く刈られ、鍛えられた肉体に騎士団の鎧が良く似合っている。

 小柄なトルシィはおろか、体格が良いフォルステライトでさえ、並べば一回り小さく見えそうだ。


 案内もされず勝手に部屋へ押し入った彼は、フォルステライトに不遜な視線を投げる。


「ほお、能無しの代替品が、一応は高位についているのか。なんとまぁ、神殿とは陰気なもんよ」


 荒々しく絨毯を踏み荒らして、勝手に客用の椅子へと腰かける。けして華奢ではない椅子が、重量に悲鳴を上げた。


「ギルドレッド兄上、お久し振りです。神殿へ来られるのであれば、先に報せを頂けると有難い。出迎える用意も出来たでしょう」


「ふん、何故俺がお前にわざわざお伺いを立てねばならんのだ。馬鹿馬鹿しい。

 いいか、隠すと為にならんぞ。ここに聖女の甦りだと噂の娘がいるらしいな。噂を小耳に挟んだ。我らが仕える第二王子殿下がご所望だ。連れてこい」


 侯爵家の次男坊で、近衛騎士団に属するギルドレッド。

 フォルステライトにとって、頭の痛い相手だった。高慢で強欲。侯爵家の教えたる、人の上に立つ者という事の意味をはき違えている兄だ。


「兄上、申し訳ありませんが、そのような者は現在ここにおりません」


「そうか、ならば勝手に探すだけだ。我が第三騎士団の者を連れてきているからな」


 そういって、第二王子殿下のサインが入った書簡を投げて寄越す。確かに、聖女の生まれ変わりと思われる娘を連れてくるようにと書かれていた。

 フォルステライトは、小さくため息をつく。その傍らで、トルシィはいつもの笑顔で紅茶を用意していた。


「さあさ、遠路遥々御足労でしたね。宜しければ紅茶など如何です?」


 トルシィの淹れた紅茶は、香り高く色も良い。王宮で良く躾けられたメイドが出す物となんら遜色なく、ギルドレッドは鼻で笑いながらも、口にした。


「ほう、悪くない。お前、俺に仕えないか? こんな所で雑用をしているよりは余程良い生活が出来るぞ」


 フォルステライトと似た顔立ちで、普通にして居れば品ある風体だろうに、ギルドレッドの表情はなんとも厭らしい。高慢さが滲みでていた。

 トルシィは笑顔のまま静かにフォルステライトの側へ歩みより、控えた。


「なんだ、忠誠心とでもいうのか? ご主人様に尻尾振る犬のようだな」


 何が面白いのか、一人にやにやするギルドレッドに、フォルステライトは諦めの表情で口を開く。


「兄上、彼は友人です。失礼な物言いはお止め下さい。

 娘を探すというのなら、私の部下も手を御貸しします。手間は省けた方が良いでしょう。無論、そのような者はここにおりませんがね」


 そういって、トルシィをちらりと見やる。にこにこ控えるトルシィは、いつもと変わらぬ自信たっぷりで少し悪戯っ気のある表情で頷いた。


「さあさ、ギルドレッド様とやら、私がご案内致しましょう」


 横柄に椅子で寛いでいたギルドレッドは、意外にも音を立てずにカップを置いて立ち上がる。仮にも侯爵家次男。どれだけ嫌味が鼻につこうが、所作は一通り仕込まれている。


「無駄足を踏ませるなよ? せいぜい、俺の役に立て」


 横柄に言い放ち、フォルステライトを一瞥してトルシィと部屋を出て行った。

 彼らが行った後、部屋の隅でこけたまま身動き出来ずにいた下級神官を助け起こす。侯爵家の人間で、しかもあの風体だ。余程恐ろしかったのだろう。

 震える彼を慰めて、急ぎ、ヴァルナの事は内密にする伝令を頼んだ。まだ震える足で退出する彼を見送り、あの厄介な兄の相手をどうするか思考する。


 トルシィなら、上手く時間を稼いでくれるだろう。

 頷いてみせたのだ、おそらくヴァルナは今ここにいない筈。丁度、出立の準備をしていたのだ、街で何か用立てしているか、もしくは……


 そこまで考えて、フォルステライトは、目を見開いた。


 先程見たトルシィの笑顔を思い返す。


 ……やられた。

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