第17話 始まりは冬の夜

 良く晴れた空の下、ヴァルナの瞳は明るい陽光を受けて柘榴石のように深い紅の輝きを放っていた。普段は黒っぽく見えるが、明るい陽光に当たった時だけ、深い紅に見えた。

 その双眸に映る全ての物が魅力的な宝物なのだと言わんばかりで、幼い眼は無邪気な好奇心にクルクルと動いている。


 ヴァルナの居た小さな村から、馬に二人乗りで三日程進んだ街。取り立てて大きいという事もない街だが、神殿の分所がある。

 一人で早駆けするのとは違いゆっくり進み、途中で野宿もしたがヴァルナは文句ひとつ言わなかった。

 野宿に必要な物はローレルが馬に積んでいたが、必要最低限で快適な旅とは言い難い。健気に頑張るヴァルナの姿は、他人に深入りしないローレルにも庇護欲を抱かせた。


 特別な力を持って生まれた者は、その特異さ故に持て囃されやすい。そして慢心しやすいものだ。そんな人間をローレルは沢山見てきた。ヴァルナは正反対だ。

 今、人通りの多い街中を並んで歩きながら、ローレルは内心で嘆息していた。


 本当に、ただの少女だ。むしろ、心根が真っ直ぐで素朴で働き者の少女だ。

 こうして共に居ると、八歳になったばかりの子どもそのまんまだ。田舎で両親から大事に大事に愛されて育った少女。

 とはいえ田舎の育ちでまだ幼いというのに、字の読み書きが出来ると聞いた時はかなり驚きだった。馬上でも野宿の際も、ヴァルナは落ち着いていて色々と話をしてくれた。

 街の一般的な家の子どもでも、皆が皆、字の読み書きを出来る訳じゃない。不釣り合いな聡明さと年相応の幼さを併せ持っている。

 不思議な少女だ。ただの子どもらしくもあり、どこか大人びているところもあるヴァルナに、なんとも言えず惹かれるものがあった。

 親の庇護の下で穏やかに育っていた、まだ庇護下にあるべき少女。何故か惹かれるものを無自覚に感じながらも、側で見ていると自分の薄汚さが鮮明になって、腹の奥が重苦しくなる。

 今更だな、と零れた自嘲は誰にも気付かれなかった。


 ふと、たった今通り過ぎようとしている露店販売の荷車に、ヴァルナの視線が釘付けになっていると気付いた。

 荷車には色とりどりの菓子が並んでいる。そういえば、少女のいた小さな村ではこんな彩り豊かなものは見かけなかっただろうなと思い返す。


「ちょっといいかい? 神殿までまだ少し歩くから、何か軽くつまみながら歩こうか」


 ヴァルナの肩に手を置き、いっぱいに並べられた菓子の前へと進む。突然の寄り道に驚いたのか、ヴァルナは大きな目をさらにまんまるく開いて見上げてきた。


「えっと、あのっ、わたし……」


 フィルを腕に抱いたまま、目の前の菓子とローレルを見比べて遠慮がちな声を上げる。

 本当に躾が良い。このくらいの子どもなら、喜んで飛びつきそうなものなのに。


「色々あって疲れただろう? いいから、好きな物を選んで……そうだな、神殿についても暫く待たされたりするかもしれないから、いくつか買っていこう」


 そう笑みを浮かべて促すと、ヴァルナはごくりと喉を鳴らして真剣な表情で菓子を選び出す。その様はまさに子どもで、ローレルはかすかに安堵した。

 赤、白、黄色、青、緑、桃色、紫、らせん状の混ざり色、水晶のように透明な煌めきもある。

 いくつかと言ったのに、ヴァルナは二つしか選ばなかった。だから、ヴァルナの視線が長く止まっていた物をもう三つ程ローレルの細長い指で店主に示し、足して買った。紙袋にいっぱいの甘い誘惑を、遠慮するヴァルナに持たせる。

 何故欲しいものが分かったのかと焦る様子に、ローレルの口元が綻ぶ。ヴァルナにしか気付かれなかったそれは、いつもの偽物っぽさが抜けていた。


「あのっ! ありがとうございます! ほんとに、ほんとうに、ありがとうございます」


 菓子の入った紙袋を大事そうに抱えて、何度もお礼を言うヴァルナにローレルは苦笑した。

 露店販売の菓子だ、いくつか買っても大した金額じゃない。それを、こうまで喜んでもらえるとは。

 白い頬を上気させて言葉を重ねる姿に、ローレルの奥から今まで無かったモノが沸き上がるのを感じた。

 それが何かは分からないけれど、酷く心地良い。同時に、泣きたくもある。そんな身の内に生まれたモノに戸惑いながらも、ローレルはいつもの笑顔を作ってヴァルナの艶やかな黒髪を撫でた。


「気にしないで、ヴァルナちゃんは大変な状況で良く頑張っているよ。ご両親の事だってさぞ心配だろう、突然のあまりな変化に心がついていかないだろうに、泣き出しもせずしっかりしている。ご両親の教育が良いんだろうね」


 僕とは違って、きっと――


 そう、口から出かけて、思わず口を閉じた。そんな突然言葉を切ったローレルを不信に思いもせず、ヴァルナは考え考え話し出す。


「あの、心配なのは心配です。すっごく。でも、ローレルさんが助けてくれましたから。心は見えないけれど、その行動は目に見えます。もの言わない見えない心は、分かりません。でも、その行動が信じるに足るのならば信じたいと、私は思うんです」


 そこまで言って、少し恥ずかしそうに微笑む。


「だから、今はローレルさんを信じています。だから、怖くても怖くないです」


 ズキンと、深く刺し込むように言葉が刺さった。ローレルの胸の奥に沸き上がっていた暖かいものを、吹き消す暴風のように言葉が響いた。

 一瞬足が止まりかけて、懸命に後を追ってくるフィルとぶつかりそうになった。短い脚でローレルとヴァルナの後を付いて歩くフィルが、一鳴きワンと吠える。


「そう……か、うん。それは、ありがとう」


 絞り出すように出した言葉は取り繕えていただろうか? 目の前の無邪気な輝きに、彼女の純粋さを知れば知るほど、その光に照らされて汚れた自分を知らされる。

 苦くて苦しい、この物思いはなんなのか。早く、早く彼女から離れたい。そう、ローレルは足を速めた。


 必死にヴァルナとフィルがついてくる、ついてこれるギリギリまで足を速めたおかげで、さほど間を置かずにこの街の神殿へと着いた。

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