第41話 始まりは冬の夜

 まるで針に糸を通すように、ヴァルナは少しずつローレルへ力を注いでいった。

 ゆっくりと力を巡らせていく。まだ不慣れな力を、ゆっくりゆっくりと慎重に使う。


 どうかローレルさんの痛みを治せますように、と。


 すぐに背中と腰辺りで異常を見つけた。

 ローレルの中から命の雫が流れ、失われていってると感じて、そこが怪我なんだと気付いた。

 そっとそっと、力を注ぐように意識を集中していく。ゆっくりゆっくり慎重に。

 ローレルの乱れていた息遣いが、次第に楽なものへと変わり、ほうと安堵のような息が零れた。


 ヴァルナは集中して閉じていた目を開け、ローレルを見上げる。

 小さな魔石の欠片に照らされた顔は、もう苦しそうじゃない。ヴァルナは嬉しくなって、思わず笑みがこぼれた。


「ヴァルナ? 今の、怪我を治してくれたのは、君の力?」


「はい。トルシィさんが、癒しの力だって言ってたから怪我をしてるなら治せると思って」


 すぐにウソがばれて、ローレルは一瞬バツの悪そうな顔で口籠った。


「ごめん。助かったよ、ありがとう」


 その言葉に、ヴァルナは嬉しそうに前へ向き直った。器用に鞍の上に座っていたフィルを抱き寄せる。

 夜風が冷たい息を吹きかけて、ローレルはヴァルナを外套の中で抱きしめた。






 その夜の神殿は、いつもと違って騒々しく、そこかしこに灯りが点けられていた。

 暗く寒い冬の夜、分所に灯りが煌々と灯る。神官見習いの純朴な青年は、見る事すら滅多にないお貴族様の横暴な振舞いに、疲弊しきっていた。


 テレースの街を訪れた第三騎士団は、第二王子の近衛隊。その殆どは貴族の子弟だ。実力主義の騎士団とはいえ、近衛となると家柄も重要視された。家柄良く地位もある彼らは、往々にして平民を見下す傾向にある。

 騎士道とはなにかとの小うるさい監視の目がない所で、それは顕著だった。


 フォルステライトは執務室の窓辺に立って外へ視線を投げた。分所内のあちこちに灯りが点けられて、騎士達に急き立てられ案内する神官達の姿が見える。

 部下達の姿に胸が痛んだが、下手に荒立てるよりも協力して見せてさっさとお引き取り願う方が良いだろう。


 よりによって、あの兄が来るとは。

 このところ、ローレルが締め上げていた密偵達はだいたいが貴族の子飼いだった。高慢で虚飾な貴族らは、甘い匂いに敏感だ。

 誰にどう伝えれば己の利となるか、多くは見栄と計算で生きている。何とか他者より早く詳しい情報を掴んで、生存競争で有利に利用しようとでもしたのだろう。


 第二王子と言えば、優秀な第一王子と比べてあまり良い噂は流れてこない。

 凡庸で取り立てて目立つものも無い彼が、王太子に選ばれる可能性は限りなく低いだろう。この聖女復活を己の機会にしようと、味方に付けようとでも思ったのなら、あの兄に任せたのは失敗だ。

 もしもヴァルナがまだ残っていたとして、兄では嫌われるだけだ。それが分からないような人物だからこそ、第二王子が選ばれる事は無いだろう。


 コンコン


 眉間に皺寄せるフォルステライトの耳に、ノックの音が届いた。


「やあ、随分と小難しい顔をして、皺が癖になってしまうよ」


 いつもの調子で来たトルシィが、手にした夜食の盆を机に置く。ありものを適当に集めてきたのだろう。

 盆の上には、小さな林檎と炙り肉を挟んだパン。パンの切り口が多少雑なのは、トルシィの手作りだからだ。林檎はそのまま、ドンと丸のままで置かれている。

 盆を置くと、部屋の隅に置かれたキャビネットにある道具を使い、紅茶を淹れ始めた。


「さあさ、空腹で凍えていては、良い案も出てこないだろう。何、後小一時間もすれば諦めるさ。今、ここには聖女だなんて居ないのだからね」


 ニヤリと笑むトルシィに、フォルステライトは物言いたげな視線を送る。


「ああっ、旧友に対してそのような胡乱気な眼差しを送るだなんて、傷付いてしまうよ。私が上手く事を運んだからこそ、こうして危機に陥る事無く間に合ったのではないかね?」


 妙に芝居がかった仕草で泣き真似をするトルシィに、フォルステライトは嘆息して机についた。

 置かれたパンへ手を伸ばすと、大口開けて食べる。トルシィの前でだけは、上品さなど不要だった。


「ふふふ、そう怒らないでくれたまえよ。君だって、結果良かったと思ってはいるんだろう? 彼らなら大丈夫だ。一応、保険もかけておいたしね」


 無理やり力を注いだ時のフィルを思い出し、くすくすと笑う。


「お前のやる事は、いつもどこか抜けている。根が楽観的というか雑というか。第一、ローレルを行かせた事、許してはいないからな」


「おやおや、過保護も過ぎると息が詰まるよ。伸び伸びと羽根を広げて飛ぶには、まず飛ばせてみなければ」


 悪びれもせずいけしゃあしゃあと言い放つトルシィに、フォルステライトは憮然と夜食にかぶりつく。

 これ以上は言うだけ無駄だ。いや、そもそも彼はいつだって自由で気紛れ。自分とは対極にあるような男だ。


 食べ終わった林檎の芯を皿に置く。丸のままかぶりつくなど、久しぶりだった。窓の外へ視線を向ければ、雪がちらほら降ってきた。冷える筈だ。


「……あれを拾ったのも、こんな夜だった」


 雪へ視線を向けたまま、静かに話すフォルステライトに、トルシィは黙って紅茶のカップを傾ける。


「しんしんと冷え込む夜中に、赤子の泣き声がした。まさかこんな冬の夜にと思いながら門の外を見れば、冷たい石段の上に籠がある。慌てて暖めに走ったものだ」


 舞い落ちる雪へ投げられたフォルステライトの視線の先に、幼いローレルが映り駆け抜けていった。

 拾ったばかりの赤子が、あっという間に成長し、獣人の力を発現した幼児期。孤児院へ預ける訳にもいかず、自分が育てると決めた日。

 けれど、自分が彼に教えられるのは普通の生き方ではなくて。獣人という出自もあって、苦しみの多い生き方しか指し示すことが出来なかった。


 家庭や愛情と無縁に育った自分が、何故育てられると思ったのか。それでも彼を育てたのは間違いではないと、それだけは確信できる。

 もしも人だけの孤児院へ入れていたら、早々に誰かを力で傷付けて処罰されていただろう。幼い頃は力を押さえられず、躾けの際に何度も傷を負ったものだ。

 幼子といえ、獣人の爪や牙、嘴などは鋭く強力だ。人間の柔い皮膚等、いとも簡単に引き裂いてしまう。

 フォルステライトの服の下には、育児でついた傷跡がいくつもあった。


 過去に思いを馳せるフォルステライトに、トルシィが一段低い声音で話しかけた。


「ねぇ、フォルテ。君が今抱くものが何か、君にも分かるだろう。そして、それは彼にも必要なものだ。

 君は彼にそれを悟られまいと厳しく育てていたね。心の中は読み取れないが、君なりの考えがあってそうしたのだろう。

 だけどね、やはりそれは彼にも必要なのだよ。人は、愛無くしてはいられない。愛を求めるのは自然な姿だよ」


 諭すようなトルシィに、フォルステライトは頑なな声を返す。


「違う。私に愛など欠片も持ち得ない。そんなもの、知らずにすむならそれが一番だ。あれは……あれこそ最も人を傷付ける」


 それ以上は、口を堅く閉ざしてしまった。そんな頑固なフォルステライトに、トルシィは心の中で語り掛ける。


 哀しいね。

 愛を知るからこそ、君は養い子から愛を遠ざけようとする。けれどね、フォルテ。それは彼に必要だ。そして、君にも。

 彼の愛は彼のものだ。君の愛が君のものだと同じように。


 昔、愛を知ったからこそ、深く傷ついたフォルステライト。愛を知らないからこそ、求めるローレル。


 願わくば、乾きひび割れたフォルテの心へ救いの慈雨が降り注ぐようにと、トルシィは心の中で祝福を唱えた。

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