第20話 始まりは冬の夜
「あの、ローレルさんはもうご飯を食べ終わったんですか?」
与えられた一室で、夕食を運んできてくれた人を見上げるヴァルナ。
神殿の分所へ来て数日が経ち、ここの生活にも少し馴染んできた。
なにかとお世話をしてくれる枯れ葉色のローブを着た人達は、分所で働く神官見習いなんだとか。神官になる為の勉強をしながら、下働きをしていると聞いた。
いつも家の手伝いをしていたヴァルナは、自分の事は自分でしたいと世話がかからず、神官見習い達に好意的に受け入れらて、みんなの妹のように可愛がられている。
「そうだね、多分。ローレル様はお忙しくされていらっしゃるけど、お時間を頂けないか伺っておくよ」
そばかすの残る優しそうなお兄さんは、給仕をしてそう言い残していった。今日の夕飯はポトフ。ゴロゴロお野菜と大きなソーセージが一本。
毎日お肉が食べられるだなんて、なんて贅沢なんだろう。神殿ってお金持ちなんだなぁ。
ソーセージを半分に切って、フィルのお皿へはんぶんこした。嬉しそうに鼻を突っ込むフィル。
最初は、人間の食べる熱さなんて犬には熱すぎないかとか、玉ねぎはダメとか知らずにあげてしまい、後から犬を飼う時の注意事項を教えて貰って慌てたりもした。
見習いさんに聞いてからは注意していたが、フィルは平気そうに食べていてお腹を壊す事も全く無い。大丈夫そうだし、あまりにねだってくるので分けてあげる事にした。普通の犬用ご飯だけでは、どうにも足りないみたいなのだ。
「不思議ね、フィル。あなたって、なんなのかしら。もしかして、最初の時に見たアレは幻じゃなくて、本当だったのかな。あなたは、魔物なの? なんてね」
肉を食べて満足そうなフィルの頭を撫でて、ヴァルナは小首を傾げる。そんなヴァルナの頭に合わせて、フィルもこくんと頭を傾けた。
か、可愛い。もふもふした蒼銀の毛並みは最高で、その毛に指を差し入れると柔らかく暖かくて、幸せな気持ちになれる。
紅い瞳はまんまるで、キュウン? と愛らしく鳴いてみせる。
「うーん、やっぱり、見間違いなのかなぁ。でも、すっごく怖かったんだけどなぁ」
もふもふとフィルをこねくり回しながら考えるも、満腹のフィルはヴァルナの腕から抜け出して、ベッドへ行き丸くなる。
ヴァルナも、冷める前に頂こうと席に着く。一人でのご飯は寂しいけれど、ローレルに会いたいのは寂しいからだけではなかった。
図書室で見つけた小部屋。ヴァルナ一人が入れるくらいの小さなそこは、四方を本に囲まれていた。壁に溝を掘る様にして作られた本棚で、古びた本達が静かに眠っているようだった。不思議な小部屋の事を聞きたいけれど、誰彼構わず聞くのも躊躇われた。
あれから、神殿のお手伝いをしながら、時間があれば秘密の小部屋で読書していたのだ。
「御馳走様でした」
食事を終えてベッドに腰かけたヴァルナは、フィルの背中を撫でる。
あの本。あそこの本は全部、特別な文字で書かれていた。広く使われている公用語じゃない。
昔むかーしの、古い言葉。お母さんが、秘密の暗号よ、と遊びで教えてくれた言葉。家の地下の隅っこに作られた、隠し扉の奥に仕舞われていた本と同じ。なんだっけ、古代語っていうんだっけ、お母さんは秘密の暗号言葉よって言ってた。
両親はヴァルナに字を沢山教えてくれた。
公用語は勿論、秘密の暗号言葉も。どうしてだろう。ローレルは、字を読めるのは当たり前じゃないと言った。
たまに遊びに行く町では、文字が読めても読めなくても関係なかった。子ども同士の遊びでは、文字なんて必要なかったから。
勿論、町の子の殆どが字を読めない事は知っていたけれど、その代わり皆は其々違った知識や特技を持っていた。だから、文字が読める事も特別だなんて思わなかった。
みんなで追いかけっこして、木の実集めして、お人形遊びして……そんな日々が恋しい。
うっかり、親友のアンを思い出して、涙が出そうになってきた。
ダメダメ、ローレルさんがちゃんと戻れるように手配してくれるって言ってたし、これ以上手を煩わせないように良い子にしてなくちゃ。
ベッドから立ち上がり、食べ終わった食器を乗せた盆を手にしてヴァルナは部屋を出た。
食堂の隣にある厨房へ食器を返して、ヴァルナは少しだけ内庭を寄り道散歩する。
あ、このハーブは冬でも生えてる強いのだわ。こっちは、もしかしたら本で見たあれかなぁ。このお花は何だろう、冬に咲く植物は少ないのに、ここは随分沢山あるのね。
そんな事を思いながら、一つ一つ観察した。ちっちゃなヴァルナの体を冬の妖精が抱きしめる。冷たい木枯らしが吹きつけて、ヴァルナは体を震わせた。
「いけない、つい夢中になっちゃった」
夢中になると周りが見えなくなるのは、よく注意されてきたのに中々なおらない。
ここのハーブ、少しなら取っても良いって言われたし、ちょっとちょこっとだけ、貰っていこうかな。
緑の葉っぱを数枚手にする。葉の先が丸いこれは、スーッとする匂いがするんだ。良く洗って、お茶に入れてもいいし、千切って香りを楽しんでも良い。
もう一種類、同じ緑の葉っぱでも先が尖っているものも少しだけ。こっちはレモンみたいな香りがする。
大事に取って、スカートのポケットに入れた。パット手を払って、部屋へ戻る。その途中、廊下を曲がった所で探していた茶色い瞳と出会った。
「あっ、ローレルさん」
「おっと、ヴァルナか。こんな時間にどうしたんだい」
ローレルのお腹辺りまでしかないヴァルナは、一瞬視界に入らなかったらしく、書類片手に歩いていたローレルとぶつかりそうになった。
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