第21話 <閑話> とある古書を開いて

 今日も今日とて、神殿の手伝いを終わらせたヴァルナは、秘密の小部屋で読書をしに来た。

 大切に大切に仕舞われた本の中から、一冊を手に取る。


 開けばちっちゃなヴァルナの膝いっぱいになる大きさの本は、布張りの装丁で細かい刺繍が刺されていた。

 永い時を経て、暗所に保管されていたとはいえ色褪せている。褪せてなお、そこに刻まれた深い想いを感じさせた。


 少し黄ばんだ布は、おそらく元は真っ白だったのだろう。表紙には、綺麗な乙女と武骨な騎士が描かれて、題名は無かった


 この本だけ、題名が無かったのだ。小部屋に眠る数冊を読んでいるうち、その事に気付いたヴァルナは、迷わず次の一冊に選んだ。








 いつか、いつしか、時の流れに埋もれて、忘れられた者がおりました。

 とある二人がおりました。



 一人は、聖女と称えられた乙女。

 けれど傍若無人な娘だと、民衆から忌み嫌われた乙女。


 一人は、最強と謳われた剣士。

 なれど聖女に翻弄されて人生を奪われたと、憐憫を寄せられた剣士



 交わる事の無い筈だった二人が、どうして巡り合わせたのか。


 吟遊詩人の語る物語でも、真実は霞んで朧げに残るばかりです。



「無様ね、さっさと傷を見せなさい。私が治してやるといってるのよ。本当、愚図ね。お前達は所詮戦うしか能が無い駒なのだから。さっさと治して、戦場へ赴きなさい。そうして、王都に居る私や王侯貴族を守る為、其の身を捧げて戦いなさいな」


 年若く麗しい乙女が、見下したように歴戦の戦士達へと言葉を吐き捨てる。


 傷付いた者達の中でも、特に酷い怪我を負った者を集められた兵舎で、乙女は如何にも不本意だと言いたげに顔を歪めた。

 その嫋やかな手を翳せば、清浄なる光が溢れてたちどころに傷付いた者を癒していく。


 聖女と呼ばれる乙女にしか使えず、乙女は王族よりもこの世の誰よりも希少であり価値のある人間なのだと、全ての者が傅き崇めた。

 そんな乙女はこの世の贅を集めた装いをしており、まるで歩く宝物だ。


 その華奢な身に意匠を凝らして作られた飾りをいくつも着けて、その衣は少しでも引っかければ破れそうに薄く高価な物。


 役目を終えればこのような小汚いむさ苦しいところなど一秒とて居たくはない。とでも言いたげに、怪我を癒すと一言も発する事無く、すぐさま薄布を翻し出て行った。


 噂通りの姿で最強と謳われる剣士を従える様に、瀕死の重傷を負っていた者でさえも、彼女への感謝を捧げる様子はない。


「さすが、高貴な方は違うねぇ」

「見たか? あの眼差し。まるで塵どころか排泄物を見るかのようだ」

「さしずめ、俺たちゃあそうなんだろうさ」


 怪我を癒された戦士達の、不満の声は絶えません。そうして、彼らは再び戦場へと赴くのです。

 魔物たちから人々を守る為。魔族と呼ばれるおぞましい者から人々を守る為。


 彼らの中には、聖女を憎んでいる者すらいました。

 ようやく、この苦しい戦いから解放される。もう自分は十分に頑張った。もう、体を欠損した者として戦場から身を引きたい。

 そう思っても、治癒されて戦える身となれば、再び戦場へ赴く以外ありません。再び、傷付き苦しみ戦う以外ありません。


 そんな怨嗟が聞こえてきそうな場所から離れた、聖女の私室。急いで自室へと戻った乙女は人払いをしていました。




「っぐ、ぅんんっ、っぁぁぁあああ!」


 豪奢な寝台の上で、飾りを脱ぎ捨てた乙女が耐え兼ねて声を上げています。


 皺一つ無かった敷布は、乙女によって搔き乱されて見る影もありません。美しく結い上げられた髪を振り乱して、ひたすら獣のように呻く乙女。

 全身を襲う衝撃に、ただただ耐える以外の術はありません。あまりの激痛に、意識を手放したくとも、その瞬間にまた新たな痛みが襲うのです。

 激しい苦痛の波が、嵐の如く体を駆け巡ります。何度も、何度も。


 そうして、一秒が百年のようにも思える時が過ぎ、痛みの過ぎた後には寝台の上で意識を失っている乙女の姿がありました。


 苦しみの嵐が過ぎ去ったのを見て、入り口で一人控えて剣士が寝台へ寄ってきました。慣れた手付きで乱れた乙女を整えます。


 片手でか細い体を抱え上げ敷布を整えると、そっと壊れ物のように寝かせます。乱れた着衣を正して上掛けをかけます。

 乱れた頭髪は、丁寧に、一本も髪を引っかけぬよう、慎重に梳いていきます。それらが整うと、番犬の如く、乙女の側で静かに控えていました。



 数刻経って、いつものように気だるげな表情で乙女は目覚めました。



 「はぁ、あなた、居なくて良いと言ったでしょう。そうやってただただ側に居られても、どうせ私は寝てるだけなんだから。魔物の一匹でも屠ってきたら? 最強の剣士様なんでしょう?」


 揶揄するように軽口を叩く少女へ、剣士は黙って水差しの水を差しだします。ハーブやレモンの輪切りで風味がつけられた水は、爽やかに傷んだ喉を潤しました。


 水を飲み干して、憮然と剣士へグラスを押し付けると、少女は華憐な唇からため息を零します。


「あのね、私は嫌われていたいって言ったわよね。その理由も説明した筈よ。不本意ながらね」


 黙ってグラスを受け取った剣士は、かすかに頷いてみせる。けれど、いつもの通り聞き流されているのが丸わかりで、乙女の眉間に皺が寄ります。


「あのね! 私は同情なんてされたくないの! あなたに側で守ってほしくもないわ! 偶々あなたには知られてしまったから話しただけで、本当は誰にも話すつもりなんてなかったんだから!」


 興奮して頬を紅潮させる少女に、剣士はまた微かに頷きます。


「……なんでよ、どうしてよ、やめてよ。言ったでしょう? 私はいいの。側にいないで。そんな瞳で見ないで。大事にしないで」


 【貴方の瞳が好き、私を慈しむ眼差しをくれるから。貴方の武骨な手が好き、人生を刻んだその手で壊れ物を扱うように触れてくれるから。貴方の存在が好き、ただ居てくれるだけで頑張る勇気が湧くから】


 言葉に出来ない想いは溢れ、澄んだ瞳から涙となってぽろぽろ落ちます。その涙を止める術を知らない剣士は、ただ黙って控えていました。



 聖女の御業。癒しの力には、代償がありました。

 癒した傷と同じだけ、その痛みが己の体を苛むのです。苦しみが襲うのです。


 けれど、乙女はその事を隠しました。

 己の力は必要だから。人が魔に打ち勝つ為に。人々の暮らしを守る為に。

 だから、隠しました。



 人の優しさを知っているから。代償の事を知れば、乙女の力を使う事を皆が躊躇うと思ったのです。けれど戦いでは常に人が傷付いていきます。

 己の力を、躊躇わずに使われたいと思ったのです。


 己の希少性から、王城から外へ出る事は許されませんでした。それでも、籠の鳥は精一杯囀りました。己の力で癒されるならばと。その為ならばいっそ嫌われようと思いました。まるで、死に烏が鳴き声を忌み嫌われるように。


 死に烏が鳴くと、人が死ぬ。そう忌み嫌われる。本当にそうだろうか? 烏は警告をしているのかもしれない。危ないぞ、死ぬなと。

 己が持てる力で、助けようとしていたのかもしれない。けれど鳴き声は忌み嫌われた。予見する力があっても、上手く使われなければ助けられない。


 聖女と呼ばれた乙女も、また、人々に嫌われた。


 自ら進んで嫌われた。己の役目を、存分に果たせるように。



 そうして、魔物達と人間達との戦いで、傷つく者を癒しては人々から嫌われる乙女と、乙女を守り続けた剣士がおりました。



 遠い昔の物語。今はもう、真実を知る者もいない。


 いつか、いつしかの、物語。






 豪華な装丁の本を最後の頁まで読み終えて、パタンと閉じる。いつの間にか呼吸も忘れたように夢中に読んでいたヴァルナは、大きく息を付いた。


「ふはぁ。二人はきっと愛し合っているのね。悲しいお話……この二人は、どうなったんだろう」


 読み終わったヴァルナは、大事に本を抱えて元の棚に戻すと、部屋を後にした。

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