第14話 始まりは冬の夜
ヴァルナが空を仰げば、まず夜空は黒がいっぱい広がって見えた。
目が慣れてくると、黒くて深い深い紺色の中に、霞のような雲が見える時もある。
季節によって星が輝き、空という果てしない舞台で物語を紡ぐ。月は、いつだってそれを見守っていた。
今も、月はヴァルナを見守ってくれている。そう感じた。
自分を抱えてひた走るローレルは、如何にも街の人といった感じで森になんて慣れていないと思ったが、森の中を走る足に躊躇いがない。
あっという間に森を駆け抜けてしまった。ヴァルナにも、もうどの辺りにいるのか分からない。
もとより、家の周辺から森の奥深くへは入った事がない。両親に止められていた。
「あのっ、どこへ、行くんですか?」
舌を噛まないよう、よく気を付けて話す。追いかけてくるような足音はしないし、夜の森だ。隠れようと思えば、追手がすぐ近くを通り過ぎても見つかりはしないだろう。
少しくらい休憩しても良いんじゃないのかな? と思ったのだ。
何より、ローレルは酷い怪我をしていた。ヴァルナを抱えたままこれ程走っては傷口に触る、心配だ。体の怪我は見ていないが、頭から出血して倒れていたのだから、体にも打撲くらいあるだろう。
それに、ヴァルナ自身も休みたかった。あまりの事に頭がついていけないし、ガクガクと揺れる体を落とされないか不安で、知らず知らず体に力が入っていた。
そんなヴァルナの疲れが混ざった視線に、厳しい顔で走っていたローレルも足を緩めた。
ようやっと、手近な木の根にヴァルナを降ろして座らせる。その向かいに、ローレルも片膝をついてしゃがみこんだ。
木々の葉の間から月明かりが差し込んで、二人と一匹へ柔らかく降り注ぎうっすら照らしてくれる。
そこで気付いた。ローレルの瞳が暗闇で光っている事に。
梟の瞳とそっくりな虹彩、黄色と黒のまんまるな瞳。おかしい、森に入る前は普通の人と同じ瞳だったのに、普通の焦げ茶色の瞳だったのに。
闇に輝く瞳を見て黙り込むヴァルナに、ローレルは少し困り眉の笑顔を作って見せた。
「ごめんね、突然で驚いたよね。ああ、大丈夫。安全な所まで僕が連れて行ってあげるから」
「えっ? 安全って、あの、町の人達がどうしてあんな怖い顔していたのかは分からないです。でも、本当は気の良い人達なんです。きっと、何か理由があって」
「理由があって、君のお母さんを地に倒し、家へ押し入ったと? それは、随分な話だよね」
「それはっ、そう、なんですけど」
尻すぼみに口籠り、ぎゅっとヴァルナの腕に力がこもる。腕の中で大人しくしていたフィルがヴァルナを見上げて、何か言いたそうにクンクンと小さく鳴いた。犬が言葉を話すわけないのに、まるで何か迷っているようにフィルの瞳が揺れていた。
そんなフィルの様子に見向きもせず、ローレルは優しくヴァルナへ話しかける。
「心配だよね、お母さんもお父さんも。出来る事なら、今すぐ引き返してご両親の無事を確認したいと思うよ」
いかにも心配そうに、気の毒だと言わんばかりに、長い睫毛を少し伏せて憂い顔を見せる。
「だけどね、ヴァルナちゃんも見ただろう? あの異様な光景を。まっすぐこちらへ向けられた敵意を」
ローレルの言葉に、ヴァルナは唇をぐっと引き結んで視線を落とす。
「狙いは君だ。だとしたら、逃げる事こそ、ご両親を助ける事に繋がると思うんだ」
「そんな……どうして、ですか?」
食い付いたヴァルナに、頼れるお兄さんといった笑顔でゆっくりと口を開く。
「君が欲しいからだよ。逃げた君を捕まえる為に、きっとご両親は無事だろう。君を捕まえるまでは、手掛かりになるからね」
「そういうものですか? あの、でも、どうして私を狙うんでしょう?」
「その様子だと、お告げの事は知らないようだね。当然か。不安にさせないよう、知らされなかったんだろう」
ローレルは服の隠しから小さな水晶のような欠片を取り出して、ヴァルナの前へ差し出す。にこにこと人畜無害そうな笑顔だが、何を考えているのか分からない。けれど、受け取らないと話してくれそうにもない。
フィルを抱きしめていた両手を解き、そっと左手で受け取った。ヴァルナの小さな手のひらに、冷たい透明な欠片が乗った瞬間、石が熱を持ってキラキラと輝きだした。
「わっ! うわわっ、ごめんなさい!」
あまりの熱に、思わず落としてしまった。ヴァルナの手から落ちると同時に輝きは失われていき、ただの欠片に戻ってしまった。それをローレルが拾ってしまう。
「やっぱり。君が八年前の今日、生まれた子どもだね。聖女様の生まれ変わりとして。その力を継ぐ者として」
そして、記憶を継ぐ者として。その言葉は口に乗せなかった。
ローレルを見上げる幼い眼には不安と疑念が浮かんで見える。
教会の上位神官の間で語り継がれるような、過去前世の記憶を持っているようには見えなかった。それも、いずれ記憶を取り戻すのかもしれない。
けれど、それは今の自分が預かり知る事ではない。あくまで自分に課せられたのは、聖女の生まれ変わりと思われる少女を連れて行く事のみ。
暗い森の中、差し込む月明かりに照らされたのは、甘く笑んだ瞳と心細げに揺れる眼。
それを静かに見上げる紅い双眸が、其々を左右に映していた。
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