第40話 始まりは冬の夜

 神殿を出て少し離れた場所にある厩舎へ行く途中、ローレルは神殿に向かう騎馬の集団に気付いた。

 仰々しい鎧には、国の紋章が見て取れる。

 猛々しい立派な軍馬が、重量のありそうな騎士達を乗せて、橙から紫に移り変わる空の下、列を成していく。


 あれは、王宮騎士団の騎馬か?

 一際派手な先頭が隊長格か、六騎も引き連れてこんな分所に何の用だ。


 眉を顰めて、厩舎へ急ぐ。


 仮にも王宮騎士団、道理の通らぬ事では無いだろうけれど。なんとも嫌な胸騒ぎがする。

 もう夕暮れ時を過ぎて、夜が近付いているというのに。宿へ行くでも無く急ぎ神殿へと向かう用事は何だ?

 王都の貴族連中からの偵察じみた密偵も、数人捕らえて締め上げていた。聖女の生まれ変わりの噂は、尾ひれがついて王都へ渡っている。まるで万能の御業、御伽話の聖女様が復活しただとか。

 馬鹿馬鹿しい。そんな都合の良いだけのもん、ある訳ないだろ。


 厩舎に着き、乗り慣れた一頭に鞍を着ける。続いて荷物を括り付けると、ヴァルナを乗せ、自分も跨った。


 目立たぬよう、ゆっくり街を進めながら、外套の中に隠すようヴァルナをすっぽり包み込んだ。

 不思議そうな顔でこちらを見上げてくるヴァルナに、寒いからねと適当な言い訳をする。

 少しだけ小首を傾げて、はいと大人しく頷くヴァルナを、さり気なく片手でしっかり抱きしめた。急に早駆けしても、振り落とされないようにと。


 ゆっくり進める街中は、いつもと変わらない。けれど、どうにも嫌な感じがする。こういう時は用心するに越した事はない。


 後少しで街を出るという所で、入り口の端に二騎並んでいるのが目に入った。


 ちっ、さっきの騎士団連中か。入り口に二名残しとくだなんて、なんとも用心深い事だ。なんなんだ。ここで退き返したら怪しまれる。


 外套の前をきっちり合わせて、ローレルは素知らぬ顔で入り口の門を通り抜けようとした。

 通り過ぎる瞬間に、つまらなそうに革袋を呷っていた騎士二人の内一人が声をかけてきた。


「おい、お前。どこへいく。顔を見せろ」


 渋々、馬を止めて愛想よく笑顔を浮かべて見せる。


「これは騎士様。このような街で騎士様を見かけられるとは、光栄です。私めは主の使いで出る所でして、高貴な騎士様のお手を煩わせるような事はございません」


 あくまで下手にやり過ごそうとするが、声をかけてきた一人は馬首を巡らして近付いてくる。


「隊長殿より、用事が済むまで何人たりとも街から出すなと仰せつかっている。今夜は街から出る事ならん。騎士団からの命だと主に伝えろ」


 行く手を阻むように、回り込もうとする。もう一人はまだ入り口でつまらなそうに革袋を傾けていた。

 一旦退いて、出直す。その方が安全だ。騎士団長とやらの目的が何かは分からないが、少なくともここで押し切るよりも無難だろう。

 けれど、ローレルはあぶみを踏んで馬の腹に掛けられた障泥に、ぐっと合図を送った。

 騎士が完全に回り込む寸前に、乗り手の意思通り、馬は思い切り駆けだした。


 完全にただの勘だったが、彼らの目的はヴァルナだと思えた。

 わざわざこんな街にこんな時間に急いで騎士様が押し掛けるだなんて、余程の事だ。それこそ、聖女様のお迎えでもなければ来ないだろう。今でなければ、逃げ切れない。


「おいっ! 貴様待たんかっ!」


 後ろからガチャガチャと鎧の煩い音がして、怒声が背中へ追いかけてくる。けれどローレルは更に速度を上げた。

 突然走り出したのに、ヴァルナはしっかりと鞍を掴んでローレルに体を預けている。完全に信頼しきってローレルの意思を読み取ろうとするヴァルナに、抱きしめる手の力が増した。


 先に駆けだしたとはいえ、こちらは二人乗り。

 相手は鎧を付けて重いとはいえ、騎士団の馬だ。思ったよりも速く、追い付かれそうになる。焦るローレルに、外套の中からフィルが器用に顔を出した。


「まったく、役に立たん半人前だ」


 そう不遜に言い放ち、全速力で駆ける馬に揺さぶられながらも、フィルは軽々ローレルの肩の上に立った。隣に並走しようとする騎士へと向けて、大きく口を開く。


 ゴウッ!


 牙の間から蒼い炎が噴き出して、追ってきた騎士は速度を落とした。悲鳴と肉の焦げる匂いが響く。腕の中で、ヴァルナがびくりと震えたのが伝わってきた。


 声をかけて来ていた方の一騎は炎で追い払えたが、もう一騎。

 後から追い縋って来た方が、追い付けないと思ったのか何かを放ってきた。風の音を頼りに馬を走らせて避ける。

 が、全部は避けきれず、ローレルの背中に衝撃が走った。

 振り返りはしない。ただひたすらに馬を走らせて、痛みは腕の中のぬくもりに消えた。


 どれだけ走らせただろう。もう追い付けないと思ったか、フィルの炎にやられた仲間の救護に向かったのか、追手の気配が無くなった。

 人気の無い街道で、ローレルは馬の速度を落とさせた。腕の力を緩めて、ヴァルナを見下ろし声をかける。


「ごめんね、急に走らせて怖かっただろう。もう、追ってこないようだ。どこもなんともないかい?」


 ぎゅっと目をつぶってしがみついていたヴァルナは、優しく話しかけるローレルの言葉に、そっと目を開けた。

 きょろきょろと辺りを見回して、暗い夜の街道に自分達だけだと分かると、安心した表情で笑って見せた。


「今は退いたようだけど、またすぐに追いかけてくるかもしれない。

 一旦街道から外れて、獣道を行こう。もう少し離れておきたいから、夜通し移動する事になるけど、ヴァルナは寝れそうなら寝ていいよ」


 そう言うローレルは、少し苦しそうだ。

 ヴァルナは、月明かりで仄かに照らされるローレルを見上げた。暗くて分かりにくいけれど、少しだけ息が荒い。

 暗闇で目を凝らそうとするヴァルナに、ポケットから小さな魔石の欠片を取り出して、灯りをつけて渡してくれた。

 ローレルは夜目が効くから不要なのに、暗闇で怖くないようにと持たせてくれたのだとヴァルナは気付いた。


「あの、ローレルさん。苦しそうです。どこか怪我をしたなら手当しなきゃ」


 街道からそれて林の道を注意深く進むローレルに、ヴァルナは躊躇いながらも口にする。

 急がなければいけないのは重々承知の上だが、怪我したならば少しでも早く手当しなければと焦る声に、ローレルは頭を振る。


「いや、かすり傷だよ。とにかく、急いだ方がいい。騎馬は少なくとも八騎はいる。囲まれたらお終いだ」


ヴァルナを見もしないで、ローレルは馬を操る事に集中している。が、やはり息遣いが乱れていた。馬上でヴァルナは一生懸命に頭を巡らせる。


 ローレルさんが怪我をしているのは間違いないわ。

 かすり傷だなんて、頭に怪我をしていた時だってこんな苦しそうじゃなかったのに。怪我をしたなら、背中か後頭部かな。

 多分、背中よね。でも、どっちにしても前に乗ったままじゃ手当なんて出来やしない。どうしよう。


 ぐるぐると頭の中で考えていても、答えは出ない。突然襲われた事で、まだ恐怖から抜け切れていないのか、中々いい方法が思いつかない。


 あ。私の力。人には直接流しちゃいけないって言われた力。でも、癒しの力だって言ってたわ。

 それなら少しだけ、ほんの少しだけローレルさんに流したら、怪我が治るかな。


 ヴァルナを包み込むようにして前に乗せているローレルを、身をよじって振り返る。鞍から手を離して、そっとローレルの胸元に手を当てた。


「ヴァルナ? ちゃんと前を向いてて……っ」


 服越しにヴァルナの小さな掌が触れたと思ったら、暖かい何かが流れ込んできた。

 それはするすると奥深くへ入ってきて、優しく体を温めていった。温もりが痛い所へ到達すると、そっと撫でるようにして痛みを消していく。

 じんわりと芯から温めてくれるぬくもりに、気付けば痛みは消え去っていた。

 いつの間にか閉じてしまっていた目を開けて、ヴァルナを見る。腕の中で、彼女は満足そうに微笑んでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る